宝塚の神髄は「愛」と「夢」
演劇を専門職とされていたり、ストレートプレイが好き・・という人達にとって宝塚の世界は異様に見えるらしいです。
私がよく言われるのは「リアリティがない」「夢夢しい」ですね。
同じシェイクスピアでも野村萬斎の「マクベス」は芸術的評価が高いけど、宝塚版「ロミジュリ」は低い。
理由は簡単。そこに理屈がないからです
「ロミオとジュリエット」という話の神髄は、「民族が絶えるかもしれない程の争い」をしている家同士の男女が
恋をし、成就しなかった事で「不毛な争いが若い命を奪った」という親世代に対する教訓とても言いましょうか。
憎み合う事に何の意味もない、汚れた大人の世界に「若く無垢な愛が犠牲になった」という悲劇。
擦れ違いで死んでしまうというストーリーも、皮肉な結果です。
人間とは、若さとは、愚かである。でも、その愚かさの中に愛すべきものがある。「ロミジュリ」の登場人物は
その「愛」に気づくために大きな犠牲を払ったわけです。
大昔見た蜷川演出の「ロミオとジュリエット」は「すごいなあ」とは思っても、主役二人が可哀想に見えなかった・・
日本人には「一目で恋に落ちて情熱のままに突っ走る」なんていうのは合わないんだなと感じた記憶が。
普通は一瞬でも冷静になるし、そうなったら「昨日好きと思ったけど今日は・・・」になるしね。
ところが。
宝塚ではそんな「理屈」はどうでもいいのです。
「本当の恋人」が欲しいと思っているロミオとジュリエット。互いを見て相手の家がどうどか関係なく
一瞬で恋に落ちる。ここで理屈っぽい部分は「モンタギューとキャピュレットの争いを終わらせる」という部分のみ。
とにかく愛し合う若い二人のラブラブ感に浸って幸せになれれば、それで成功。
それこそが宝塚。
「宝塚も新派も歌舞伎もお客が見ていい気持ちになる事が一番」と言ったのは長谷川一夫です。
そういう意味で、今回の星組版「ロミオとジュリエット」は最高に「いい気持ち」になれる舞台でした。
長年連れ添ったトップコンビにしか出せない究極のラブシーン・・・・麻路さき時代から久しく感じなかった宝塚らしさです。
出演者について
柚希礼音・・・・ロミオ。髪を切ってア・シンメトリーな形にしたら若返ってしまいました 演技力は大人になったと思うけど。
やっぱりロミオは柚希という感じです。最初の登場シーン、たんぽぽのわたげを持って登場する部分。
柚希だから変に見えないわけで。(気恥ずかしいシーンですよ)
舞踏会での出会いは短くても、一瞬に恋に落ちた事はわかるし違和感なしです。(普通は何であの娘役に一目ぼれ?
と思う事も・・・)
バルコニーでもジュリエットが歌うのを、「ええ?ジュリエットが僕を?ああ・・幸せ。これはすぐに行かなくちゃ」が
手に取るような感じ。「結婚しよう」の後、一旦階段をおりかけてバラを受け取りキスするシーンの素敵さ。
結婚式での「一人前の男」だよ・・・的な表情。ここは初演にはない顔つきだなあ。それだけ大人になったのねと。
2幕目、マーキューシオを失った悲しみとティボルトへの怒りは、十分納得できるし、追放になったあと
神父様の所でぐずぐず言うロミオはまだほんの子供のようで母性本能がくすぐられます。
ベッドでジュリエットの腕に顔を埋めるシーン、離れがたいキス、ジュリエットの死を知った時の絶望。
そして死んだジュリエットの頭を持ち上げて抱きしめて泣くシーンに胸を射抜かれました。
よみがえった二人が恥ずかしい程いちゃいちゃとする振付におおーと思っていたら、いきなりほっぺを
ぎゅぎゅっとくっつけてカーテンですよ 乙女のあこがれがそこに
・・・・という事で言う事なし。宝塚ってラブシーンの世界なんだ。柚希礼音は本当にラブシーンの達人であるという
事はよくよくわかりました。
夢咲ねね・・・ジュリエット。初演時より感情表現が豊かになり歌唱力もアップ。勿論ロミオとのラブラブ感もアップ。
かぼそい16歳の乙女というより、ロミオを突き動かすプチ魔性の乙女っぽかったですが
先日、スカステで「REON」を見たのですが、たった1年ちょっと前なんだけど、あの頃は本当に頼りないと
いうか、そこらへんの普通の女の子だったし、ちっとも綺麗じゃなかった。でも、今は立派な娘役になったねと。
成長を見る事が出来てうれしい限りです。
紅ゆずる・・・ベンヴォーリオ。次期トップになる・・・という前提であえて厳しい事を書かせて頂くなら、紅の演技の引き出しが
小さすぎる 何をやってもマーキューシオにしか見えず・・・という事は常にがらっぱちで衝動的な役しか
出来ないって事ですよね?(ブルギニオンだってそう)
ベンヴォーリオはマーキューシオやティボルトとは性格が違って、どこか一歩引いてみている人ですよね。
最初はマーキューシオと一緒につるんでいても2幕目からはロミオ側につく。「大人の憎しみに振り回された。
俺たちは犠牲者だ」というセリフがベンヴォーリオの人となりを表現しているのですが、涼と未涼はここで
大いに観客を納得させたのに対し、紅はさらっと流してしまった。ものすごく重要なセリフなのに。
さらに「どうやって伝えよう」も、歌唱力云々の前にロミオの親友という部分が欠落しているような。
涼のベンヴォーリオは知的で冷静でロミオの支え手。未涼はさらに保護者の度合いが増し・・・じゃあ、紅は?
何も印象に残らない。演じてないのではと。(星条のは・・・何と言ったらいいかわかんない)
トップスターなんて真ん中に立っていればい。難しい事は回りがやるから・・と言った元スターがいるけど
それはあくまで真ん中に立つ人がそれだけで絵になる「王子様」である事
みんな、それが出来ないから歌やダンスという一芸を持って補うんでしょう?あるいは演技力で。そのどれも
持ってない、ただただ勢いだけで舞台を乗り切ろうとしてもそれは無理です。
真風涼帆・・・ティボルト。とても「15で女を知った」ようには見えず、キャピュレット夫人と怪しい関係?嘘嘘。ジュリエットが好き?
どこが?一応セリフは言ってるけど目線が下向いて「自分には無理」と看板しょってやってるように見えます。
マーキューシオとの戦いで一応絵になったのは、天寿のおかげですよ。
演技力がない、衣装が重くてうまく踊れない?歌も歌う事だけに必死。まるで新人公演やってる学年のようなのに
3番手という現実 この現実を一番受け入れていないのは本人じゃないの?
そういうスターは今までにもいました。姿月あさととか彩輝直とか・・「私、そこまで上に上がりたいとは・・・」的なスター。
でも真風が歴代で一番ひどいかも
大階段を真下見ておりて来るとは。真風に言いたい。真風の地位につきたいスターは沢山いるし、真風以上の
実力を持つジェンヌもいる。でも歌劇団が選んだのは真風。真風の両肩には宝塚の未来がかかってる。
それを自覚しながら日々、舞台を務めて貰わないと、宝塚は滅びますよ。
十輝いりす・・・大公。歌唱力はおいておいて、その存在感はいいと思います。
美城れん・・・乳母。小池先生がイメージした乳母そのままではないでしょうか。こんなにぴったりとした
キャスティングは近年なし。外の未来優輝並にすごいです。恐るべし美城!
壱城あずさ・・・パリス。元々彼女は演技力がある方じゃないし、顔つきも最近はより女の子っぽくなってる気が。
彼女なりに頑張ったけど平凡な出来に終始。宝塚的演技があまり出来ないタイプなのかなと。
天寿光希・・・マーキューシオ。背丈がない(回りが大きいだけ)事がすごく残念で。その背丈の欠点を補ってあまりある
演技力と歌唱力、キレのいいダンスに脱帽
破滅型の性格、喧嘩っぱやい部分がロミオと好対照。一点の曇りもない笑顔がかえって怖かったりする。
死にっぷりがあまりに見事で・・・刺されてふらふらっと歩いてばたっと倒れる。
「大したことない・・・泉よりも深くもないし教会よりも広くもない・・・」から「お前はなんでそんなに不器用なんだ」
とロミオを責めつつもちっとも責めてない「友達」としての優しさ。
「ジュリエットを愛しぬけ」の二枚目から「俺は憎む、モンタギューとキャピュレット」の壮大なテーマ。そして
ベンヴォーリオとロミオの手をとって「愛する友よ・・別れの・・時・・・だ」(ここで涙がだーーーっ)
紅・真風が棒に見える「恐ろしい子っ」(BY月影先生)「舞台あらし」と命名しましょう。宝塚の北島マヤです。
特にあのかっこいいダンス・・それなのに何でいつも後ろで踊ってるのよっ
私は紫のばらの人になりたい。
礼真琴・・・愛。何ていうか、この人の芸達者にはまいる。歌わせれば音域が広いし、男役でも娘役でもこなすし。
体が柔らかいで優美そのものだし。カメレオンのような。うっとりとしてみてました。
麻央侑希・・・死。カーテンの陰からちらりと顔を出すシーンが多くて「まんまトート閣下」状態。可もなく不可もなく。
キャピュレット夫人とモンタギュー夫人は相変わらずのいい出来栄え。特に花愛瑞穂の母性はアップした感じ。
「息子は帰らない」の悲痛な歌に感動しました。
キャピュレット卿の一樹千尋と神父の英真なおきも安定しています。共に星組を支えた組長コンビですしね。
さて・・・毎回、安定した舞台を作り上げている星組です。でも問題が。やっぱり二番手・三番手が育っていないと
いう状況。いくら「見た目が9割」の宝塚でもそれだけではだめです
かつて霧矢頼みだった月組。現状はどうでしょう?星組も例外ではない。
下級生やベテラン勢には技術屋も多い。でもその活躍が報われないのも事実。だからこそ、真ん中に近い人には
人並み以上の自覚と精進を心掛けて欲しいです。