夏休み・・・・課題は急いで先へ行きたい。けれど、ちょっとだけ待って下さいね。
またニュースパッケイジチェイスから読み取ります。
お妃選びの条件
ここではまず、「皇太子妃」と「宮妃」の違いを明確にしていこうという動きがあります。
皇后 → 天皇の「母」であるから尊い立場。皇太子妃は将来必ず皇后になる立場。
親王妃 → いつまでたっても「妃殿下」のまま。
今の「ねじれ」は、皇太子妃が「天皇の妻」にはなるが「天皇の母」にならない事。
そしてただの「親王妃」である紀子妃こそ、将来「天皇の妻」「天皇の母」になる立場であること。
この冊子によれば「天皇の妻」「天皇の母」はセットじゃないとダメみたいなので。
だから、皇太子妃擁護派は一生懸命に「男女平等にして愛子内親王に皇位継承権を」と主張するわけですね。
あるいは「悠仁親王を養子」にと。
冊子に載っている「お妃の条件」は
男子が産めること
側室制度がない現在、妃が男子を産む以外に皇統を継続出来ない。ゆえに、多産系で「男子出生」確率が
高い丈夫な女性・・・という所でしょうか。
3代にわたって汚点なし
身内に犯罪者や精神病者がいない事。しかしこの「汚点」に関しては長い記述が。
「汚点」とは、いったいなんだろう。叔父さんか叔母さんの一人でも逮捕されていたり、懲戒処分を
受けていれば汚点なのか。親族に左翼は一人いてもいけないのか。親族の離婚は汚点に数えられるのか。
実は「汚点」の中身は選考する宮内庁幹部の恣意的な判断にゆだねられて、全てケース・バイ・ケースで検討
されるのが実情だ。
基準がはっきりしないから、事前審査で意見が分かれることがある。せっかく美しさも聡明さも人柄も
申し分ない女性が見つかっても、当の皇太子にさえ釈然としない理由で、候補から外される事が起きうる。
それでも宮内庁は「三代にわたって汚点なし」の原則を譲ろうとしない。お妃への批判が少しでも出る事を
極端に恐れているからだ。
確かに、「汚点」基準はあいまいです。かつての美智子妃選考の場合も「キリスト教の聖心女子を出ていていいのか」
という問題があり「洗礼を受けていないからよい」にしたんでしたよね?
のちに美智子妃が聖書を持っていた事がちょっと問題になったりしたわけですが そして今、皇后の
「キリスト教的精神」が皇室を滅ぼしかねないと言われているわけで・・・・・ 皮肉な結果とでもいいましょうか。
ここでX嬢というまた別の女性の話が出てきます。彼女は学習院出身、父親は華族の流れをくむ名門。
目鼻立ちも小和田雅子嬢似のはっきりタイプ。そして、彼女は他の令嬢たちと違って、皇室に入る事に
それほど拒否感を持っていなかった・・・・らしいです。
しかし、お妃選考で落とされた。その理由が「祖父がたてた武勲」であったいうのです。
「戦場で殺戮した人の孫はダメ」って事だったらしいですが、これってちょっと言いがかりですよね
ただ・・・この「武勲」と「チッソ会長」を同列に扱って「汚点」の曖昧さを論じるやり方は嫌いだなと思います。
皇太子の出した条件ー価値観
・ ティファニー発言
・ 趣味や関心、具体的にあげればスポーツと音楽が理解できる人
・ 価値観が一緒だという事
皇太子語録の中で「お妃候補」の話が出ると、必ず「価値観が一緒」という話になります。
要するに「皇太子が気に入った人」という解釈でよさそうで。
この冊子は「お妃選び」条項の〆にこんな事を書いています。
「戦前までは「皇室親族令」にてお妃になれる人の条件が明確だった。
・ 皇族女子 (香淳皇后は久邇宮家)
・ かつての摂政・関白の家柄。近衛・鷹司・一条・二条・九条の五摂家
(昭憲皇太后は一条家、貞明皇后は九条家)
・ 太政大臣になる資格がある「清華家」・・久我・三条・西園寺等9家。
・ 徳川宗家、御三家・大大名 (秩父・高松・三笠の3宮妃)
戦後はすべてお皇室令が死文化してしまい、この条文もなんら拘束力はない。
現に、旧皇族とも旧華族とも関係のない美智子さんが選ばれた事で、この条文が過去のものである事が
はっきりした。
しかし、いや、だからこそ、、というべきかもしれない。
今の天皇がことあるごとに現憲法を尊重すると語り開かれた皇室像を模索している事に対して
、これをよく思わない保守派・右翼団体は、美智子さんとの結婚にさかのぼって批判をするのである。
批判が高じて、保守派などの間では、次の天皇となる皇太子への期待が大きくなりつつある。
お妃選びの段階で「伝統への回帰」をめざす動きがかなりあるだろう。
「学習院か聖心女子か」などという女性週刊誌好みの競争とは全く別の次元で「皇室親族令第7条」を
蘇らせようとする力が働くことを、視野に入れておいた方がよさそうだ。
保守派へのけん制というか・・・はっきりいうと、1990年当時、この一文を読めば、保守派が悪者に
見えますよね。「今さら戦前の基準を持ち込もうなんて古いにも程がある。人間みな平等。身分も家柄もない」
という風に。
そして保守派はリベラルな天皇・皇后より皇太子に期待を寄せている。いわゆる「伝統」重視になってくれるのでは
ないかと しかし、結果は今上以上に左巻きの皇太子が出来上がってしまったという事です。
ここで大事なのは「そもそも美智子妃を入内させた事が間違いだったんじゃないか」という意見が保守派の中に
あったという事です 当時の私には想像も出来ない事でした。
即位の大礼の時の「みなさんと憲法を守り」の一文に感動したりもしたものです。
でも、よくよく考えれば「天皇」「皇室」というのは憲法の外にある存在で、ゆえに天皇・皇族は一般人とは違うのです。
華族制度がない今、日本人は一律に平等な存在。その中に天皇・皇后も入りたい・・・ゆえに憲法を順守し、仕事を
全うする。だから「権利」=人権を認めて欲しいと言っているようなものだったのかなあと。
内廷費・宮廷費は「国民の税金」であるから、1円も無駄に使えないという理想の「公務員」的発想。
皇居の庭、御用邸の庭の一部解放など。「静養」にすら「訪問」という名の公務を持ち込む程の仕事中毒ぶりは
まさに「企業戦士」っぽいですよね。
そんな天皇・皇后が皇太子夫妻に「私達にだって普通に生活を楽しむ権利がある」と言われたら反論できないかも。
保守派はそこらへんを恐れていたのかと。
さて、小和田雅子嬢ですが。
・ 自身が3人姉妹で、母親は一人っ子の家系 → 決して多産系でも男系でもない。
・ 祖父が悪名高いチッソの会長であり、問題行動があった人 → 三代前に汚点あり
・ 趣味は贅沢と海外旅行 → 当時の皇太子と趣味が合わない
おまけに小和田家の三代前が不詳、朝鮮からの密入国疑惑あり、母方の江頭家は部落の疑いあり・・・
(疑いと書いたのは私がその目で戸籍を見たわけじゃないので。でも宮内庁は把握していたと思います)
さらに、ハーバード時代から男性遍歴が多数あり、外務省では不倫疑惑も。正式ではないけど婚約者もいた。
全く「お妃候補」の条件に当てはまりません
にも関わらず「皇太子妃」に内定したのは、ひとえに「皇太子の意思」があったからと思います。
しかしながらそれは「価値観の一致」ではなかった 事がはっきりしました。
最後に、この当時、陛下達が「皇太子の結婚」について何とおっしゃっていたかを記しましょう。
天皇陛下
昭和53年
「まず第一に、本人がいいと思う事、もう一つは、皇族妃という公的な立場がある。
皆がみていいと思う人でなければと思う。そして、喜びも悲しみも共にしていくという人で会って欲しい」
昭和57年
「時期とかお相手ということは、その時にならないと。やはり、ふさわしい人であってほしい。そしてお互いが好きな
国民も非常によかったと思うようなものであって欲しい」
昭和60年
「親がどの程度関与するかですが、両性の合意、本人の意思が一番尊重されなければならない。
本当にそういう問題を考える時には、こちらとも相談する事は当然あると思います」
昭和61年
「結婚には本人同士が十分に意思を確かめあう事が必要で、その期間、はたの者はそっと見守って
いる事が大切です」
陛下は繰り返し「本人の意思の尊重」とおっしゃって、皇后はそれに追従している形です。
浩宮
宮様の理想とする女性は(昭和55年)
「(小学校は共学だったけど中・高は別だったことを延々と述べ)大学に入って
また共学になって一種の新鮮さをちょっと感じている段階なんです。
入った当初は何となく自分でも女子学生と使う時にぎこちなさってものを感じていたんですけれど
最近は、ま、少しずつ慣れて来たかという感じも受けるんです。ですから理想像というのは徐々に
出来てくるんじゃないかと思います。そう、竹下景子なんかいいと思います」
特定の人は?結婚年齢は? (昭和57年)
「理想像としては明るく健康的で、スポーツ好きな人がいいです。付け加えれば料理が上手な人が
いいですね。(料理上手?)僕自身、料理を味わうのが好きなわけですね。それから大げさになるかも
しれませんが料理は日本文化の伝統だと思うんですね。そういう事が出来る人がいいと思います。
将来、どこかkへ弁当をもって行くときに、弁当を作ってくれる人がいる。そちらの方が大きいわけですけれど」
外国で暮らして理想の女性像に変化があったか(昭和59年)
「今考えている理想としては、よき日本人であって、そしてよき国際人であって欲しいという事です。
これは当然日本人の皆さんが希望しておられる事ではないかと思うわけです」
浩宮の言葉は相手に要求する事が多いですよね。具体的な人がいるわけではないからなんでしょうけど。
「料理が・・」云々に至っては「?」状態。お弁当作って登山が理想だったんでしょうけど、実現出来なかったなあと。
昭和59年の言葉は本人じゃない人が書いたのでは?という思いが。
結果的に、明るくも健康的でもなく、お弁当も作らず、よき国際人どころかおyき日本人ですらない人と結婚し
20年ですよ・・・・ これをどう解釈したらいいのか。
あ、一つだけ共通点がありました。それは「食べる事が好き」という部分のみ。
礼宮
結婚は何歳くらいで? (昭和60年。20歳)
「結婚はあまり遅くならない方がいいと考えていいます。30歳よりかは前にしたいですね。
タイプですか。具体的にでしょうか。なかなか難しいですね。身近にもいいと思う人はいますし
例えばテレビに出ている新珠三千代さんとか。最近の若い人はあまり知らないので。
昭和63年
「理想の女性像はあまり考えたことがありません。結婚観についても今のところ、特別な考えは
もっていません。(好きなタイプは)会話をしていて楽しいというのが一つの条件でしょうか。
(浩宮の8合目発言について)
おそらく本人は結婚の時期を頂上として八合目と言っているのだと思いますが、八合目といいましても
富士山とか高い山になりますと、そこから一気に上れば高山病になるおそれもあり、今はおそらく一休みを
している段階ではないかと思います。
まあ、本人は30歳までにといっていますが、30歳までに出来れば上出来な方ではないでしょうか。
決まれば話ぐらいあしてくれるのではないでしょうか」
さりげなく「身近にも・・・」と暴露。20歳なのに母君と同年代の人を理想の女性に上げた事にマスコミは
驚いて「殿下、彼女は美智子妃殿下と同じくらいでは・・」と言ったらしいです。
同年代を知らないわけがないけど、それを言ってしまうと、あれこれ書かれそうという考えが浮かんだのでしょう。
「高山病」発言・・・しっかり高山病になっちゃったじゃないかーーという気が。
男兄弟というのは、そんなにあれこれ喋ったりはしない関係ですが、でも、この頃から二人は全く別の道を
歩み始め、「価値観の乖離」が始まっていたんじゃないかなあ。礼宮の言葉の中に「哀しさ」を感じるので。
お浄めに・・・・
音声なしの動画です。ここで注目して頂きたいのは、ラストの方、晩さん会に出席する紀子妃に目の前の
外国人の方々が「まあ、なんて可愛いの」っていう表情で見つめ、秋篠宮はクールな表情をしつつも
「いいだろ」的な顔をしている部分。
そして、同じ晩さん会で外国要人と通訳なしで話している紀子妃殿下です。
同じような映像が雅子妃もあります。エリツィンだかと飲み物片手に話し込んでるようなの。でもあの時の
雅子妃は挑むような・・議論を仕掛けるような印象ですが、紀子妃はしっかりと「社交」をしているという感じです。
よく雅子妃の語学力がすごいとか何か国語喋れる「出来る女」キャンペーンが張られますが、紀子妃の方が
本当の意味で「キャリアプリンセス」と言えるでしょう。