まず・・・・コメント欄「宝塚総括」に名無しさんが書いて下さってますが
みなさんはどう思いますか?
本人は書き逃げした可能性もあるとは思うんですが、時々この手のコメントが来て
これを考え方の差と見るか、私の至らなさなのか・・・とちょっと考えたので。
ぜひご意見をお願いします。
宝塚ジャポニズム 序破急
植田紳爾という人について
私も10年くらい前までは「植田先生の作品は古くて現代に合わない」と思ってました。
「少しも早く」とか説明が多すぎ、4文字熟語が多すぎ、外国の話なのに日本的な思想で描くとか。
言葉遣いの一つ一つが古いとか。
大方みんな同じだと思います
でも「ソルフェリーノの夜明け」を見た時、ちょっと考え方が変りました。
「植田先生は大衆芝居というものをとてもよくわかっているからこそ、悲惨な戦場シーン
や血だらけのシーンの前に敢えて関係ない「ベルばら」風オープニングを入れ、
盆回しを使うことなく、わかりやすくセリフを書き、彩吹真央他退団者の見せ場をきっちりと
ストーリーの中に組み入れた」
この所、退団者に優しくない演目が多くて(「仮面の男」の晴華みどりは悲惨だった)
彩吹の「雪のように花のように」や、未来優輝と水夏希の掛け合いにファンは涙を
禁じえず思い切り泣けてうれしかったし。
こういうファンの願望をかなえてくれる演出家こそ素晴らしいと思ったんですね。
で、今回の場合、植田先生は仏教に帰依したわけね・・・・・と
舞台のよしあしを語るよりも「植田先生も歳をとったんだなあ 仏様にすがるようになったのか」
という感慨の方が強くて。
こういうショーを作った先生の心理分析をするなら
「100周年を迎える宝塚歌劇団の未来は決して明るいものじゃない。
小林一三先生の理想が破られ、劇団そのものが「清く正しく美しく」を忘れてしまった。
生徒達も日々精進を忘れ、技術的も精神的にも成長していかない。これでいいのか。
このままではやがて必ず歌劇団は滅びる
今こそ、歌劇団を創設当時の理想に戻し、「ベルばら」4強のような絶対的なスターを
排出せねば。柚希礼音は宝塚の救世主(大日如来)である」
という事になるんでしょうか?
そこにあるのは怒り
プログラムを読んで、2部破B「千体仏」のシーンで、慌てふためいたように仏たちが
駆け抜け、そこに大日如来が登場して怒りを鎮める・・・というシーンがありました。
また3部B急「荒城の月」では、秀頼が死ぬシーンが・・・まさに「滅びの美学」ですね。
台湾公演に持っていく、99周年のプレお祝いショーという事を鑑みると
何で今、こんな内容に?と思わざるを得ないんですが
植田先生としては薬師寺に行ったときに、弥勒菩薩の微笑みにいら立ちや蔑みを感じた
というくらいだから、相当頭にきているんだなあと。
そういう感情を率直にショーにぶつけなくてもいいじゃないか。
でもベジャールを参考に作ったというなら、それもありかなと思ったり。
(WOWOWで見たベジャールの「カブキ」が似たような感じでしたし)
ストレートに感情をぶつけるのはいいけど、延々とお経をきかせるのはどうかと思います。
まるで・・・某学会に勧誘されているような?松本悠里さんの上半身のみの弥勒菩薩様に
してやられているような気がして。
大日如来の後ろに梵字っていうのも驚愕で。何でそう思うかって、やっぱり歌劇団と某・・が
むにゃむにゃでちょっと複雑なんですわ。
そもそもあのシーンは「日本物」じゃあないですよね。
桜と荒城の月の間にサンスクリットが入ったという異様なショーでした。
帰り、友人に
「春麗の淡き光に」のオープニングと「スサオオ」のエンディングをつなげただけで
いいんじゃない?」って言ったら「ああ、なるほど」と頷かれました。
海外に持っていくんだし、プレお祝いなんだし、こういう世の中だからこそ
どこまでも「日本賛美」で行って欲しいというのがファンの正直な気持ちです
あ・・・でも、ありがたいお経を聞く事が出来たし、柚希大日如来に戒を授けていただいたので
きっと今年はよい年になると思います。
台湾で受け入れられるかは・・・・・・・・・・・・・ 「反日封じ」にはなるかも?