女帝と女系とを分ける不遜な妄想
女帝反対論者も、ごく最近は、純粋な男系継承をつづけるということは非常に困難」であることを認め、
それを成就するためには古来「庶子継承」と「傍系継承」の二つの安全装置があったという。
庶子継承 → 天皇の側室が産んだ子による継承・・・125代のうち半分はこれ・・らしい。
近代でいえば、明治天皇・大正天皇もそれにあたる。
傍系継承 → 皇族の中から天皇を選ぶ。
いわゆる、桃園天皇のあと閑院宮を父とする光格天皇。
庶子継承も傍系継承も当たり前のようになされて来た事です。
はっきり言って「正室が産んだ長子継承」でなければならないとなったのは戦後の話。
21世紀の現在、庶民を見渡すと「嫡出子にも同等の相続権」が認められ、それが
「時代の流れ」だと政治家ですら言い出しているわけで
一夫一婦制の現在、公に「妾の子の相続」を嫡出子に認めるという事は、「後継ぎ」も同様なのでは?
と、思ってしまいますが。
戦前の民法はある意味民主的で21世紀的。
なんせ、家父長制の元、お妾さんとその子供は認知したら「扶養義務」が課せられて、戸籍にも載る程ですし。
皇族だけではなく華族も半分以上「側室の子」ではなかったでしょうか?
昭憲皇太后も貞明皇后も側室腹です。
何が言いたいかというと、戦前までは「側室」にも人権があったという事ですね。
韓国史劇を見てて最初違和感を感じたのは、あちらでは王様の子といえども側室の子の場合は
「下段」に置かれます。「トンイ」が産んだ英祖は自分が身分の低い側室の子である事を気にしていたとか。
両班の場合、母が側室の場合、使用人と同じ扱いです。
なぜ日本は?と思いますが、それこそ「父方の天皇の血筋」が絶対だったからではないでしょうか。
しかし、さすがに「庶子継承」は、今の時代に無理と見て取り下げている。
そして国民世論の支持率の高い敬宮愛子内親王を念頭に、このお方は「男系だから
女帝として容認してもよいが、その後の継承が「女系」となると、それは日本の伝統に
南すると、論旨を「女帝」と「女系」とにわけて論じ始めた。
しかし、女帝が皇族以外の婿を迎えられれば、生まれた子は「女系」となるのであるから、
結果的院は同じであって、これは愛子内親王だけを女帝と認めるための策にすぎない。
そして、彼らの本心は、愛子内親王が女帝となることにも、実は反対なのである。
そこで嫡出の子に男子がなければ、次の「安全装置」である傍系のお肩を迎えればよいとして、敗戦後に
臣籍降下された旧宮家の方々の皇族復帰を盛んに提唱している。
そしてその中から男子を選び出して、愛子内親王はその皇后になられたらよい、と、勝手な構想を
描く者さえいる。
国民の支持率が高い愛子内親王って誰?という感じですが。
でもここはおっしゃる通りで、愛子内親王は「男系女子」(称徳・明正などと同じ)ですから即位しても
構わない・・・でも、彼女が「婿」を取って子供が生まれたらそれは「女系」ですから例がありません。
そして、確かに125代に至るまで「女系天皇」は認められていないのです。
私は愛子内親王が旧皇族天皇の皇后になる事も反対です。
女帝の男子であっても、後に即位せられて「天皇」となり、娶られた皇妃との間に
「男の御子」が産まれて、そのお方が皇位につかれると、この系統は母方に当たる女帝の
血をうけていられるので、古来からの皇族の継承とみて、
皇統は再び「男系」にかえるとかんがえてもよい。
天照大神が「吾が子孫の王たるべき地と神勅されている通り、「天照大神を母系とする子孫」であれば、
男でも女でも、皇位につかれて何の不都合もないのである。つまり、
母系にせよ明瞭に皇統につながるお方が「即位」して三種神器を受け継がれ、
さらに大嘗祭を経て「皇位」につかれれば「天皇」なのである。
子どもは父母まら生まれるのであって。男系とか女系の差別より、父母で一家をなすというのが
日本古来の考えだから、それを母系(または女帝」といっても男系といっても、差支えなく、
問題とはならないのだ。
この文章は意味不明です。
「元をただせば男系にかえる」なんてこじつけとしか言いようがない。
田中氏のような考え方を天皇家はしてこなかったからこそ、今があるのではないかと思いますが
もし田中氏のような考え方がまかり通っていたら、かのエリザベス一世のように、次から次へと
「婿」候補が現れては消える・・・という事が繰り返されていたのではないかと。
男系は「シナ」古来のものと言いますが、オーストリアのハプスブルク家は基本的に男系継承です。
マリア・テレジアは「女帝」と呼ばれていますが、皇帝になったのは夫のフランツ1一世。
フランツ一世の姓は「ロートリンゲン」ですから、以後、ハプスブルク家は「ハプスブルク・ロートリンゲン家」
になりました。
そのたった一度の「女系」への転換がハプスブルク家を弱らせていった事実はあると思います。
エリザベート皇后の夫であるフランツ・ヨーゼフ一世は、ルドルフ皇太子が亡くなると、その娘ではなく
弟の子であるフランツ・フェルディナンドを皇太子に立て、さらに彼が亡くなると、フェルディナンドの弟の子が
後を継ぎました。これすら「シナ」の考えをまねたものと言うのでしょうか。
繰り返しになりますが天照大神が「女神」になった経緯には裏があります。当時、まさに女帝がいたからです。
それだけ当時ですら「女帝」には疑問符がついていた証拠ではないかと。
また天照大神は神であって天皇ではないという事。
天皇の初代はあくまで神武天皇です。
母系ではいけない。あくまで「父系」の天皇でなければ意味がないのです。
力で権力を握って来た外国の王室とは違い、日本の「皇室」はいわば「和」の象徴です。
もし、天皇という存在がなかったら日本も朝鮮半島のように部族同士が常に血で血を洗うような
歴史を作っていたかもしれません。
「祭祀王」「和合の象徴」としての「天皇」を支える「権威」それは「父系の血筋」に他ならないのです。
子どもが父母の間に生まれるのであって父母で一家をなす・・・・というのは世界共通じゃないでしょうか?
その「妻・母」が正室でも側室もいいよ・・・と言っているだけなのですが。