地震が起きた朝の時点で、関東では情報が遮断されていたため、事の大きさを把握できていなかった。
天皇はすぐさま被害の状況を聞きたがったが、誰もまともに答えられる人間はいなかった。
皇太子夫妻は2日後に中東訪問を控えていた。
夕方、長田地区の大火事がテレビの画面に映し出されると、
宮内庁の中では「訪問を中止すべきではないか」との声が上がり始めた。
外務省との折衝では、反対する宮内庁、行かせたい外務省との間でせめぎ合いが起こる。
「これだけ大きな災害になっているのです。海外になんて行ってる暇はないでしょう」
「今回訪問する国々は一度、先帝崩御の時にも訪問できなかった。今度もまたキャンセルというのは
相手国に対して失礼です」
「そうかもしれないが、そこは相手の国だって配慮してくれる筈。こんな時に皇太子夫妻が行って
国内で批判を受ける方が恐ろしい」
「あらかじめ決まっていた訪問なんですから反対なんてされません」
あまりにも強硬派の外務省の言い分に、宮内庁幹部も東宮職も首をかしげる。
おかしい。いつもなら事なかれ主義でそこまで積極的にはならない筈なのに。
「皇太子妃のせいでしょう」
と、誰かが言い出した。
宮内庁長官ははっとする。
「じゃあ、オワダ家の意向が?こんな時に海外に行かせるのがあちらの意向?」
「だってほら、マサコ様は死ぬほど海外に行きたがっていますから。去年からオワダ夫妻はアメリカへ
妹達もそれぞれ留学先へ旅立ち、マサコ様は自分だけ外国に行けないと非常に不機嫌で」
「だってそれはお世継ぎを一日も早くという配慮もあるし、まだ皇室に入って1年。一体、お妃は
何の為に皇室に入ったのだ」
「皇室外交する為に決まってるじゃありませんか。彼女には最初から世継ぎなんて産む気はないでしょう
その言葉に長官は絶句した。
こんな宮内庁の人々の感想はあながち外れてはいなかった。
皇太子夫妻は意気揚々と「中東訪問のあいさつ」の為に参内したからだ。
時間が経つにつれて被害が予想以上に大きく、テレビの画面にはひしゃげた高速道路が
つぶれたビルが映し出され、焼け野原の神戸の街に、みな恐怖した。
この大地震が山間部でもなく、日本の果てでもない、都市部で起こった事が大事だった。
美しく整えられた都会的でおしゃれで最先端を行く町が、一瞬にして崩壊したのである。
日本人なら誰も思ったろう。
高度経済成長時代、技術の粋を集めて作られた高速道路がひしゃげるなんて考えられるだろうか?
耐震設備がしっかりしている筈のビルがこんな風に簡単に崩壊?
火事があっという間に広がって、建物の下敷きになって多くの人々が亡くなっていく。
最先端の技術も、文明も一瞬にして消え、そこは無法地帯となった。
美しい街並み、おしゃれで都会的でハイソな町が今は・・・・電気がない真っ暗闇で水の確保にも苦労する。
どうやって今日の糧を手に入れようか。
生き残った人はどうやって家族の安否を確かめたらいいのか。
そんなパニックになった関西の街。
政府関係者は前代未聞の事にあたふたとして、きちんとした陣頭指揮が出来ない。
それは奏上に来る政府関係者の態度で天皇にもわかっていた。
「この訪問は中止した方がいいのではないか。一日も早く被災地に赴くべきではないか」
天皇の言葉に皇太子は絶句した。
まさか挨拶に行って止められようとは思っていなかったのだ。
「でも、随分前から決まっていたことですし。政府がそうしろというんですから」
皇太子は反抗的な態度でそう言った。
ここまで来て中止になるなんて考えられなかった。こちらはもう準備万端整っているのだ。
「私たちが訪問を中止してもどうにもなりませんし。これは正式な訪問ですから」
天皇はいつになく熱っぽく語る皇太子に対して何も言わなかった。
皇太子は少々うんざりしていた。
今上の世になって以来、奥尻島の津波やら雲仙普賢岳の噴火やら、自然災害が多く起きている。
「国民と共に苦楽を共にする」と宣言した今上は、事の重みを回りの予想以上にさらに重く受け止め
そういう事が起きた時は、月命日には黙とうをささげ、祝い事を一切禁止し、外出も控えるありさま。
そうでなくても今上の信条として「日本には忘れてはならない4つの日がある。原爆の日が二つ、沖縄終戦、終戦記念日」
としてこの日は黙とうを捧げ、外出を控える風習があった。
当然皇太子もそてにならってスケジュールを調整しているのだが、そういうものが増え続けるのではないかと
心配しているのだ。
いささか過剰反応ではないかとすら思い、「面倒だな:と思っている。
マサコはその点、もっとドライな感覚だった。
すなわち、「これだけの事が起きても人々はふつうに暮らしている」という考え方だ。
神戸で地震が起こって大勢死んだからといって、日本中の人が仕事をやめるわけではない。
株式市場は開いているし、政府も仕事を続けている。つまりこれは「その場所、その地域の人々にとっては
気の毒な状況だけれど、自分達にはあまり関係がない」
という事なのだ。
皇族も同じ。こういう事態に陥っても自分達の海外訪問には何の関係もない。
ゆえにマサコの脳内では、自粛とは訪問中止とかそんな単語は一つも踊っていなかった。
そんな価値観の違いゆえに天皇には参内してきた皇太子夫妻が、他人事のように震災を語り
「では行ってまいります」と帰って行った事に不安を覚えた。
「仕方ないのです。今回は日が迫っていたのですから」
皇后がそっととりなす。
本当にそうだろうか。あの夫婦に日本で起きた・・国体を揺るがすほどの天災に対する思いが
あるのだろうか。
とにもかくにも皇太子夫妻は中東へ旅立った。