「皇太子殿下ご退位なさいませ」を載せた雑誌とはとても思えないのですが、
この方向転換をどうとらえたらよろしいのでしょうか?
まるでどなたかが書いたような回りくどい文章なので、わかりやすく意訳し、さらに意見を述べさせて頂きます。
新潮45−鳴門真彦「雅子妃適応障害の核心」
雅子妃にとってそこまでの(皇室入りしてから皇后になるまでの)道は美智子皇后が
たどったよりもはるかに険しい。
ほとんどの国民は理解していない。
雅子妃は美智子皇后が経験することのなかった重荷を背負っていることを。
そして、その重荷をこれからも背負っていかなくてはならないことを。
結婚してすぐ男子に恵まれた皇后に比べて、雅子妃の方がプレッシャーがきつい生活をしている。
そんな事もわからない国民は好き勝手な事を言って(「皇后様は体調が悪いのにご公務に励んでいる」だの
「お歳を召された皇后さまだって公務をされているのに」)と皇后の味方をしている。
でも本当に「お可哀想」なのは雅子妃なのだ。なぜなら・・・・
美智子皇后の受けたプレッシャーは「血筋」です。それは「男子を産む」プレッシャーよりも深くて抵抗できないもの。
ご先祖様がどこの誰でどのような血筋でそのDNAを受け継いでいるかいなかこそが皇族の条件と言われた
辛さがわからないのでしょうか?
無論、雅子妃の重荷が「男子を産めない」と「血筋」と両方ある事には同情する。けれども、男子を産むプレッシャーは
紀子妃出産で解決した筈。感謝こそすれ、恨む筋合いはない。
その重荷こそが雅子妃の苦悩の核心であり「適応障害」という病名は核心を
糊塗する表層にすぎない。
重荷とは「皇位継承者たる男子を産めなかった皇太子妃」
雅子妃の病気の核心は「男子を産めなかった事」であり、それ以上でもそれ以下でもない。
「適応障害」≒うつ病なんて嘘嘘。
昭憲皇太后が男子を産めなかった事で、明治天皇は側室を多く持ちました。
それは義弟の嫁が男子を産むよりつらかった筈。しかも、生まれる男子は次々死亡し生き残ったのが
大正天皇だけでした。昭憲皇太后は大正天皇を実の子のように慈しみお育てになった。
「チャン・ヒビン」におけるイニョン王后は男子を産めない事で大変なプレッシャーを受け、側室・チャン氏に
息子が生まれ、表面的には「王妃の子」とされても実際はなかなか世話を焼く事も許されず、いじわるされて
結果的には早死にしてしまったけれど、誰をも恨むことなく、最後まで世子を慈しみ、またチェ氏が産んだ次男をも
慈しみました。
昭憲皇太后もイニョン王后もなぜそんな事が出来たのか。それは「王妃」「皇后」の役割を「世継ぎを産む事だけではない。
自分は国家の母である」という意識によるものではなかったかと思います。
皇后とは国家の母、国民の母であって世継ぎだけの母ではない。そして「世継ぎの教育者」である事が求められるのです。
雅子妃が感じているという「重荷」は的外れです。
何を被害者ぶっているというのか。弟一家に産児制限を課するような冷酷な心の持ち主が。
マスコミその他がこの核心からそれた情報を発信したせいで国民は
雅子妃の適応障害の隠喩であることが
理解できず、彼女を押しつぶした重荷の実像が見えてない。
昭和天皇と香淳皇后は子運にも多産系の夫妻だった
、外れクジはいつか誰かが引く運命にあった。
マスコミは雅子妃が「皇室に不適応」「皇室に向かない人」という情報を流したせいで、国民は
雅子妃の本当の「苦しみと悩み」に気づかず、押しつぶした。
「男子を授からない」という現象は、誰かが負う運命にあったのだ。
国民は「男子を産んでほしい」と思う前に「立派な皇太子妃になって欲しい」と思っていました。
結婚当初から「微熱」「体調」で公務をドタキャンしたり、静養し続けたり遊び続けたりするのではなく
ちゃんとやるべき事をやって欲しいと思っていたのです。
ご懐妊しない事についても、国民は温かく見守っていました。
むしろ「皇室外交と出産とどちらを選ぶか悩んでいる」みたいな発言をして国民を驚かせたのは雅子妃の方。
不妊治療だって、当時最高の医療チームを結成してもらい、一般の不妊女性に比べたら、どれほど恵まれた
環境にいたか。それを侮辱を受け止めて利用しなかったのは雅子妃の方ではないですか?
恨む先が違うのでは?
94年2月9日の記者会見でご懐妊への期待についてプレッシャーを感じていないかという質問へ
「とくにそういうことも」と妃が受け流したのは本心ではなかったはず。
記者の質問は国民の声を代弁したものだが、雅子妃には鉄の塊を
脳天に打ち付けられたように響いたことだろう。
94年2月9日の会見で「懐妊」という問題について受け流したのは雅子妃の本音ではない。
実は鉄の塊を脳天に打ち付けられたように屈辱を感じたのだった。
94年2月と言えば結婚して半年たらず。そこで「鉄の塊」を打ち付けられたように響いたという事は
すでに自分が不妊症である事をしっていたか、あるいは「何が何でも子供を産みたくない」と思っていたに
他ならないと思います。
つまり「子供を産みたくなかった」事が本音なんですね。
男子を産む事を絶対使命とする天皇制とそれを当然のように期待する国民。
日本全体が一人の女性に過剰な負担を負わせている状態だが、自分が同じ
立場だったらと考える人間はほとんどいなかった。
天皇制(男系男子)そのものを当たり前のように受け入れている国民はおかしいんじゃないか?
「もし自分が男子を産めと言われたら」と考える頭もないのか?女性差別でしょう?
一組の夫婦が結婚したら子供を授かりたいと思う事を当たり前と思ってはいけないようなニュアンス。
伝統ある家が(皇室や伝統芸能)それを継承する事を当たり前と思ってはいけないニュアンス。
これはいわゆる「反民族性」ではないか?
気の毒と思うからこそ女性週刊誌は擁護を重ね、国民は愛子内親王が生まれた時に喜び
悠仁親王が生まれた時に「これで雅子妃もプレッシャーから解放される」と安堵したではないですか。
なぜに国民を恨むのか?
皇太子妃の役割が「男子を産む事だけではない」というなら、それを証明してみせればよかったのです。
「公務」という形で。皇后陛下は文学や歌を学び、紀子妃は手話を学び、それぞれの分野で大成しているのですが。
「皇室外交」とは外国に行くだけでなく、国に来た公賓を迎えるのも仕事の筈。自分の家の玄関先にすら出てこない
のに不平不満を言うのは間違っているのでは?
愛子内親王誕生時の高松宮妃の言葉「一姫二太郎」のメッセージは
「男子を産むまで、あと2度でも3度でも
チャレンジを続けろと要求している。
高松宮妃の言葉「一姫二太郎」は「次は男の子ね」という姑のような意味だ。
違います。「最初は女の子でよろしいのよ。きっと二人目は男の子よ。気楽に考えて頑張りましょう」の意味でした。
高松宮妃は皇族方の中で一番雅子妃に同情的だったのに逆恨みするとは。
子供を持つ時、「出来れば男の子と女の子が欲しい」と思うも自然だと思うし、「最初は手がかからない女の子を育てると
男の子が出来た時、大夫楽よ」とアドバイスするのも自然だと思いますが。
雅子妃は格言の意味を知らないのですか?
皇太子妃が受ける重圧を知らぬはずもない皇族が、苦悩と苦闘の末にやっと
第一子を産んだばかりの
雅子妃にこのような事を言う。これが皇室の非常な裏面なのだ。
皇太子妃が重圧の末にやっと子供を産んだっていうのに、こんな非常識な事を言う。これぞ皇族・皇室なのだ。
高松宮妃自身、お子様に恵まれず、そのプレッシャーたるやさぞお辛かったと思いますよ。
それゆえ、8年目にして子供を産んだ雅子妃に大変喜ばれたし、自分のような思いはしなくて済むと安堵されたと
思います。なんら非常ではありません。
それとも、高松宮妃に「いいのいいのよ。私も子なしだからあなたも産まなくて。産むことないない」とでも
言って欲しかったのでしょうか?