12月の劇場はカレシと行きたい・・・・・と思ったふぶきでした。
クリスマスツリー あんドーナッツ 全部女の子の憧れだし。
仁先生がエンゲージリングを渡したように私にも?なんちゃって
いや・・・私はもういらないんだけどね。いらないわよ・・・指輪は自分へのご褒美で買うもの。
でも、舞台みたついでにプロポーズなんてのもいいかなって
あくまで個人的な感想です。
JIN−仁ー
本当に斉藤吉正の作品なのか?
最初にポスターを見た時から思っていました。
「これ、本当に斉藤君が書いたの?」って。
彼の作品にしてはポスターがそれっぽくないっていうか・・・・彼、ポスターにはこだわる人だし。
テレビに音月が出て主題歌を歌った時、いい曲だと思ったけど、どうにもこれが斉藤君の好みに思えず
「エル・アルコン」「トラファルガー」と作品の良しあしは別として主題歌だけは凝る彼にしてはハ長調的な主題歌
ってありか?と。
で・・昨日、作品を見てますます「これ、本当に斉藤君が書いたの?作ったの?ほんと?」と疑問符が一杯。
そりゃあ、オープニングの映像こそ斉藤君らしい始まりではありましたが、それ以降の流れは・・・・・・
相変わらず場面転換が多くてごちゃごちゃしてて・・・という部分はそうだと言われればそうなんだけど、
でもこれはむしろ斉藤的というより「石田昌也」なんじゃないか?
本当は石田先生が書いたんじゃないの? 幕末=坂本竜馬=石田のイメージがあるのかもしれないけど
あまりにもそっくりで(「風の錦絵」風白波5人男の時「どこかで見たことあるような・・って音月言ってたし)
いつもヨーロッパを舞台に書いている斉藤君が日本物を書くと石田化するのか?
それに谷正純化もしてます。
いい例が「咲は武士の娘です」
「神の手を持つ男」の連発 呪文のように繰り返されるこのセリフにうんざりしました。
「神の国から来た神の手を持つ男だ」
「私は神などではありません」
何度この応酬を聞いたか。
まあ、確かに彼の作品「カラマーゾフの兄弟」でもイワンがしつこく「神などいない」を繰り返していて、そういう雰囲気は
持っているんだけどここまでしつこくなるかなあと。
「咲は武士の娘です」もこれはギャグで言ってる?綾瀬はるかのモノマネでも始まるのかしら?ってな感じで。
こういうチープな遊びをするのは石田先生だよなあ。
竜馬の描き方も・・・ワイルドっていうよりうるさくてしつこくて下品でどうしようもなくて。
最初の江戸時代へのタイムスリップシーンはいいとして、それから先はジェットコースターのように
めまぐるしく場面が変り、ドラマをみていなければなかなか理解できないような内容。
あんなに専科を大勢出す必要があったのか?
あんなにエピソードを盛り込む必要性があったのか?
最終的に言いたかった事は「歴史を変えてでも守りたいものがある」ってことですか?
いあいや・・それはちょっと無茶な理屈で。
完全に斉藤吉正の石田昌也化が進んでしまった模様。
大御所達に似るのはしょうがないけど、悪い部分ばかり真似してどうするっ
舞台があまりにごちゃごちゃしすぎて、登場人物の自己満足で終わっていませんか?
ドラマを舞台化する意義は?
「仁」のような作品は舞台化には向かないと思います。
っていうか、無理に舞台化しなくてもよかった筈だと思います。
なぜこれを舞台化しようとしたのか、しかも音月桂のさよなら公演に持ってきた理由は?
全く理解できません。
当たり前の事ですが、舞台とドラマは違います。
ドラマは場面場面が途切れており、セリフの途中で場面が変るのは当たり前だし、あっちこっちに場面が飛ぶのも
当たり前。ところが舞台というのは空間に限界があり、ドラマのように飛ばす事が出来ません。
ゆえに場面転換が多くなるのですが、何度も書いているように場面転換が多すぎる舞台は見てて疲れるし
内容を理解するのが難しい。おまけに今回は独白が多く、2階席の客の事など無関心状態で場面が進みます。
下手にはしょれないからパノラマ漫画のように次々場面がかわり、次第に「いつ終わるの?この話」と思ってしまい。
(この「いつ終わるの?」って石田先生の作品にはつきもので「黎明の風」とか「相棒」とか同じこと思ったなあ・・・・)
パノラマ漫画にだって山場はあるでしょうに、この舞台にはそれすらないっ
ただドラマをストーリー通りに舞台にのっけて、表現が出来ない部分はカットしただけ。
小池先生が当たり前のように映画などを舞台化して成功していますが、あれは特別な裏ワザあっての事。
つまりドラマの不足を補うストーリーだからウケるだけで、なぞっていては意味がないのです。
観客としては、舞台らしい舞台をみたいです。
GOLD SPARK
こちらは中村暁作品。彼らしい中途半端さがたまりません。
冒頭のオルフェの話は「え?これで終わり?」で、以後、ナレーションが入るわりには意味不明にばっさり終わる展開。
音月桂というスターの特性をいかすでもなく、同期3人が並んで終わりっていうのも悲しすぎる。
北翔も未涼も技術者なんだからもっともっと歌わせてほしかったです。
二階席から見ていると、すぐに三角形になったり丸くなったりの繰り返し。落ち着くし正統派ではあるけどワンパターンかな。
いわゆる刺激がもっと欲しいショーでした。
もう少しさよなら色をいれてもよかったんじゃないかしら?
出演者について
音月桂・・・・最後まで作品に恵まれず気の毒。でも今回思ったのは、音月は非常に技術的にパーフェクトであるという事。
それゆえに特性がないように見えたのかなあ。歌唱力だってダンスだってもっともっと見せ場を持たせれば
もっとかっこよくできた筈なのに、無難におさめてしまった印象です。
ショーの最後のリフトの軽々としたノリに、「何でこの二人が朝海と舞風のようにならなかったか」と残念で。
全て音月の容姿が中世的であったが為だったのかなあ。
南方仁という人物もどういう人なのかさっぱりわからなかったし、竜馬や勝さんみたいに見得を切るわけにも
いかなかったし
本当は完璧に演じられるのに。ショーでも「ソロモンの指輪」でみせた妖しげな雰囲気を出して欲しかった。
そういう「なりきり」すら出来ない作品だったのかなと。
舞羽美海・・・・最後までトップ娘役としての立場を与えられなかった不遇の娘役ですね。やりようのない役ばかりで
よく辛抱したなと。この人も本来は踊れる・歌える・演技できるの3拍子そろった人だったんだろうと
思います。それなのにがっちりと恋愛シーンがあるわけでもなく、きゃんきゃん吠えたてるような役に
終始したのは残念でした。
早霧せいな・・・ちょっと痩せすぎて頬がげそげそになっているような気がするのですが。
ダンスはいいのですが、セリフをしゃべったり歌ったりするともうダメ。麻路さきファンのお前が言うなと
言われそうですが、マリコさんは音を外したり聞き取りにくかった事はないもの。
正二番手なんだけど、どうにも頼りない印象。
北翔海莉・・・演技お歌も抑え目ですが、安定感で見せてくれました。もったいない。本当にもったいない。
この人が出てくると芝居でもショーでも画面がひきしまるというか・・・安心感がありがたい。
未涼亜希・・・これまた安定感が素晴らしくて。北翔とのデュエットは聞かせる。未涼で諸葛孔明をみたいと思いました。
愛加あゆ・・・演技がどうのという前に体型をどうにかすべき。これではトップになった後、バッシングされて終わる。
花帆杏奈・・・「おさらばえ」が素晴らしかったです。思えば「ホップスコッチ」での奇妙な声としゃべり方以来印象に残って
おいかけておりました。綺麗なのになかなか重用されずに悲しかったなあ。どうか幸せになってください。
大湖せしる・・・色気があり綺麗だしいう事なしの女役。
夢乃聖夏と鳳翔大は浮いている印象。この組替えに意味があったのかしら?沙央くらまと蓮城まことはもったいない
使われ方。そうなると当然ダブル彩が割を食うし。
雪は今後どんな方向に行くのかしら?