2011年って色々な意味で節目の年だったのかもしれませんね・・・・・
本当にイライラして悩んで苦しんだ一年でした。
東日本大震災
今思えば、大津波が襲い原発が爆発した東北に比べれば関東なんてなんぼのもの?
と思ってしまいますが、3月11日は本当に恐ろしい日でした
あの「揺れ」は体験した人しかわからない恐怖でしょう その後の余震の多さと
言ったら!毎日が余震との戦いで精神的にきつかった
スーパーに買出しに行って水も乾物もなくなっている状態を目にした時の絶望感。
水道水から放射能が検出されたと報道された時の恐怖感。
国の一大事なのに、自国のことに熱心でない政党を抱えている事の不安感。
足元がぐらぐらして、ともすれば折れてしまいそうな日々でした
「復興」という言葉がむなしくて。復興より救済が先だろうと・・・・・
日本は国としてもう終わりなんじゃないかと思いました。
あれから9ヶ月を経てもなお、東北の復興は進まず置き去りにされようとしています。
消費税増税しか頭にない総理大臣と国防に素人でKYな防衛大臣がいる限り
この国は立ち直れないような気がします。
子供達に悩んだ1年
今年は小さなヨンジュナが保育園を卒園し、小学校に入りました。
震災の影響で保育園生活の最後は厳しいものになりましたが、無事にランドセルを
背負って登校。
それでも様々な行事が取りやめになり、可哀想でもあったかな
「お友達との付き合い方」がうまくいかない間、ヨンジュナは戸惑い、そして泣きました。
今でもちょっと浮いた存在らしいですが、それはまあ個性という事で。
ジュニアの退学と万座行きは今年最大の悩みでした
今となっては彼が自分で選んだ事だし、フリーターといいながらも一箇所で頑張ってる
んだからいいや・・・と思えますが、それも3月まで。
その後はどうするんだろう・・・彼はどうしたいんだろう・・・何もしてやれなかったなと
悔やむ日々です。
姫に関しては、とにかく進学をあきらめた時点から何かが狂ってる印象で
赤ちゃん返りしたような娘にどう接していいかわからない日々が続いています。
社会人としてやっていけるのか。っていうか社会人になれるのか?
どうして我が家の子供達はみな親のいう事を聞かずに(かといって計画をたてる
わけでもなく)後ろ向きなことばかりやらかすのか。
親の薦めに従って、色々諦めて現実を直視して進学を決めている子達も多いのに。
何が違ったんだろうって。
きっと私達、何か間違っていたのかもしれませんね。
多くのものを失った1年
仙台の実家を手放してしまい、思い出を失い故郷に帰る理由をも失いました。
20代の頃から苦労しながらも守ってきた家と土地が・・・・
夏頃から体調不良で随分体力も失いました。
子宮の病気になるとは思っていませんでしたが。来年は手術する事にしました。
髪の毛も減ったし、手荒れはひどくなったし、老いるってそういう事?
年末には一斉に本を処分する事にしました(とはいえ減った感じがしないのはなぜ?)
どうせいつまで生きるかわからないし、子供達にも負担をかけてしまうし。
何だか無常感ばかりですね
先の展望が見えない今、来年への希望はと言われても今はまだみつかりません。
ともあれ、今年よりは少しでも笑いたいと思います。
私が小さい頃から続けてきたただ一つの事に「文章を書く事」があります。
このブログもその一環。
どうやらこれは一生続きそうな感じ。
言葉を飾るセンスがないのでいつも直球勝負ですが、その時々思った事を
書き綴っていこうと思います。
今年一年、みなさまには大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願いします。