パンパカパーン パパパ パンパカパーン
天皇陛下、80歳のお誕生日おめでとうございます
いつも国民を温かくお見守り下さり、ありがとうございます。
これからも日本国の象徴として、国家の安寧をお祈り下さいませ。
くれぐれもお体に気をつけて
記者会見全文
傘寿の感想など
「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、
やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。
私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、
その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、
オランダとの戦争が始まりました。
終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人といわれています。
前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、
本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、
日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の
払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、
人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、
本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに我が国の向上、
発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。
既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、
年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には、昭和天皇をはじめとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、
直接間接に、さまざまな教えを受けました。
宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えて
くれたことに感謝しています」
陛下の年代は「太平洋戦争」の痛手を体ではなく、心に受けた世代であると思います。
大人であれば、あの時の戦争への歩みを冷静に受け止め、あるいは納得できなくても
受け入れる度量があったと思うのですが、子供だった陛下には全てが理不尽に見えた
事だろうと思うのです。
それは皇后陛下も同じだし、雅子妃の両親である小和田恒氏もそう。
日本を戦争へ導いた全ての事を理不尽に、納得できず、どう処理したらいいかわからない。
そんな思いを抱えて生きて来た80年だったと思います。
片方は、「戦犯ではないのか」と終生言われ続けた昭和天皇の息子。
もう片方は「天皇こそ悪」と信じ込んできた得体のしれない左翼。
私には陛下が「天皇である自分」というものに、ずっと迷いや罪悪感を抱えて来たのではないかと
思えてなりません。
日本国憲法を順守する天皇・・・でもそうすればする程、自分という存在とのギャップに苦しまれ
こんな事は自分の代で終わらせたい・・・とどこかで思っているのではないかとすら思えるのです。
「知日派のアメリカ人」の代表が、陛下にとっては「ヴァイニング夫人」でしょう。
だけど、やっぱりどこかで真っ赤さ―に取り込まれたかなと思う事もあり。
信じたいのですがね。
「年齢による制約を受け入れつつ・・・」という言葉には「覚悟」がにじみ出て。
本当に苦労が多い世代なのだなあと。
「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、
私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います」
今日は朝から、この部分がクローズアップされており。
いわゆる「孤独」発言と呼ばれていますね。
でも、全体の文脈からすればいわゆる、本当の「孤独」という意味で使っているのでは
ない事がわかります。
どのような仕事をするにしても、立場が上になればなるほど孤独になる。
それは例えば芸能界のトップと呼ばれる人もそうである・・・という事です。
でも、陛下には皇后陛下という伴侶があり、支えになったとおっしゃっています。
これは、いわゆる皇后バッシングが起きそうな今、牽制したのか?ともいえるし
皇太子への嫌味?とか?秋篠宮夫妻への提言とか?
いかようにもとれる言葉ですね。