海老蔵も浮き沈みが激しいというか波乱万丈というか・・・落ちたと思ったら急浮上。
モントリオール映画祭で「利休にたずねよ」が賞をとったんですよね。おめでとうございます。
ピンチにあっても誰かが助けてくれる・・・この人はこういう運命なんだと思います。
私が注目したのは中谷美紀の素晴らしさです あちらで着物を着てお茶を入れる・・・・・
その着物も振袖のような派手なものじゃなくて、上品で奥ゆかしい。
立ち居振る舞いもいかにも「日本女性」という感じで、これが本当の「外交」なんじゃないかと。
黒いドレス姿もまた素敵で、非常に品があって素敵。
海老蔵を立てつつ、自分の役割をきちんとこなす。それも完璧に。大和なでしこ風に。
立ち居振る舞いって大事なんだなあとつくづく感じました。
オランダで、あの着物も何十倍も高いドレスを身につけながら、歩くことすらまともに出来なかった皇族がいます。
「私が私が」と自分が目立てばいいというのが丸わかりの顔。お腹が出たシワドレス・・プロトコル完全無視の女官付添。
皇族こそ、外国に行った時に日本のよさをアピールし、「私が日本です」という所作をしなくてはいけないのに
まるっきり逆の事をやってしまった東宮妃の罪は重い。
なぜって中谷より皇太子妃の方が有名人で注目度も高いからですよ 国費でそれだけの「格」を身に着ける事が出来るからですよ。
中谷は自費ですよ?お茶を習っているのも自費。いくら大女優でも税金にはかなうまい。
年下の女優にすら劣るお妃って存在意義があるんでしょうか?
今週の「あまちゃん」には驚きですわ
いわゆる3・11のシーンに突入したんですが、前ふりがすごかった。
当日の午前中、東京へ行くユイちゃん、具合が悪くて寝てる夏ばっぱ。そしてアキはコンサートの練習。
見てる方ははらはら・・・ユイちゃん、電車に乗るな!いや、乗った方がいい!津波が来るーー!みたいな?
で、地震のシーン。
短かったし、津波の映像もなし。それなのになに?この緊迫感 あまりにドキドキして、全ての手が止まってしまい
私と姫とヨンジュナの3人はテレビにくぎ付けになってしまいました。文字通り釘づけ。
こんな風にドラマに集中したのは久しぶりです。手に汗握る状況でした。
これはクドカンの脚本のよさもさりながら、出演者の演技でしょうか?カメラワークもすごく上手で、さりげなく危険な?とか
さりげなく不安感をかもしだす。
15分の中の、北三陸シーンは10分くらい?そこに全ての技術が集約したという感じです。
以前、震災のドラマをみましたが・・・・・河北新報の話。あんなのよりずっとリアルで怖くて・・・あの日を思い出してしまいました。
役者の緊迫感が半端じゃなかったですよねーー本当に。
震災後、「東北の人の事を思うと・・・」と言って仕事しない鈴鹿さんに春子が「東北の人が働けって言ってるんです」って
いうのが最高!どこかの妃殿下に聞かせてやりたい。
「あまちゃん」恐るべしです。
女性週刊誌を立ち読み。呆れてものが言えない。
りんどう湖ファミリー牧場には皇太子と愛子内親王が学友やママ達と一緒にお遊び。
閉園時間を90分オーバーで帰る。
二期倶楽部にも雅子妃は行かず、ママ達のお相手は皇太子が。
9月22日に郡山へ行く(3連休の真ん中)のは、子供達が在宅している可能性が高いから。
「若い世代を育成するのが私達の役割」だと皇太子夫妻は思っている」
掲載されてる写真がまた・・・・白鳥のボートに乗って漕いでいる皇太子。隣は妻でも娘でもない赤の他人。
内親王は別のボートに乗っているんですね。普通のパパはお仕事してるのよーー8月下旬になってもボートで
遊んだりしないけど、何より異様なのは、学友のママ達の「お相手」をしているという所。
本当に女性たちの間に彼、一人。何が悲しくて皇太子がママ達を接待しなくちゃいけないのか。これが次世代の
天皇。公私を分ける素晴らしい私・・・なんですか?
「若い世代を育成」云々は東北スクールに行った時に思った事らしい。自分の娘もちゃんと育てられないのに
よその子供達を育成って迷惑です。困ります。さわらないでって感じです。怖いです。
何を考え違いしているんだか・・・・・ そんな事よりご自分の娘にきちんとお辞儀を教えるとか、そういう事が出来て
初めてよその子でしょうが。被災地の子供達のほうがよっぽどしっかりしてるけど?
名もなき毒
いやーーあの薬は大量の睡眠薬だったんですね。原田いずみが、錠剤をガンガンと潰しているシーンは
オカルトでした。あれだけの睡眠薬をためるのは結構大変ですよーー何年もためてきた感じですね。
薬を入れたのは原田いずみ。なのに、なぜかコーヒーを入れたごんちゃんが罪悪感に苦しめられている。
日本人ってそういう所、確かにあると思うんです。
「あなたは悪くないよ」と言われたくてそうしている部分もあると思うんですけど。何となく、それに関わったというだけで
罪悪感を持ってしまう。
震災の時、私も一人無事でいる事に罪悪感を覚えました。
東北出身っていうだけで・・今、自分がここでのうのうと生きていていいのかーーなんてね。
でも、そういう「罪悪感」をマイナスに持って行くのが原田いずみという人に代表される人格障害なんでしょう。
原田いずみの父が平謝りするのに、編集長やその他は「自分達にも落ち度があったかも。もっとよく話し合うべきだった」と
反省の言葉を口にします。それに対して父は「いや・・それは違う」と答え
「その度に私と家内は何がいけなかったんだろうって考えました。しつけを間違えたのか、私ら親が
無神経でうかつであの子を傷つけゆがめてしまったのか。何度も話し合いました。努力もしてきたつもりです。
でもあの子は何も変わりません」
『みなさんの温情は本当にありがたいです。でも皆さんのほうにも落ち度があるという考えはどうかお捨てになって
下さい。どんな事をしてもあの子には通じません。あの子はいつもいつも何かに怒っているんです」
と言い放つ。
「どんな事をしても何をしても怒りを鎮めることが出来ないんです」と。
ゆえに両親は「逃げた」わけです。
いずみの所業・・・・「展覧会で賞をとった絵を切り裂く」
「友達が持っているものが欲しくなると勝手に持って帰って、もともとは自分がもっていたと盗まれたんだと
主張」
「気に入らない男性がいるとセクハラと訴える」
御免。原作者はこのメンタリティが半島系だってわかって書いているのでしょうか?
「もともとは・・・」は例の仏像などの件。「気に入らない男」の件はまさに慰安婦じゃないですか?
お兄ちゃんが婚約者を連れてきた時は「お姉さんが出来た」と喜んでいたいずみ。
でも、披露宴のあいさつになると突如
「お兄ちゃんに小さいころからいやらしいことをされた」と爆弾発言
しかも止める父親にむかって「知ってたくせに」と言い放つ。
披露宴はめちゃくちゃ。結婚は台無し。相手の女性は自殺・・・・・
編集長達がしばし呆然として、誰か「俺、早退する」と言い出す気持ち、わかりました。
たとえ、それが「嘘」だとわかっていても。
多分、その場にいた人達は全員「嘘」と思った筈です。でも、公の場で言われてしまうと否定できないんですよね。
いくら口頭で「違う」と否定しても、どこに証拠が?と言われてしまえばおしまい。
むろん、事実という証拠もないんだけど、なぜか「本当かもしれない。だって嘘だという証拠がないんだから」という
理論が独り歩きしてやがて、それが大勢をしめる。
思えば・・・・従軍慰安婦も南京大虐殺も同じ手法の「嘘」です。
編集長の「本当かもしれない」
それこそが「毒された」という事になるのではないでしょうか?
あの原田いずみというのは天然の「毒」で、それが皇太子妃と被るというのはものすごく恐ろしい事です。
でもやり口はすっかり同じでは?
「いじめ事件」がでっちあげだってわかっているのにあった事にされている。
「人格否定」などなかったのに、いつのまにか「あったかもしれない」と思われて、それが今に至っている。
そもそも結婚自体が「無理やり入内させられた」という「嘘」に基づいている事。でもどこにも嘘という証拠がない。
じゃあ、本当の証拠もない。なぜ私達は「本当の証拠」がない事を問題視しないのか・・・・という究極の問題が。
いい人はいずみの父のように「自分達にも何か悪い部分があったのではないか」と必死に考え、反省する。
そんな態度や気持ちが相手に伝わると信じて。
でも、絶対に伝わらない相手がいる以上、反省も罪悪感も解決にはならないんですよね。
じゃあ・・・どうしたらいいのか・・・・その答えは次週かしら?
奈良和子さんの死すらかすんでしまったなあ・・・・
ガラスの家
いやーーもう見ない。こういうドラマは苦手。
パパと再婚した妙齢の女性。息子二人は共にいい歳。奥さんと不倫関係になってもおかしくない。
パパは最初はいい人だったのに、結婚してから息子への嫉妬心が芽生え・・・・
何で二人で生活しようとしなかったのか?
息子達は独立させればいいじゃない?何で一つ屋根の下にいる必要がある?
結末が見えすぎて・・・だめ。