「事実でない報道には強い大きな悲しみと戸惑いを覚えます」
皇后にできる反論はそれが精一杯だった。
目の前が真っ暗になった。今までの努力が全て水の泡だった。
国民こそが味方だった筈。それだけを頼りに皇室に入った自分。
それなのに、国民は自分ではなく雑誌に書かれた事を信じている。
国民にとって自分とは何だったのだろうか。戦後民主主義の象徴。爵位を持たない家から選ばれた妃。
身分違いとののしられようと、生まれがいやしいと悪口を言われても耐えて来た。
自分は身分以上の、血筋以上のものを得ている筈だと信じてきた。
両親が自分に施した教育はどんな身分の高い人たちにだってひけをとらない。それにこたえようと自分は精一杯努力してきた。
天皇はそんな自分を愛して下さったのだ。
ゆえに、自分は日本の歴史の中でもっとも優秀な妃であろうと血のにじむような努力をしてきた。
決して隙を見せず、失敗せず、完璧に見えるように言葉遣いも立ち居振る舞いも本物の皇族方より皇族に見えるように。
そんな自分を国民は愛してくれた。敬ってもくれた。
今や「民間から出た妃」という言葉は死語になったと思っていた。いや、死語になっている。
なのにどうしてバッシングが起きるのだろうか。
贅沢をしてきた?自然林を破壊した?皇太后との仲が悪い?
何の根拠があってそんな事を。幼いヒロノミヤには父親のお古の制服を着せ、えんぴつ一本に至るまで「国民の税金だから」
と徹底倹約をしてきたし、洋服もリフォームして着ている。
自然林を破壊する権限など皇后にあるはずがない。皇太后は自分を嫌っていた。わかっていたけどちゃんと仕えているじゃないか。
なのに・・・・
「こういう記事が出るというのは、結果的に軽く見られているからじゃないかしら。皇太后さまならこんな事、書かれないわ」
と言った宮妃がいたとか。
血筋が問題だというのだろうか。皇太子妃もアキシノノミヤ妃も民間出身なのに。
アキシノノミヤ妃は賢い。たった3年で皇族としての地位を築いた。今やセツ君の後ろ盾を得て立派な宮妃になっている。
セツ君は会津出身。それに縁があるキコは特別に可愛がられている。
結核予防会の仕事もキコに引き継がせようとしている。宮邸も与えようとしている。
セツ君がそうであればキク君もユリ君もそれに倣うだろう。
何といってもキコは学習院出身。常盤会が全面的に擁護してくれる立場だ。
アキシノノミヤは学友などの繋がりを深く持ち、旧皇族や華族との付き合いを重要視している。
それが皇后には出来なかった事だった。
学習院出という事で、そんな事が自然にできる嫁に嫉妬したこともあったかもしれない。
だから、皇太子妃には期待した。
そんな派閥などなくても自分と同じように頑張ってくれるものだと。
しかし、聞こえてくるのは苦情ばかり。
「礼儀を覚えられない。しきたりを無視する。宮中祭祀を嫌がる。世継ぎに無関心。実家、外務省を後ろ盾にやりたい放題。
あからさまに皇室をばかにしている」
そして「何でこんな嫁を?」と皇族方からは批判の嵐が。
「これだから民間出の方は。お妃選びもちゃんと出来ない。こういう嫁を迎えたという事は皇后自らが皇室を軽んじている証拠。
その結果がこのバッシングなのではないか」
その言葉を聞いた時、皇后の頭は真っ白になり、全体が崩れていくような絶望感に襲われたのだった。
気付いた時、そばにはノリノミヤがいた。心配そうな顔で。
「おたあさま・・・」
宮は今にも泣きそうで、そんな娘の顔を見たら涙が止まらなくなった。
「どうしてお泣きになるの。おたあさまを悲しませるものは全部私がやっつけて差し上げる」
やっつけるなんて下品な言葉・・・皇后はちょっとだけ微笑んだ。
「ドンマーインよ。おたあさま。おたあさまには私がついているの。だから大丈夫。ドンマーイン」
この時程、娘の存在がありがたいと感じた事はなかった。
よかった・・・ノリノミヤを産んで本当によかった。私は一人じゃないわ。
「大丈夫?」
ドアを開ける音と共に天皇がかけつけてきた。
「おたあさま、気がついてよ」
「そうか。脳貧血だというから心配はいらない。でも安静にしないとね。今日の事は何も考えなくていいから」
申し訳ありません…陛下・・・・・と皇后は言おうとした。
「え?何?」
天皇が聞きかえす。
申し訳ありません・・・・・陛下・・・・でも声が出なかった。
皇后は蒼白になり、必死に声を出そうと、まるでおぼれた鳥のように口をパクパクと言わせる。
「声が出ないのか」
「おたあさま。すぐに侍医を呼びます」
天皇の顔色も変わっていた。呆然としている父を後目に娘はすぐに女官と侍医を呼び、診察をさせる。
「失声症」だった。
強い精神的なショックが原因で一時的に声が出なくなる病気。
「いつ治るの?」
天皇の声に医師は言葉を濁す。
「わかりません。明日かもしれませんし一生かもしれません。ご自分で乗り越えていかれるしか。今の陛下は強い
お悲しみの中で心を閉じていらっしゃるのです。それを癒す事が出来るのはご家族7だけです」
天皇は言葉を失い、ノリノミヤは母の手をとった。
「とりあえず、宮内庁病院でCT検査等を受けて頂きます。精神科も呼びましょう。お心を強くおもちになって下さい」
「病院には私が付き添います」
皇后の声が出なくなった事はすぐに発表された。
「強い悲しみ」の為と発表されるや否や、不思議な事にあれほどひどかった皇后バッシングがぴたりとやんだ。
「病気になる事でバッシングをかわした」
「これでマスコミは何も批判できなくなった」
とも言われた。
「開かれた皇室」という名の元に、積極的にプライバシーを公開し、皇室について自由に語れる世の中になりつつ
あったものが、「雑誌の記事が原因で皇后陛下が倒れた。全てマスコミが悪い」というマスコミバッシングにより
その後、しばらく後まで「持ち上げ記事」に終始する事になる。
極秘に参内したハシモトは天皇の学友だった。
天皇がまだ皇太子だった頃・・こっそり夜に皇居を抜け出して銀座を歩いた時も一緒にいた、何でも話せる「悪友」だった。
悪友であるがゆえにズケズケとものをいい、時には喧嘩になるし、宮内庁職員からは
「言い方に気を付けるように」と注意されることもあったけれど、彼は全然気にしなかった。
なぜなら、孤独な皇太子の姿をtぶさに見てきたからだ。
時代の流れの中で培ってきた友情はそんなに簡単に崩れるものではない。
「皇后陛下のご容体は」
「うん。まあね。そんなに悪いという事でもないんだけど、声がね。出ないから」
いつになく天皇は憔悴していた。妻が病気でも公務は続けなくてはならない。
無表情で粛々と公務を続ける姿はどこまでも立派ではあったが、痛々しい程で・・・職員達は誰もが胸を痛めた。
公務を終えてプライベートな居室に戻れば声を失った皇后が呆然と椅子に座っているのだ。
現実を思い知らされる気分である。
いっその事、皇太子夫妻に公務を代行させてしばらく御用邸に行けばどうかという意見もあったが
結婚したばかりの皇太子夫妻は自分の事で精一杯のようだ。
特に皇太子妃は体調不良で(それがどんなものなのかわからないが)公務を休むことが多く、きがつくといつも静養している。
その度にマスコミは「懐妊ではないか」と騒ぐが残念ながらそのような事実は見受けられない。
常に微熱が・・・体調が・・・とやってる皇太子妃に公務を代行させる事は出来ない。
「東宮はなんだってあんなのと結婚したかな」
ぽつりと天皇が言った。悪口など一度も聞いた事ないのに。
ハシモトはびっくりして思わず「そりゃああんまりな。外務省出身のエリート官僚候補ですよ」と言った。
「そこが問題なんだよ。なまじエリート意識が強いから自己主張が激しくて」
「なるほど」
「それはまあおいといて。今日はね、君に頼みがあって呼んだんだ」
「何でもおおせの通りに」
「まだ何も言ってないよ」
天皇は少し微笑んだ。
「全く君は昔から気が早い」
「そうですか?陛下は何でも電光石火だったような気がしますが。女性を誘うのもね」
「何だよ。そんな昔の事」
とうとう天皇は声を立てて笑った。かなり気分が和んだようだ。しかし、その表情もすぐにかたくなる。
「オオウチタダスについて調べて欲しいんだ」
「例のバッシング記事を書いたといわれる人間ですね。実在するのですか」
「わからない。元宮内庁の人間という事らしいが、それらしき人間は見当たらない。本当は長官あたりに相談すべき
なのかもしれないが・・・宮内庁にはあちらこちらに目が光っているようなのでね」
「それはどういう?」
「わからない。けれどこちらの情報が筒抜けになっている事は確かだ。皇太子が結婚してから何かが変わっている。
その何かが何なのかは全くわからないんだ」
「雲をつかむような話ですね」
「そう。冗談ではなく真面目に言っているんだよ。今回の一連の記事やバッシングが誰かによって仕組まれたものだったら。
皇室解体を望んでの事だったら」
ハシモトは絶句した。
戦後、日教組による左翼教育のせいで日の丸や君が代を嫌悪する勢力が増えた事は知っている。
けれど大多数の国民は皇室に敬意を払っているし先帝のカリスマ性は半端ではなかった。
だが、代替わりし、民主主義時代の天皇制を考える時、長い間避けてきた「皇室」との関わりを復活する事は
並大抵ではないと推察する。
国歌を嫌い、国旗を嫌い、その象徴である皇室を忌避する風潮は避けられない事だった。
それでも皇后の人気、アキシノノミヤ妃の人気で繋いできたものを。
もっと深く、皇室を潰そうとする勢力が動いているとしたらとんでもない事だ。
「わかりました。雑誌社には知り合いが何人かいますから。聞いてみましょう」
「極秘に頼むよ。くれぐれも極秘にね」
「はい。陛下の御為ならこのハシモト、命にかえても」
大仰な物言いにも関わらず天皇は笑うどころかほっとしたような顔をした。