雅子妃入内はマスコミ操作の結果
血筋もよくない家柄も悪い、他のお妃候補の中でも「ハーバード大卒外務省勤務」の肩書以外には
何も取り柄がなかった小和田雅子嬢が最終的にお妃候補に残り、見事入内にこぎつけたのは
皇太子の「執着」もありますが、やっぱりマスコミ操作のうまさが一番だったと思います。
中韓が得意とする「なかった事をさもあったように報道して、いつのまにかそれを真実と思わせる」
という手法。
無論、小和田氏一人が出来た道理はなく、外務省、政治家、学会などが資金提供した筈。
そうでなければマスコミを誘導し操作する事は不可能ですから。
そもそも皇太子のお妃候補が現れる度に、表面化する前に雑誌にがんがん取り上げ、逃げ出すように差し向け
「親子二代で外交官に」などと小和田雅子嬢を雑誌に取り上げさせ、記者がはりついて取材していた・・・・
その事自体が異常だったと言えるでしょう。
雑誌社だって彼女がチッソの社長の孫である事は知っていた筈ですし、それなのにイギリスまで追って行った・・・
この時から印象操作は始まっていたんでしょう
昭和天皇は反対し、宮内庁も当然反対。一時は皇太子も納得したのに、平成になると、盛んに皇太子が
小和田雅子嬢に執着しているように書き立てる。
皇太子自身、そんなマスコミ操作に影響されて「自分は雅子さんを愛しているのだ」と思い込んでも
しょうがなかったかも 東宮御所には呼べば喜んで来るし、長々居座ってくれるし、そんな体験初めて
だったんでしょう。
じゃあ、当の雅子嬢はどうだったんでしょうか。
当時は「外交官というキャリアを捨てて皇室に人身御供になった」と言われたものです。
その印象は20年経っても払しょくされていません 信じ込んでいる人は今もやっぱりそう思っている。
でも、本当は違うと思います。
彼女はすでに外務省北米二課において浮きまくっていたんだと思います。
華々しく外務省に入省したものの、国費留学したオックスフォード大学では同期の中で
ただ一人修士が取れず、帰国してからも「小和田の娘」として目立つ以外には重要な仕事を
任されるわけでもなく、表面的には何気ない風を装っていても回りの冷たい視線を感じ取って
いたに違いありません。
それを自分の不徳の致す所と思うのではなく、「私を正当に扱わない回りに復讐したい」と考えるのが
雅子嬢のメンタリティ。
皇室に関しては江頭家の祖母に「浩宮さまってお偉いの?」と聞く程に感心がなかった。
それは私達世代なら当然のことです。
なんせ日の丸も君が代も否定されている時代ですから、皇室フリークだって「こっそり」しないと
「あの人は右翼」なんて言われてしまうんですから。
昭和30年代後半以降の子供達は浩宮・礼宮・紀宮と同世代にも関わらず、ほとんど知らずに育ったと
いっていいでしょうね。
たとえ知っていても「皇族って生活の心配しなくていいから恵まれてる」とか「でも自由がないから可哀想」くらいかな。
浩宮や礼宮がお古のランドセルや学生服を着てたり、紀宮がこっそりディズニーランドへ行ったと報道されても
ちっとも羨ましくなんかなかった。
だって皇族というのは、特権階級ではなく「何となく一般人とは違う役目を負った人達」だったから。
しかし、皇太子は日本の皇室の在り方をイギリスの王室とごっちゃにして帰国してしまいました。
当時、さかんに「ヨーロッパ一大きなイギリスの王室を参考に開かれた皇室を作るべき」とマスコミが喧伝していました。
イギリスと日本では皇室と王室の役割が全く違うのに「女王」を立てている事が素晴らしいとか、
王族が普通に町で飲んだり騒いだりする事が開かれているとか言われていました。
雅子嬢も多分、チャールズ&ダイアナ時代のイギリス王室を見てる筈ですので、日本の皇室というのは
日本一セレブでお金持ちで豪華な生活が出来る場所だと勘違いしたのかもしれません。
当時、ダイアナ妃はバカンスでスペインに行ったり、アメリカのディズニーランドに行ったりと・・・
そりゃあゴージャスなロイヤルライフを送っているように見えましたから
そんな皇室の、将来天皇になる人と結婚すれば、今まで自分を馬鹿にしていた人達が全員格下になって
自分にひれ伏すだろう。
そう思ったんじゃないかと。勿論、そうそそのかしたのは父親である小和田恒氏だと確信していますが。
皇室に入れば妃殿下としての公務があり、世継ぎを産む義務もある・・・・そんな事は頭でわかっていた事
だったでしょうし、出来ないなどとは思った事もない。自己評価が高い人にありがちな価値観を持ったまま
彼女は人生のリベンジの為に皇太子と結婚したのだと思います。
いつの間にか結婚が決まっていた?
それでも雅子嬢は最後の最後までぐずぐずと心をきめなかったのではないかと私は思っています。
皇太子は好みの男性ではない。好きじゃないのに何で東宮御所に招かれたら行くの?と友人に聞かれて
「興味本位」と答えたらしいです。
つまり、「東宮御所に呼ばれる私」「皇太子に求愛される私」が素晴らしいのであって、例えば皇太子と共に
生きて生きたいとか彼の子供を持ちたいとか、そういう普通の女性の感覚はゼロだったろうなと。
外務省の友人に「この間、東宮御所行ってねえ、皇太子殿下とおしゃべりしちゃった。あの人、私にぞっこんみたい」
と言えば、回りは「へえ、すごいわねえ」というでしょう?
「結婚するの?」と聞かれれば「さあ・・・でもあっちもしつこくて」くらいは言ったかも。
半ば呆れられているのもわからずに得意になっていたかも・・
現実問題、皇室の中でやっていく自分を想像した事など一度もないのではないかと思います。
キャバクラのホステスがお客を毎日通わせる為に、何となく好きっぽいそぶりを示しつつ、肝心な場面になると
顔をそらすとか「時間がなくて」とか言い出すのとよく似てますよね。
そんなつもりで付き合っていたら外堀がどんどん埋め込まれていって、にっちもさっちもいかなくなったんでしょう。
本当は少しも頭がよくなくて賢くもさとくもなく、毎日適当に贅沢して海外旅行しておいしいものを食べるのが
一番の楽しみ・・・そんな娘の本質がわかっていながら自己の権威欲の為に無理無理「ハーバード大卒」の肩書を
つけて真逆の世界に放り込んだ父、小和田恒氏は鬼のような父親です。
突如、海外配信された「皇太子妃決定」のニュースを受け、宮内庁が「え?」と驚いた瞬間にはすでに
事は決まっていた。既成事実化してしまった結婚。
体面を重んじる皇室の裏を読んで、絶対に断れないような囲いを持って決めてしまった結婚。
雅子嬢は「皇室の人身御供」ではなく「父親の手駒」にされただけです。そういう意味では「お可哀想」ですね。
さすがの小和田側も、娘が日本の伝統にうとく興味もなく物覚えも悪い事を知っていたのでしょう。
「ハーバード大卒」の肩書を有効に使い「頭がいいのでお妃教育は半分の期間」にしてしまいました。
神道に関する事は英語版を使いました。英語で神道が語れる筈もないのですが、日本語・・古語に疎かったのでは?
と、思います
それでも、「民間妃の美智子妃が出来た事が我が家の娘に出来ない筈はない」と思っていたでしょうね。
ところが、入内前からミキモトパールからへんてこな接待を受けた事をとがめられ、金箔の箪笥を「下品」と
突き返され、皇室固有のしきたりや伝統に小和田家自身が戸惑い、大いに傷ついたものと察します。
彼らにすれば、「近いうちに皇太子妃になる娘」の為に色々な場所から貢物が来るのは普通の話だったでしょうし
箪笥も世界一豪華な物を・・・と思った筈。それのどこが悪いと。
財力を誇示し、権威に人がひれ伏す楽しみを奪われ、ひたすら「控えめに」と言われる事にプライドが傷ついたに
違いありません。
雅子妃本人も、最初は「こんなに待遇がいいならもっと早くくればよかった」と言っていたようですが、数か月先には
もう結婚生活に挫折していたようです。
皇太子の誤算 雅子妃の挫折
雅子妃が本当に外務省で「外交官」の仕事がしたかったかどうか・・・・それはわかりません。
マスコミは「外務省のエリート外交官だった雅子さん」と報じていましたが、実際は外交官ではなく
外務省勤務の1事務職程度でしたでしょう。
肝が小さい上に知らない人とコミュニケーションを取る事が苦手な彼女が、「外交」などという、不特定多数の
人達の心を動かす仕事に向いていたとは思えないし、そんな事、やる気もなかったのでは?
実際、婚約が決まってから半導体関係の会議で通訳をさせられた時に出来なくて、途中で泣いて帰った・・・というのは
有名な話
臨機応変に対処し、より適切な言葉を選んで話す能力が極端になかったものと思います。
それなのに皇太子はプロポーズの時に「外務省でやる外交も皇室でやる外交も同じでしょう」と説得したというのですから
実際、彼も彼女の事を何一つ知らなかった。
本質をみないでマスコミの宣伝した「優秀な雅子さん」を信じ込んでいたものと。
雅子妃は雅子妃で夫となる皇太子の性格や本質を全くみずに、彼がいる環境を得る為に結婚したんでしょう。
互いに本音を言ってしまったらうまくいかないとわかっていたのかも。
皇太子は「雅子さんの事は一生僕がお守りします」と言った・・・と雅子妃の口から出た時、どう思ったんでしょうね。
言質を取られた・・・などとは思わず、ちょっとかっこいい自分を想像しちゃったかもしれません。
でも国民からみれば「一体何から守るの?」だったわけで。
皇太子にとってその「何か」というのは、当時における「反対勢力」である宮内庁や皇族方、学習院関係者、そして
旧皇族や旧華族だったと思います
皇太子の記憶の中には、「民間妃」という事で貶められている母の姿が焼き付いていた筈。
血筋が家柄がと責めた人達に「皇太子妃はハーバード大卒」の学歴で対抗したかったのではないかと。
そしてこれだけ頭のいい人なら宮中のしきたりんどすぐに覚えられるし馴染めると誤解したのでしょう。
けれど結果は大誤算。
馴染むどころか、学ぶどころか頑なに自分を貫き通しやがて皇太子も取り込まれていきます。
私は雅子妃はなんらかの発達障害だと思っています。
与えられたテストなどでは好成績を出す事が出来るけれど、他人とのコミュニケーションをうまくとる事が出来ず
言葉のニュアンスを察したり、相手の気持ちに共感する事が出来ない。
「壁を乗り越えろ」と言われたら「どこに壁があるんですか?」と聞くタイプ。
こういう人は昔からいたし、特殊な能力を持っているタイプが多くて、決して悪い事ばかりではない筈なんです。
けれど、彼女が本来持っている筈の「何等かのいい部分」を表現する事が出来なかった、皇室の中で
生かす事が出来なかった原因は、彼女と周囲の「思い込み」によるものでは?
皇族の主な仕事の中に「学問」があります。
それぞれの研究テーマを持ち、それを極めて行くという伝統です。
雅子妃が本当に勉強好きで成績優秀者なら、好きなだけ学問が出来る皇室はうってつけの場所だった筈です。
どんなにストレスを感じても、好きな本を読み、好きな研究をし、それを一つにまとめる作業は癒しにもなったでしょう。
でも彼女には一つもそんなエピソードが出て来ません。
夜中に専門書を読んでいたとかいう話はあっても、どんな種類の本をどれ程継続して読むかとか、
どのような分野が特に興味があって専門家を読んだり・・・というような話は聞きません。
それを止める人はいなかったと思います。
皇室入りして数か月後には疲れて公務中に居眠りしたとか、個性が消えたとか言われたのは、そもそも本人の
思惑と違う所に皇室が存在してて、コミュニケーションもとれず察することも出来なかった彼女は、
自分がまるで宇宙空間に放り出されたような気がしたのではないかと思います。
20年目にして、適応障害の原因を「男子出産を強要された為」だとマスコミは言い始めました。
それは結果的に「男子出産ごとき学歴もいらない、どんな馬鹿でも出来るはずの事が出来なかった自分」
の挫折感が攻撃的に言わせているセリフです。
確かに、妊娠も出産も学歴やお勉強は必要ありません。妊娠したら最後、どちらが生まれるかは神様の手に
委ねられます。
それが全く自分の手に負えなかった・・・しかも女児だった・・・という事に「私のような特別に選ばれた人間に
なぜ?」という思いが今も抜けないのでしょうね。
でも、思います。愛子内親王が正常な11歳の少女で、雑誌などに「母君は男子出産できなかった事が原因で
適応障害になった」と書かれたら、すごくショックを受ける筈です。傷つくでしょう。
だからこそ「女帝を」と小和田側が言いたいのかもしれませんが、通常の外戚でもこんな仕打ちを孫にはしない
だろうなあと思います。
まことに鬼のような祖父母です。そしてそれに乗った「新潮45」と友納尚子氏も人間とは思えない冷たさを
持っている。このような「相手の気持ちがわからない」人々である事が「小和田」なんだとしたら、友納氏、鳴門真彦氏も
実は誰かわかるのではないでしょうか?
そして報道を全く否定しようとしない皇太子夫妻もまた自分達の利益にのみ支配されて、愛娘の感情にまで
配慮が及ばない、ひどい親だと思います。