1988年、すっかり「皇太子妃」の雰囲気に。
お茶目なヘンリー王子。ダイアナ妃と同色の服を着ています。アンドリュー王子の結婚式かな?
1988年 クラリッジスのパーティ。この頃は背中が大きくあいたドレスとか、こんな風なワンショルダーのドレスを着ることが多かったですね。
エメラルドも起き入りの宝石だったかな。
1989年。この頃はもう夫婦の危機でダイアナ妃の服装は刺激的な色や形になってきます。
髪型もぐっと短くなって「ダックテール」あひるのしっぽのような襟足だった事も。
1991年。ますます髪が短くなっています。チャールズのカミラの事が公然と語られ。自身もヒューイットという人と浮気をして。
自己主張を始めたダイアナ妃に王室は驚き、戸惑いました。
1991年。ブラジルのサンパウロ。この頃ダイアナ妃は慈善事業に打ち込み、特にエイズ問題に取り組んでいました。エイズ患者と握手をしたり、上記のようにエイズに感染している事を理由に遺棄された子供達を訪問。
世界に目を向けさせました。
チャールズは宮殿に帰らず、ウイリアム王子が大けがをした時も不在。
確か、韓国訪問時だったと思います。夫婦でほとんど目を合わさず、皇太子からペンを差し出されても受け取らず。決定的な瞬間でした。
1993年。すでに1992年に別居を発表。そして「ダイアナ妃の真実」出版。これによりチャールズとカミラの長く続く関係にいかにダイアナ妃が傷ついていたかはっきりとしました。
福祉と子育てに打ち込むダイアナ妃。子供達に様々な一般の経験をさせていました。
こういう瞬間をマスコミはこぞってカメラにおさめるのですが、こういうのですらヘンリー王子にとっては悪い記憶なんでしょうかね。
1994年 チャールズによる離婚やカミラとの関係をテレビで放送される日。ダイアナ妃はこのようなリベンジドレスで登場。
ぎりぎりまで短くしたドレス。歩けない程のかかとをもった靴。
セクシーで下品にならない線・・・今後、ダイアナ妃はミニを好むようになります。
1995年。さらに露出度があがっています。
1995年、イートン校に入学するウイリアム王子を見送る。
この時も短いドレスに真っ青はコートという人目をひく姿。
ある意味、このようにしてマスコミの注目を集めているのだと思います。
1995年。大胆に髪型をストレートにしてしまうこともありました。
1996年。オーストラリア・シドニーにあるエンターテイメントセンターで行われた、ビクター・チャン心臓研究所主催のチャリティ・ディナー。
ティアラをしていないだけで、他は何も変わりません。
王室から出てもダイアナには財産があり、またスポンサーもついていたのです。
マスコミが取り上げるからこそ、スポンサーがたくさんついて贅沢出来たともいえましょう。
この頃からドレスの色は一色が多くなりました。
その派手な生き方は常に「パパラッチ」に追われる。
利用し、利用され、時にはうざったい・・・そういう関係だったんだと思います。
ヘンリーがいうようにマスコミがダイアナを殺したわけではありません。
彼女が「自分の価値はその美」である事に気づき、大いに利用しようとしただけなのです。
1997年 アンゴラにて。地雷撲滅運動に関わっています。
自分がこのように活動し、それをマスコミがニュースにする。
注目が集まる・・・というわけですね。
多分、この頃から公私の区別が互いにつきにくくなっていたのではないかと。
こんな風に水着姿まで披露していましたので。
いい部分も悪い部分もあったけれど、これほど劇的に生きた女性はいません。
ヘンリーはそういう母の気持ちを大事にするならもっと生き方を変えて欲しいです。
チャールズ皇太子もだけど、なんでカミラやメーガンみたいな顔を選ぶんだろうなと。