「平清盛」に愛原実花が出演するそうです うーん・・ 微妙
平清盛 4回目
兵庫県知事が「画面が汚い」と発言した事について電話が1000件来たとか。
おおむね「そんな事はない」っていう意見らしいです
私は・・・画面が汚いっていうより、何で毎回半裸状態の男達を出すのかわかりません。
半裸というよりほぼふんどし一丁の男達なんか見たくないって。
プラス清盛のあまりに薄汚れた顔とぼろぼろの衣装を見ると「平家って何?」って
思ってしまうんですが
今回のツボはやっぱり鳥羽院とたま子の会話。
鳥羽院 「詫びてくれぬか。先の院と密通し生んだ子供を帝につけたこと」
たま子 「私がわるうございました」
鳥羽院 「そなたという奴は・・・・」
いやーーこの天然っぷりが最高すぎて たま子さんにしてみれば
「謝れといわれたから謝っただけじゃん?帝に従うのが私の役目なんでしょ」
絶句する堀川局が気の毒。
この後の鳥羽院が観音堂を見て感動するシーンがいじらしくていじらしくて
もう主役はいらないっ 「鳥羽院物語」でいいじゃんっ
昨日、見て思ったのは脚本家の「日本の時代劇」に対する感覚が違うということ。
義朝が父親に矢を向けるシーン
帝に剣をつきつけたり父親に矢を向けたり、ぶっそうなドラマだなあと思いますが
武器というものの危なさを認識していればこんな行動には出ないんじゃないか?
包丁やナイフと勘違いしてない?
「父が殿上人」という恩恵がわからないという義朝
確かに当時、武士は貴族の犬だったかもしれない。
でも、果たしてこのドラマに描かれる程の「卑屈さ」があったかどうか。
これって両班にいじめられる庶民と同じ構図なんですね
「王家の犬の父はもはや昔の父じゃない」と嘆く清盛に義朝は
「お前は父が殿上人だという恩恵がわかってない」と怒る。
殿上が許されるかどうかは平家や源氏にとって大きな問題だけど、そこまで「地位」
に拘っているイメージがないのね
ましてあの貴族達のいやがらせと来たら・・・・まさに韓国史劇だなあ。
脚本家としては今までにない清盛像を描きたいと思っているのかもしれないけど
参考にしたのは日本の時代劇じゃなくて韓国史劇だったということ。
義朝が「父の恨みは私がはらす」的な台詞をいうのもそうだけど、心情的にわかりやすく
敵味方がはっきりしてて書きやすいんでしょう。
でも「武士」の気持ちとして「恨み」とか「媚へつらい」のようなものを感情に出すのは
日本的にタブーだと思うんですけどね
「王家」表示に対する本郷和人・
東大資料編纂所准教授の意見
「天皇家」「皇室」という表記を使わなかったのは「平清盛」の時代には
使われていなかったから。
「天皇」=「王」・・・みかど・主上・王の呼称が使われた。
結城直光 「昔より誰の家か、王家の相門を出ざるや」
藤原信成 「九州の地は一人(天皇)のもつところなり。王命のほか・・・・」
九条兼実 「王者」
ゆえに現在のように「王」より「皇」が上という感覚がなかった。
純粋に学問的な見地からの応答であり、国を思う方々の
批判は真摯に受けとめなければなりませんが、皇室を貶める意志が
露塵ほどもなかった。
ドラマにおける時代考証の難しさは何となくわかります。
今回は「風俗」も「時代考証」に乗っ取った結果、あのような「汚い」場面の連続に
なったのでしょうし、呼称についてもそうかもしれません。
でも、実際問題、本当にあの時代に生きていた人がいるわけじゃないので、実際に
どうであったかという事は誰もわからないのです。
時代考証が「その当時」と言い張るなら価値観もまたそうでなくてはならなくなり
そうなると果たして平家がそこまでコンプレックスを感じて、卑屈な思いをしていたか
どうか検証しなくてはならなくなります。
本当に清盛はあんな汚い格好で「新しい世を作る」なんて豪語していたかどうか。
でも、そんなの無理でしょう
ゆえに「現代の価値観」と当時の風俗のすりあわせが必要になります。
時代劇における事の運び方や言葉遣いに一定のセオリーがあるんです。
今回も「王家の犬」という言葉が多々出てきましたが、よく聞いているとそれは
「王家」じゃなくて「貴族」じゃないのか? なぜなら鳥羽院と藤原家には一定の
感情的溝があり、おおむね平家が卑屈な思いをしている大本は貴族社会では
ないかと思うんです。
よくわからないけど「王家」って言えばわかりやすい・・・そんな単純な意味で使って
いるとすれば脚本家が馬鹿なのか、本郷氏の努力も水の泡ですね。
また「例」に出している「王家」や「王」表記の意味は「朝廷」というより、
「人の上に立つ支配者全部」を象徴的に表現した言葉で決して当時の院や
天皇家を指しているとは思えないんですが
北面の武士は「王家の犬」ではなくて「院の犬」もしくは「帝」「貴族」の犬と
置き換えるのが妥当ではありませんか
「王より皇の方が上という感覚がなかった」というのは事実でしょう。
なんせ「主上」とか「帝」といえば「皇」の意味をなしていたのですから。
日常的に「王家」という言葉を使っていたと本気で本郷氏は思っているのか?
私は違うと思いますが・・・・・・ っていうか、院や帝を呼ぶこと自体タブー
だった時代、武士が「王家」と連呼できる価値観があったかどうか。
それは鳥羽院が崇徳天皇を「アキヒト」と真名で呼ぶおかしさにも通じると思います。
「源氏物語」にあるように、当時は名前は呼びません。
「〇〇宮」長子は一宮とか東宮とか・・天皇になれば『帝」です
女性も同じで「たま子」とは呼ばず「女御」とか「・・殿」と呼ばれていたのでは?
特に「帝」「院」はこの世に一人しかいませんから、主語がなくてもよかったのでは?
今でこそ「明仁天皇」だの「美智子皇后」だのといいますが、昭和の時代までは
「裕仁天皇」なんて呼ばなかったし、皇后様の名前なんて庶民は知らなかったです。
浩宮・礼宮・紀宮も名前表記される事はありませんでしたし
(多分、昭和なら悠仁親王だって「秋篠若宮」とか「ゆう殿下」で定着してたのでは?)
つまりそれだけ「恐れ多い」存在だったわけで。
昭和までそうなら平安末期なら尚更と思うんですね。ゆえに、いくら本郷氏に
「皇室を貶める意図はなかった」とはいっても、結果的に貶めているんです。
「当時は」とそこまで拘るなら、当時の思想的背景もきちんとすべきでは?
そんなの無理でしょう?
(何度も書くけどその時代に生きてた人はいない)
だから、恒常的に昔から使われてきた呼称でいいんですよ。
本当に「王家の犬」という言葉がうざくてうざくて・・・・