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Channel: ふぶきの部屋
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思い出

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 風邪で声が出ない。

おまけに気が緩んだのか前撮り終わった途端にいくら眠っても眠い状態に。

姫が「お兄ちゃんの風邪が移ったんじゃないの?」というので、思わず笑ったら

「そこ、笑う所じゃないよ」と叱られました。

だってね・・・お兄ちゃん、ママのお布団に寝たら治ったんだよ

「結局、帰ってきたら一晩はママのお布団に寝るアニキ」と姫はいい、

それからは二人して

「私なんかお兄ちゃんと一緒に出勤して、途中まで電車に乗ったもん」

「ママなんかお兄ちゃんのおでこさわったもん」

と・・・まるでスター扱い。ジュニアってそんなスターだったっけ?

まあいいわ。私が風邪ひいてジュニアが治ったのならそれで。

過去記事を読んでて、ジュニアが本当に何度も病気している事を再確認

体の弱い息子が気がかりです。

さて。

クリスマスの奇蹟のような話を。

その前に、サフランさま。

ありがとうございます あなたのおかげで私は36年ぶりの再会(顔は合わせてないけど)

を果たす事が出来ました。

あなたがご紹介くださったブログ

 「時事随想抄」

http://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume

 

のブログ主である

倉西雅子氏は私の中学時代の先輩でした

いやーー名前を見てびっくり。同姓同名?って思ったりしたけど、「倉西」という姓は

どこにでもあるわけじゃないし、おまけに横に「裕子」の名前が。

忘れもしない、中学時代の「ご優秀で美しすぎる双子姉妹」様だったのです。

 

前にも書いたと思うのですが、私の中学時代は暗黒で

全校生徒500人強しかいないわりには、やたら偏差値が高く、真面目。

いわゆる「ご優秀」な方が揃いもそろっておりました。

私は入学してからすぐに「いじめ」に会って、一度などは死んでしまおうかとも思った程。

なんせ鞄を投げられたり、悪口を言われたり・・・ひどいもので。

先生も「苛められる側に問題がある」派だったから、何の解決にもならず。

いじめられた原因? 

 協調性がなかったこと

 サラリーマン家庭ではなく価値観が人とちょっと違った

 成績が悪かった

こんな感じ?

私にとって中学の3年間は頭にかすみがかかっているような、ふわふわと想像にふけっている

現実離れしたもの。

小学校5年の時にテレビでみた「ベルばら」を機に演劇熱に目覚め。

一方で物語を書くのが趣味。

そういう好きな事だけはずっと続けて、一切勉強せず。でも演劇も小説も、勉強が出来ないと

全然ダメだって事もわかってました

文を書けば誤字脱字だらけで文脈も支離滅裂。なので評価された事は一度もなく。

演劇部に入ったけれど、たまたまなのかな・・そこに集まった人達も成績優秀な人ばかりで。

1年生の時、3年生だった菅野洋子先輩は(菅野よう子さんとは別人。学歴もほとんど同じだけど)

文武両道に優れ、今はクラシックでご活躍?

とにかく、いつも「努力向上賞」(毎月成績が上がると表彰される)をとってる人達ばかりで。

でも、演技力は成績とは別物だったし、舞台に立てば苛めている彼らに「しかえし」をしているような

気になって。年に1度の文化祭を唯一の心のよりどころとして生きていたのです。

 

当時、演劇部の部室は技術家庭科室で、そこは美術部と共同で使っていました。

その美術部に所属していたのが倉西先輩。双子の美人姉妹でした。

私は同級生とはうまくいかなかったけど、上級生にはとても可愛がられていて、演劇部の先輩を

通して美術部の先輩方ともお知り合いになり、おしゃべりをし、一緒に帰ったりしてました

放課後と休み時間は図書室に駆け込んで、様々なおしゃべりをしました。

進路の事、小説の事、アニメの事、ドラマの事など。

私の誤字脱字だらけの物語を読んで下さったり、それがどんなに慰めになった事か。

二人ともそっくりでしたけど、裕子さんは目が切れ長、雅子さんは目が大きめ。

「どっちが美人か」なんて話を他の先輩たちとしたこともあります。

ちょうど、皇太子妃と同い年でいらしゃる。

エレナ王女のレセプションには、あっちの雅子さんじゃなく、こっちの雅子さんがいらっしゃったら

皇太子の人生も変わったんじゃないかな。 

恋の話も・・・しました

今思えば、身分違いの片思いでも、当時は真剣だったんですよーー

先輩方の印象は、常に冷静であまり怒ったりする事がなかったという感じ。

仙台にいるのに都会的でなまりが一切なく、何でも理論的に話されるので

こちらは安心していたという 

仙台は保守的で偏見やら差別が多くて、生きづらさを抱えてもいたのですが

先輩方にはそういったものがなかったので、何でもお話しできたんですよね。

話題も豊富だったと記憶してます。

 

あれから36年ですか。

私は3児の子の母となり、主婦業の傍らほそぼそとブログを続け、皇室と宝塚をライフワークに

好きな小説も書いて自己満足な日々。

先輩方はお二人とも学者さんになられたんですね

すごいなあ・・・・・・ 同じ中学の後輩として誇りに思います。

私なんぞが生意気にも対等な口をきいて、あれこれ主張していた事を思うと恥ずかしい

 

もう二度と戻らない中学時代(戻りたくないけど)

一瞬のきらめきを思い出させて下さってどうもありがとうございます。

 

ついでに 「倉西先生のご学問所」をご紹介。

http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/

私、政治にはうといのですが、歴史なら大好きでついていけるかも。

 

これからもがんばって下さい。

そしてあらためて、ご紹介くださったサフランさま、ありがとう。

 


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