「初めに結論(女帝)ありきでなぜ悪い」
原則は「男系男子」だから。
男系論者は「有識者会議」の報告書に「初めに結論ありきだ」と批判する。
その通りではないのか。「愛子女帝擁立」という結論が最初にあって、その為の皇室典範改正を
しようとしていた筈。
しかし、これも非難の為にする非難であって、危機的な現状のもとで「我が国の象徴である
天皇の地位の安定的継承」を維持する為にまず「皇長子」である愛子内心王を念頭に、
女帝の是非を検討するのが第一の課題(A)ではないか。
(この時はまだ悠仁親王が生まれていない時)
原則としての「男系の男子」として考えるなら、秋篠宮殿下を念頭に置き、その上で
眞子内親王という女帝の是非を検討するのが第一の課題だと思います。
臣籍降下された旧皇族の復帰まで議題にする(B)ことは、(A)すなわち女帝そのものが
我が国の国体護持の上で不当ないし不可である場合においてその次に考えられることである。
「女帝が」というより「女系天皇(父が天皇ではない)の存在が国体護持の上で不当ないし不可である
と言えるのです。
なぜならもし、女系天皇が誕生した場合、田中卓氏のような屁理屈をこねる人が現れて
「女系天皇は雑系である」と言い出しかねないからです。
天皇というのは、他の国の皇帝や王とは違って、その存在意義は「血筋」なのです。
したがって(A)の女帝が、日本の歴史、伝統の立場から容認されると判断した有識者会議が
(B)の課題に踏み込まなかった事は、むしろ当然の成り行きである。
秋篠宮という皇位継承権第2位の方を無視する形で、何が何でも「長子相続」に拘るというのは
有識者会議が初めから「愛子女帝」ありきで考えているからで、なぜそうでなければならないかと
いえば、それにより得をする人がいるからと考えられます。
戦後68年、なぜもっと早く旧皇族の復帰の首長や運動をしてこなかったのか。
戦後68年と一口に言いますが、アメリカの占領時代を経て、独立しても常にアメリカの
脅威に怯え、おもねる国の体制にあった事。
戦後、一歩間違えば昭和天皇は死刑になったかもしれない。
それを思えば、アメリカの機嫌を損ねるような事を進んでしようとする筈がなかったでしょう。
また、昭和天皇の弟である三笠宮家には3人の男子がいて、さらに今上には2人の男子がいた。
むりに波風を立てる必要はないと考えたのではないでしょうか?
個人的には、昭和の末期頃から「ヒゲの殿下と高円宮家には女王しかいないし、これで皇太子に
子どもが出来なかったらどうするんだろう」と思っていました。
歴史的に見ても近代皇室における男子の出生率は非常に低かったし。
当時、「女帝」論議がなかったわけではありませんでした。
でも、必ずそれに対しては「女帝の婿の待遇・尊称」「外戚が女帝を操る事になりかねない」という理由で
却下されていました。
正直、「普通に男子の天皇でも外戚が権力を振るう事はあるんじゃないのか」と思いましたが、現在
「皇太子妃の実家」である小和田家が権力を振るい、皇太子妃の好き勝手が許され、世論ですら
操作されているのを見ると、まあ、天皇が男でも女でも配偶者とその実家の心持で違うものだと
考えさせられますが
昭和末期といえば、私はまだ社会に出たばかりだったし、ジェンダー思想にハマっていた時代ですから
女帝でも構わないのではないかと思いました。
過去に女帝はいたわけだし。
けれど、その全ての女帝は独身もしくは「天皇の妻で皇族」であった事を考えると、もし内親王が即位したら
一生独身を貫く事になるわけで。
旧皇族・旧華族・民間人でも「女帝の婿」は存在した事がなかったので。
それがなぜだったのかはずいぶんあとになって知りました。
最初からそうするつもりではなかったのかもしれませんが、天皇というのは「父方の血筋の正当性」を
主張して125代続いて来たのです。
127代目までは「父方の血筋の正当性」は守られても、内親王に一生独身を強いる事は出来ないだろうし
確実に128代目は「父方は民間人」で遡って行く事になります。
その時になって「初の女系天皇」にどれほどの権威があるでしょうか?
その時、悠仁親王あるいはその後継男子が「127代まで続いた系統を引いている」事がはっきりしたら
どうなるでしょうか。
127代目ないし128代目は確実に秋篠宮家を滅ぼすかも
かつての聖武・称徳の後ろに控えた藤原四兄弟が長屋王家を滅ぼしたように。
なぜなら聖武天皇より長屋王の方が血筋がよかったからです。
私は不比等・四兄弟が聖武天皇の他の皇子を無視して、安倍内親王を東宮に立て
即位させた事は、今の小和田・女系派とすっかり同じ考え方だったと思っています。
幸いにして称徳・孝謙天皇は結婚せず・・・・というか、子供が出来なかったという幸運が
あっただけだと。 (仲麻呂とか道鏡の子なんかが生まれていたらと思うと怖いです)
女帝は歴史上存在し、大宝令でも認めている。
当たり前。当時、持統天皇がいたのですから。
でも、その持統天皇だって何が何でも草壁皇子に皇位を譲りたくて大津皇子を殺し
今度は孫を即位させる為に自分が天皇になったという野心ありきの人でした。
当時、持統でなくても男系男子は他にも一杯いたのに・・・孫の外戚になる不比等に
振り回されたか、利用したつもりが利用されて・・・という所。
高市の皇子を無視する事は出来ず、太政大臣にしたのも頷けますよね。
その高市の息子が長屋・・・・と考えると。
過去の日本で、実際に皇統が「男系男子」を基本としていることは間違いない。
しかし、その一方で例外もあり「女帝」が実際に存在された事(推古天皇かを始め後桜町天皇まで
10代8方)も、迷惑は歴史上の事実である。
また大宝令でも「女帝の存在を認めていて、次のように明記されている。
およそ皇の兄弟皇子を皆親王と為よ。女帝の子もまた同じ。以外は並びに諸王と為よ。
親王より五世は、王の名を得たりと誰も、皇親の限りにあらず。
これによると、「女帝」の存在も、その「子」を親王と称することも認められている。
ゆえに愛子内親王が女帝となっても何の支障もない。
「女帝の子」というのは、あくまで「父親も天皇に繋がる血筋」である事が条件です。
推古女帝 → 父が欽明天皇 夫が敏達天皇
皇極・斉明天皇 → 父は茅渟王 夫は舒明天皇 → 息子・天智・天武天皇は男系男子
持統天皇 → 父が天智天皇 夫が天武天皇 → 孫・文武天皇は男系男子
元明天皇 → 父が天智天皇 夫が草壁皇子 → 孫・聖武天皇は男系男子
元正天皇 → 父が草壁皇子 母が元明天皇 → 甥・聖武天皇は男系男子
称徳・孝謙天皇 → 父が聖武天皇
明正天皇 → 父が後水尾天皇
後桜町天皇 → 父は桜町天皇
愛子内親王に境遇が似ているのは、前述した称徳・孝謙天皇。
「女帝」が「天皇もしくは皇子の妃」でない場合、独身を貫く先例はここに出来たというべき?
それなら愛子内親王も先例に従うべきでしょう。
明正天皇はまさにその「先例」を利用して、徳川の血を天皇家に染み込ませない為に即位
させられたのですから。
愛子天皇 → 父は徳仁天皇・・・・で終わればいいですが、万が一「子は女系(父方が民間人)」となると
2000年の歴史で初めて。これが皇統の正当性をなくすと言っているのです。
悠仁親王 → 父は秋篠宮・伯父は徳仁天皇・・・「子は男系(父方が天皇)」
ちなみに長屋王 → 父が高市皇子・母が吉備皇女(元明の娘で元正・文武の妹)
つまり両親どちらも皇族であるわけで。父方も母方も男系に繋がるのです。
そこらへん、臣下を母と妻に持った聖武天皇はどう思っていたか・・・何やら現皇太子に似てませんか?
有識者会議を素人呼ばわりするのは失礼である。
女帝反対論者が「有識者メンバー」を皇室史の素人ばかりと批判するが、むしろ、盛んに
女帝反対を唱える論者こそ、それぞれの分野ではすぐれた業績のある人たちであろうけれども、
これまで、国史を先行し、日本史学会で、皇室賢兄視野氏族系譜の研究で名の通る
人はほとんどないのではないか。
自らを顧みることなく、他を非難するのは、識者の慎むべき事である。
メンバーにレフトの思想家が混じっていると問題すにする向きもあるが、別に非難に値しない。
ここらへんは屁理屈と悪口だなと思いますが、レフトの思想・・・つまり、左翼的考え方を持っている
人が混じっていても、色々な考え方があるからそれは問題ないと言っている事が問題だと思います。
単に左翼といいますが、要するに「天皇制廃止」論者、そして反日でしょう?
そのような考え方を容認するというのは、進んで天皇制を廃止に導こうとしているのかと。
レフトの思想家は天皇制を廃止しようとしているので、あるいは天皇制の尊厳や権威を認めないので
何とかしてそれを貶めようと画策します。
そこで「女帝」です。
つまりレフトの思想家は「天皇制廃止」の為に「女帝」を利用しようとしている事が、ここで明るみになった
という風にか考えられないでしょうか?
「皇族のご意見を」というなら、第一に天皇陛下の御叡慮こそ
反対論者は、「有識者会議」に対して、「皇族の御意見をも聞かずに僭越不遜」とも非難し、
三笠宮智仁親王殿下の「プライベート」な御発言を大々的に例示する。
どうしても皇族の御意見を賜るというのであれば、何夜も天皇陛下の御叡慮をこそ、第一に尊重
すべきではあるのにーもっとも陛下はこの問題で軽々しく御意向をもらされることはあるまいがー
反対論者の中には、ある会合で講演し、参会者の中から
「天皇陛下の御意向を承る必要があるのではありませんか」と質問が出た所
「それは非町内。そのようなことをして、もし天皇陛下が将来は女帝でも差支えない、と
申されたらどうするのか」と切り返したという話を仄聞している。
確かにもっとも危惧するのは、今上が「女帝・女系を認める派」だった場合です。
羽毛田元宮内庁長官がそうもらしたり、現在は皇后が「女性宮家」を後押ししているなど
もしや・・・と思う節もなくはないのです。
大型掲示板などでは「今上は悠仁親王が生まれた時、本当に心から喜んでいらした。だから男系派」
というし、「天皇たるもの、軽々しく御心をあらわせない」というのもその通りだと思います。
でも、自らの意思とは関係なく、「女帝容認」と報道されても黙っている事や、女性宮家云々を問われても
黙っている事、そして東宮家への気遣いを見ていると、もしやもしやと思わざるを得ません。
和船を漕いだから、参内しているから、一緒に静養しているから・・などと考えるのは希望的観測かも
しれないと思います。
もし、本当に今上がリベラルな立場で「女帝容認」を考えているのなら、それはもう皇室そのものが
尊敬に値しない存在になったという事です。