11月19日。東京、フォーシーズンズホテルの大広間では披露宴が行われようとしていた。
新婦はマサコの妹。そして新郎は東大を経てハーバード大へ留学し卒業、現在はNYで
国際弁護士として活躍するイケダマサヒサだった。
レイコ自体も慶応大学卒なわけであるから、いわゆる「エリート」同士の結婚という事に
なるだろうか。
約200人もの人が集まる中、レイコはぼんやりとドレスを着せられるままになっている。
「ちょっと、レイちゃん。しっかりなさいよね」
ユミコがはっぱをかけるが、レイコは曖昧に頷き、笑いもせず、うかない顔。
「今日は主役じゃないの。目出度い日よ」
「そうね」
「まさかイケダさんとうまくいってないとか?10月のニューヨークでの結婚式は
もっとうきうきしてたわよ」
「ええ」
レイコはめんどくさいという感じで言った。母はさらに続ける。
「イケダさんはお父様がお墨付きを与えた程の人よ。学歴優秀で国際弁護士。
これからあなたは何の苦労もせずに生きる事が出来る。皇太子妃の妹の結婚
としてこんなに素晴らしい人生はないわ。私達に感謝して頂戴よね」
「ええ・・・」
「お友達だってみんな羨ましがってるでしょう?」
「そうねえ。みんなそう言ってるわ」
気のない雰囲気でレイコは答えた。
今年に入ってお父様達はひどく不機嫌だった。理由は簡単。お姉さまが流産したから。
そもそもベルギーへ行って大酒を飲むわ長旅をするわ、めちゃくちゃやったのは
お姉さま達。無論、流産とそれは関係ないし、ましてやマスコミのせいでもない。
お父様が本当に怒ったのはお姉さまに対して。
だって、苦労して皇太子妃にしたんですものね。
お姉さまは全くその気はなかった。お姉さまが付き合って来た男性の中でも
一番「タイプじゃない」人、それが皇太子殿下だった。
お父様のコネを利用してハーバードへ行ったあたりから、お姉さまは「自分は出来る女」
だと思い込んだんじゃないかしら?
高校までの不良っぽさをうまく隠して、あちらではかなり発展的にやってたようだけど
なぜか人と会話する事は苦手だったのよね。
でもどうして男性達と付き合う事が出来たのかしら?ああ、言葉は必要ないって事ね。
だから皇太子妃になる気なんてさらさらなかったし、私達でも関係ないと思ってた。
でも、お父様は違った。
お姉さまのプライドをくすぐってまんまとその気にさせ、そして皇太子殿下を射止めた。
それから私達姉妹の関係も変わったわ。
お姉さまはオワダ家の中で一番偉い人になった。あの人の存在が私達一家の象徴。
お姉さまの名前が出れば私達は「准皇族」扱いになった。
お姉さまの結婚生活が幸せだったかって?さあ・・・私はそうは思わない。
だって、皇太子殿下なんかお姉さまが満足する男じゃない。私だってごめんよ。
誰がみたって彼が魅力的な男じゃない事はわかってる。
お父様だって内心はそう思っていたのよ。
でも、お父様は、自分の出世の為に、そして自己の思想を実現する為に
外務省を取り込み、政府を取り込み、お姉さまを入内させる事に成功した。
あの時、私達がもう少し物事をよくわかっていて、全てがお父様の手の平の上で
踊らされていると知っていたら・・・・何か変わったかしら?
当のお姉さまですら気づかなかったんですものね。
これで世継ぎが生まれれば問題なかった。
でも、子供が出来なかった。それは本当に不妊だったのか、それともいわゆる・・レス夫婦
なのか、そこらへんはさすがにお姉さまは言わないけど。
でも会う度に「つまんない男なのよ。お父様が私を人身御供にしたのね」と言ってた。
発展家のお姉さまがそれじゃ辛いとは思ったけど。
思えば「妊娠しない」事がお父様に対する反抗だったんじゃないかしらとも思うわ。
いいえ、お姉さまにとって敵はお父様だけじゃない。両陛下だってそうよ。
あの人達が「世継ぎ」を望めば望む程、お姉さまは正反対の事をしたがる。そういう
性格なの。意地悪よね。
でも、お父様の度重なる「子供を産め」攻撃に負けて不妊治療を始めたお姉さま。
「つまらない男」の子供を産む事を強要された・・・と涙していたっけ。
あの時、私は「結婚って忍耐生活なの?自分の人生を捨てる事なのかしら」と思った。
そうはいっても、嫌いな仕事はしなくていいし、ブランド品は買いたい放題、
静養と称して御用邸も使いたい放題で、羨ましくもあったわ。
ひどい男でもお金は持ってるもの。ああ、それって全部税金なんだけど・・・公務員だって
税金で暮らしているんだから同じじゃない?
お父様は皇太子妃の外戚だけじゃなく「将来の天皇の祖父」になりたいの。
だけど、それは天皇家を支えるとか、そんな高尚な事じゃないわ。
天皇家から搾り取れるだけ搾り取って、あとは捨ててしまうだけの事。
ああ・・・私達も価値がなくなれば捨てられるのかしら。そんな恐ろしさがあるから
お姉さまはなんだかんだいってお父様の言う事を聞くのね。
セッちゃんは、お父様の呪縛から逃れたいと思って、自分で相手を見つけた。
でも彼は結婚前から女を両天秤にかけるような人だった。
それが発覚した時のお父様の怖さったら・・・・シブヤ家の人達、気の毒だったわね。
そしてあの時こそ、私はお父様には逆らわないで生きようと思ったきっかけだった。
セッちゃんは本当は破談にしたかったんだと思う。
当たり前よね・・・二股をかけられていたんだもの。
でも、お父様はそれを許さなかった。
「皇太子妃の妹が二股かけられて破談などありえない」という理由で。
「マサコに傷がつくような事は絶対にするな」
お父様の言葉はセッちゃんの心に突き刺さったわ・・・お父様にとって一番大事なのは
皇太子妃である「娘」で、私達はただの添え物でしかないと。
あの後、セッちゃんは離婚したいと何度も訴えたけど、お父様は絶対に許さなかった。
「世間体が悪い。皇太子妃の為にならない。そもそも自業自得だ。それくらい我慢しろ」と。
破たんした結婚生活を送るのって人生を棒に振る事なんじゃない?
いまだにあの二人には子供がいない・・・・
そしてやっと妊娠したお姉さまも流産。オワダ家は呪われているのかしらね。
物事がうまくいかないと、お父様はすぐに癇癪を起すし、強引に事を進めようとする。
それが私の結婚。
公にはセッちゃんの旦那様とマサヒサさんが知り合いだったから・・と言われているけど
本当は違う。
お父様は私をセッちゃんのようにしない為に、外務省をかけずり回って相手を見つけたの。
彼のお父様は外務省。そして熱心な学会信者。
彼と結婚するという事は私も信者になるという事なのね。
「昔からいう、友人に医者と弁護士がいれば完璧だと。婿が弁護士に医者なら
もっと完璧だ」
やっとお父様の機嫌が直ったわ。
お父様が彼を選んだのはただ単に彼が国際弁護士だからじゃないわ。
彼がカーネーションクラブの一員だったから。
カーネーションクラブは、外務省のオオトリ会、官僚のカスミ会、検事の自然友の会
の一つで弁護士の会なの。命名したのはマサヒサさんと同じ苗字の会長よ。
要するに、そういうエリート集団を作って「信仰」に励み、将来の日本を担っていこうと
いう・・・そういう会。
国連もそうだけど、外務省もコウメイ党も同じ思想の持ち主の集まり。
それってお父様の言う「日本が正しい道を歩む為」に頑張っているという事よね。
私達はその手ごまに過ぎないのね。
マサヒサさんの事は好きよ。でも燃え上がるような恋愛をしたというわけじゃない。
あっちもそうなんじゃないかしら。
そりゃあセッちゃんの旦那みたいにあからさまに「自分の出世の為に選んだ相手」
だとは思わないけど、そういう部分が一ミリもないかと言ったらうそになるでしょう。
「私とあなたは前世から結ばれるように決められていたんだ」って彼は言ったけど
それってどこの「前世」?
ああ、せっかくロマンチックな言葉を言ってくれたのに、そういう風にしか考えられない
私ってバカ。
まあ、マサヒサさんも、私が疑いを持っている事は知ってる。だから隠そうとは
思ってないみたい。
「結婚したら二人で皇太子妃殿下を支えよう」なんて殊勝なセリフが出てくるのも
お父様の指図?
私は逆らえない。
本当は運命の人が他にいるんじゃないかと思っても、お父様の命令には
逆らう事は出来ない。
だって、それは「破滅」を意味するもの。
私は知ってるわ。
両陛下・・・というか宮内庁がお父様の事をよく思っていない事。
皇太后が亡くなった時に、皇族より先に参内した事を「無礼」だって言われたんですって。
怒ったお父様はお姉さまを葬儀に参列させなかった。
色々言われたけど、この事で悪者になったのはお姉さまじゃなくて宮内庁であり
両陛下。
お父様は着々と「皇室は旧弊で女性の人権を蹂躙する場所」だという印象を与えてるわ。
祭祀をしたがらない面倒くさがりやのお姉さまの為に
「人前で全裸になる事を要求される祭祀は屈辱的」だと言い訳し、
公務に出たがらないお姉さまの為に「キャリアウーマンの妃殿下には、壇上で
黙って座っているだけの公務はやりがいがない」とまで。
それもこれも、お姉さまが世継ぎを産んでくれる為のご機嫌取りなんだけど。
不妊治療はうまくいってるのかしら。
どうやらツツミ医師が全面に出て来たわ。彼もまたお父様の肝いりに過ぎない。
もっと彼は少し反抗的だけどね。
不妊治療って最先端では顕微授精というのがあるんですってね。
彼はその権威なのよ。でも、そんな事をやってもなかなかうまくいかないみたい。
つまり、お父様に逆らうと「破滅」する。お姉さまもセッちゃんもわかっているから
ぎりぎりの所で逆らわないんだわ。
私はと言えば、最初から逆らう勇気すらないダメダメちゃん。
まあ、麻布の高級マンションに住んで、贅沢な暮らしが出来るから、それいいと
するしかないかしら。
「おお、レイコ、綺麗だな」
いきなりドアが開いて、ヒサシが入ってきた。レイコはちょっと得意げに笑って見せた。
「結婚衣装もそうだったが、そのドレスだって、そんじょそこいらの人間が着れる
代物じゃない。皇太子妃クラスのものだからな」
と、ヒサシは言う。
(ドレスより私じゃないの?)とレイコは思ったが黙っていた。
「お父様に感謝なさい」母もそう言った。
「お父様、ありがとう」
「いやいや。お前が幸せになれば一番だよ。今回の式はすごいぞ。皇太子夫妻が
来るんだ。ハクをつけられる。タカマドノミヤからも祝電が届いてる。再来年の
日韓ワールドカップを成功させたいものだから、私にすり寄ってきているんだ。
まあ、せいぜい利用させてもらうさ。末端とはいえ宮家だからな」
ドアがノックされて、新郎が入ってきた。
「レイコさんをお迎えに上がりました」
いくら舅の前とはいえ、妻に敬語を使わなくても・・・とレイコは思ったが
何も言わなかった。
「いや。これからもレイコをよろしく頼むよ」
ヒサシはそういい、ユミコと一緒に部屋を出て行く。
「綺麗だよ」
彼はそういってそっと額にキスしてくれた。レイコはその言葉を空虚に受け止めていた。
「さあ、行こう」
二人は腕を組んで披露宴会場へ向かった。
両家の両親の間に立つ。客たちはぞろぞろと会場に入って行く。
みな、「まあ、綺麗ね」と褒め称えてくれた。
そんな中に、いきなりバッジをつけた男たちが取り囲むように皇太子夫妻が入ってくる。
みなざわっとし、それから沈黙した。
マスコミがパシャパシャと写真を撮った。
みな、皇太子とその妃に深々とお辞儀をした。皇太子はにこやかに嬉しそうだった。
そしてマサコは非常に元気だった。
「レイコちゃん、おめでとう。やったわね」
何がやったのかわからないが、今日の姉は上機嫌である事は確かで、隣の皇太子も
そんな妻の様子に目を細めている。
(悪い人じゃないんだろうなあ)とレイコは皇太子を見て思った。
「ありがとうございます。皇太子殿下。皇太子妃殿下」
レイコ達はそう言って頭を下げた。そういう態度がマサコの自尊心をくすぐるらしい。
「今日は二人で来る事が出来てよかった」と皇太子は言った。
得意気なマサコは妹の晴れの舞台だというのに、まるで主役のように張り切っていた。
つい数か月前「夏バテのようなもの」で皇太后の葬儀を欠席し、地方公務を
次から次へとキャンセルしている人と同じには見えなかった。