アキシノノミヤ夫妻が震災2年目の追悼式に出席した日。
その日はひどく寒かった。
人々の記憶の中には、あの日のもっともっと寒くて冷たくて悲しい思い出がずっしりとのしかかっている。
そんな遺族の顔をみているうちにキコは思わず涙ぐんでしまった。
笑顔でみなを励まして・・・と思っていたのに、遺族らの「哀しいけれど生きていくしか・・・」という言葉を聞いた時、
思わず涙が流れてしまったのだった。
震災で家族や友人や恋人を失い、大きな喪失感を抱えつつ2度目の冬を迎えた人達。
こんな風に追悼式に参加しても、彼らを慰める事は出来ないのかもしれない。
しかし、何と彼らは強いのだろう。雄々しいのだろう。
泣いても泣いてもいつかは這い上がる。そんな強さを見せられて、キコは感動したのだった。
先年の「アキシノノミヤはタイに愛人や隠し子がいる」説はまだくすぶっている。もはや都市伝説化している。
それだけではない。
自分が宮の子を堕胎したとか、そういうありえない事までまことしやかに語られているのは
どんなにおっとりしたキコでも知っていた。
そしてその都市伝説化は、表だって言われるよりも傷つく。相手はそれをそれを承知でやっているのだろうか。
相手・・・相手とは一体誰なのだろう。
学習院の大学内でもさまざまな噂が広がって、カワシマ教授の元に送られてくる。
「真実はいつも一つ。黙っていればいずれわかる日が来るから」
と父は何も言わず、どんな噂を立てられようと、脅迫めいた電話があろうとも黙っている。
そんなひょうひょうとした態度を尊敬もするが、母もいるし弟もいる。自分のせいで彼らを傷つけたくない。
「キコ、もう涙をぬぐいなさい」
隣の宮がちょっと厳しい目で言った。
公の場での宮は見事に「私」を隠している。新婚当時はそんな事はなかったけれど、あの愛人騒動以来
殊更に行動に表裏や感情が入らないように気をつけているようだ。
それが宮の思いやりなどだと思うと同時に、そんな事しか出来ない自分達がはがゆかった。
「僕たちは与えられた公務を粛々と行うしかない。たとえマスコミがどんな嘘を書こうとも、であった人達には
わかる筈。僕たちがこういう人間であるという事を」
それが宮の持論。
「寒い日が続きますが、お体はいかがですか?」
仮設住宅に住む人たちに優しく声をかける。
「はい。何とか慣れました・・・今はただ頑張るしかなくて。死んだ人の為にも」
本当にその通りなのだ。
(頑張って。本当に本当に頑張って)
キコは心のそこからそう思った。
アキシノノミヤ夫妻が粛々と・・・という思いは多分、多くの被災者に伝わっている筈だった。
前年、神戸を訪れつつも被災者に会わずに帰った皇太子夫妻と随分違う・・・・・と。
ヒサシはいら立ちを隠せずに歳を越した。
自分の今後の去就がきっちり決まらない現実。
年齢的にはもう70近いのだから引退し、悠々自適の生活を送れと・・・外務省は暗にそういっているのかも
しれないが、自分としてはそんなつもりは毛頭ない。
自分の野望は「皇太子妃の父」で終わる筈がなかった。
事は今、始まったばかりなのである。
かつて先祖が海を渡ってこの国来て、辛酸をなめた。
「何で私達がこんな貧しい暮らしをしなくちゃいけないのか。あんまりだ。運命とは思えない。
これはどこが悪い?国だ。この国が悪いのだ。国を根本的に変えなくてはいい筈がない」と。
ゆえにヒサシの考え方は一貫して「日本は悪の国」であった。
かつて中国や朝鮮を侵略し植民地化した。もし、そんな事がなかったら自分達の先祖も海を渡ることなく
平和に暮らしていたのかもしれない。
敗戦国である日本が、戦勝国の朝鮮や中国よりも先に先進国になった。
それは理不尽であり、悪行にほかならない。
そんな日本を正す為にこそ、自分は東大を出て外務省にはいり、権力を手にしてきたのだ。
この日本を正しい道に導くために。
その正しい道とは・・・・・まず皇室を解体し、身分の差を無くすこと。
中国や韓国と手を取り、アジアでの共栄圏に入る事。宗主国は中国。
日本はその庇護の元に平和に暮らせばいいのだ。
ゆえにマサコを皇室に入れたのだ。
娘は言いつけどおり皇太子妃になった。娘の好みとは正反対の男だったが御しやすそうだったから
無理してでも嫁がせた。
結婚してしまえば、東宮御所を拠点としてしまえば何だって出来る。
なんせ、皇太子とは将来の天皇なのだから。
しかし、一つだけ誤算があった。
それはマサコが妊娠しない事。
結婚3年目を過ぎ、週刊誌はますます「ご懐妊報道」を加熱させてくる。もはや、ヒールの高さどころではない。
太っても痩せても笑っても泣いても「ご懐妊か」とそればかり。
娘本人もうんざりし、東宮御所では側近に当り散らしているというが、それなら早く妊娠すればいいものを。
「まあちゃんが・・不妊症じゃないかっていうのよ。ひどい」
ある日、ユミコが東宮御所から帰ってきて憤懣やるかたないという顔でそういった。
「不妊症かもしれないから検査をするようにって宮内庁がうるさいらしいの。勿論、断ったって。
失礼な話よね。うちはそんな家系じゃないわよ。原因があるなら皇太子でしょう?
だって天皇家って血が濃いから」
まるで下世話な井戸端会議のようだ。
「お医者さんが来たんですってよ。それで基礎体温を測れっていうからマサコが怒ったんですって。
無論、殿下も怒ってね。プライバシーに口出しするなってそりゃあ怖かったそうよ。
あの温厚な皇太子殿下が怒るなんてねえ。
でも、フランス行きがダメになったでしょう?次はドイツなんだけど、それも危ないかもって。宮内庁が
意地悪して行かせないようにしているらしいわ。宮内庁ってそもそも弟の宮の方を好きなのよ。
だからまあちゃんにいじわるするんだわ」
「ふうん」
まともに話を聞いているような、聞いていないような・・・そんな態度でヒサシは答えた。
不妊症。男としてはどうとらえていいかわからない問題だった。
男性の不妊症もあるにはあるが認知度は低いだろう。まだまだ「不妊」といえば女が原因とみられる。
娘がそういう体質かもしれないとは想像もしていなかった。
ヒサシの兄弟は多いし、親戚も沢山いる。エガシラ家はユミコ一人だが、3人の娘に恵まれている。
この状況で何でそういう体質と言えるだろうか。
そして宮内庁のアキシノノミヤ贔屓。これは聞きづてならなかった。
どうせ保守派のカマクラ長官あたりがそうなんだろう。
だとしたら東宮大夫か東宮侍従長あたりに自分の子飼いを入れて、いずれは長官の座に上らせるか。
すでにいくつか手を打ってある。
まず、アキシノノミヤの愛人騒動。この火を消さぬ為に都市伝説化しようと、学会の手を借りる。
外務省のオオトリ会はそういう意味ではかなり使える。互いに協力しあえる組織だ。
学者一族のカワシマ家も気に入らなかった。
たかが教授の分際で漢詩なんぞを読んで自分には学があると勘違いしているのではないか。
学習院の教授と外務省とどちらが上か、すぐにわかるのに。
なのにヒサシの脳裏に浮かぶカワシマ教授の顔は、といかくムカツクの一言に尽きる。
偉ぶりやがって。ひょうひょうとしやがって。動じないつもりか?
和歌山の名家か何か知らないが、あっちだって庶民の出ではないか。なのに俺たちを見下しているように見える。
このままほっといたらカワシマ一家がアキシノノミヤ家の後ろ盾になりかねない。
という事で、時々電話で脅迫したり、不審なファックスを出したりしているが・・・何の反応もない。
娘が結婚前に堕胎したという噂は相当堪えている筈なのに、一切の表情を見せない。
宮家を訪れる回数が減ったのだけが救いか。
ニューヨークの新聞や雑誌には時折、「マサコ妃はかごの鳥」というタイトルの評論を載せている。
日本は自国の評判よりも外国からの評価を信じる傾向があるから、外国紙が
「旧弊で時代に合わない皇室でマサコはかごの鳥のように閉じ込められすっかり個性を失った」と書けば
読者は同情し「なんてひどい皇室」だと思うだろう。
それにプラスして「子産みを強要」と書かせればいい。
とはいえ、マサコがこののち、一人も子供を産まないのでは困る。
「マサコに一度検査を受けさせろ」
ヒサシは言った。
「なんですって?不妊かもしれないっていうの?」
「わしにはわからん。しかし事実がどうだか知りたいだけだ。このまま子供を産まなかったら
皇統はアキシノノミヤに行くんだぞ。それでもいいのか?」
「・・・・・・」
「マサコが原因でも皇太子が原因でも、とにかく一人は子供が欲しい。それも男を。何が何でも
産んでもらわねば困る」
「子供は授かりものでしょうよ」
「じゃあ、何で授からないんだ?何かこっちが悪い事でもしたのか?」
「そうじゃないわよ。でも天皇家っていうのは近親婚が多いから」
「我々のような立場の弱い人間がそんな事を言っても誰が信じてくれる?全部マサコのせいになるだけだぞ。
だからそうならないように先手を打つ必要性があると言っているのだ」
「・・・わかりました」
ユミコは逆らわずに言った。
アキシノノミヤ・・・・・皇位継承権第2位の男。この男を何とか潰さないと。