傍系の例証とされる継体天皇の場合。
継体天皇の前、武烈天皇には子供がいなかったから、仕方なく継体天皇が即位。
もし、娘でもいれば「婿入り」もあったかもしれない。
傍系といっても応神天皇の「五世孫」であり、自身も王名を持っておられて、最後に地方豪族の
隠然たる勢力があり、中央の政界においても、北陸地方でも周知のお方であったから、天皇となられても、
国民にとってそれほどの不自然さはなかったのだ。
武烈天皇には諸説あり。
言える事は、仮に娘がいても「女帝」にしなかったろうということ。それこそ継体天皇の妃になったんじゃないかと。
田中氏は継体天皇の即位の理由を「地方豪族の隠然たる勢力」があり、「北陸地方でも周知」だったからと
言っているわけです。
つまり、これは「血筋よりも後ろ盾」を認める記述ですね。
「王の系統」であり、尚且つ後ろ盾があったから即位出来たというのは、天皇の正当性に入るのでしょうか?
また、「国民にとってそれほどの不自然さはなかった」といいますが、当時の大和に「国民」意識が
あったかどうか。
大王なんて下々の者からすれば誰でもよかったんじゃないのでしょうか?
秋篠宮文仁殿下は今上のお子。直系の子。悠仁親王はその子。今上の孫です。
継体天皇よりずっと今上に近いですし、「親王」殿下ですし。
ただ、確かに愛子内親王に比べたら外務省や創価などの後ろだてはありません
だからこそふさわしいといえるでしょう。
というか、継体天皇にまで話を遡って「傍系」を云々言っても仕方ないのではないかと。
現実に今上はそこにいらっしゃって、皇室典範に定められた男系男子は皇太子、秋篠宮、悠仁親王の
3人だけで、愛子内親王の入る隙はありません。
現在、−将来、皇太子・同妃両殿下に男のお子様がお生まれにならないとした場合、
最も大切なことは、先ず愛子内親王に、皇太子・女帝となって頂く事である。
その場合、皇婿の候補として、傍系の旧皇族もその範囲に含めることはなんら差支えなく、
その可能性もありえると思うが、その場合は当然「女系」となるー現在の皇太子殿下が
天皇になられた次の皇位に、愛子内親王をさしおいて直ちに「傍系天皇」を迎えるという
ことには無理があり、国民大方の同意も得られないと思う。
ですから、秋篠宮殿下と悠仁親王は「傍系」ではありませんって・・・・・
何度も書きますが、「天皇」が「皇太子の子」である必要はありません。また「皇太子妃の子」である
必要はありません。
「父方を遡って常に天皇に行きつく」ならいいのです。
徳仁天皇が立った時、秋篠宮は内廷外皇族に留め置かれるでしょう。
典範には「皇太弟」の規定はありませんから。
それでも「皇太子の子」に拘るなら、秋篠宮が即位し、悠仁親王を皇太子にすればいいだけの話です。
男系男子である二人の親王をさしおいて、直ちに「女帝」を迎える事には無理がありすぎ
田中氏は不比等になったつもりか?
女系でも養子でも家系は継承され得る。
民間において「女系」養子はままある事。
この点については、皇室と民間では異なるという反論もあろうが、その違いは皇位の尊厳、
君臣の別に関してのことであって、人間生活における男女生誕の自然則を、皇室だけには適用
しないというのでは、それこそ神がかりの論理で、無理というものだ。
外国人が「男系の血統」を守っている事に感動しているというが、それが違う。
従来から、外国人が皇室に対して敬意を表するのも、また日本人が皇室を誇りにするのも
神武天皇の建国以来、皇族の席を有せられる一系の天子が、千数百年にわたって、
一貫した統治者であり、外敵や他系の権力者が帝位を冒した例がないという、歴史の事実
にあるのであって、皇統が「男系」とか「女系」という遺伝子のせいではない。
養子・・・親王が形上「天皇の猶子」になる事は今までありましたし、大正天皇のように実際は
昭憲皇太后の子でなくても「実子」にされるなどというのは普通の事でしたが「女系」はありません。
何を持って田中氏は「女系」はあったというのでしょうか?
女帝=女系と勘違いしているのではないかとさえ思いますが。
田中氏は平沼赳夫氏を例にとって「平沼氏は女系の子」なのに「女帝反対を言うのは変だ」と
おっしゃっていますが、民間では「血筋」よりも「名前」である事は、武家社会の名残でしょうか。
私自身、女であるし養子で、ふぶき家とは血が繋がっておりませんが「名」を残す事が大事であると
両親は考えたのです。
公家社会と武家社会では根底が違うでしょう。
さらに、関西の商人の家系はボンクラ息子より賢い娘婿に後を継がせる方が利にかなって
いたりする・・・その役割によって継承の在り方はそれぞれです。
天皇の場合は「男系の血」が全てなのです。
外国人・・・・王族をとって考えてみると、日本の皇室が「素晴らしい」と思われているのは
やはり「男系」を貫いているからではありませんか?
ヨーロッパではブルボン家もハプスブルク家も消えてしまったし・・・ロシアなんてエカテリーナの
時代から血筋がどうでもよくなっているし、おまけにロマノフ王朝も滅びてしまいました。
血がまじりあっている事がいいのか悪いのか。でもダイアナ妃が皇太子妃になった時、イギリスの
国民はおお喜びしたのです。「イギリス人のお妃だ」と。
でも、オランダはどうでしょう?二代続けて妃がナチスに関わりある家で・・・
そういう意味では一点のシミもない天皇家の血筋は尊い」と思われてしかるべきでは?
ヨーロッパは「女王」が多いから男女平等だとか「男系の血筋」に拘らない「開かれた」ものだとか
いう理論がありますが、それは間違っています。
実は「女王」ばかり立つ国は一段下に見られている事・・・これは口には出さないけど現実にありますよね。
スウェーデンは王子がいるにも関わらず「長子相続」が決まりましたが、それは一種の「王室崩壊」への
道筋だと言われています。
イギリスも、ジョージ王子が生まれなかったらどうなったか。
我が国の皇太子妃が好きなオランダも、ウイレム国王の誕生に国民は喜んだのです。(でも次はまた女王だけど)
これは「男女差別」とかいうものではなく・・・・人間のDNAに組み込まれた「意識」の差ではないかと。
どんなに平等意識があっても男に子供は産めないし、女に喉仏は出来ないのです。
もし、女帝反対論者のように、皇統に関して神武天皇子孫男系だけを問題にするならば
「新撰姓氏録」を見たまえ。それによると、「皇別」の数は、神武天皇以降で三三四氏をかぞえる。
氏人の男系派、源氏・平氏を含めて、数えきれない数となる。それらが全て、天皇御子孫の男系と
いう理由で、天皇候補になり得るわけではないであろう。
一方で男系男子の後胤の中には、蘇我氏や平将門、足利氏など、皇位を冒そうとした人物の
いた事を忘れてはならない。
問題は男系・女系ではなく、皇統を継ぐお方の自覚と徳望である。
思わず「なんだこの屁理屈」とのたまってしまいました。学者がこんな事を書くなんて
どこかの国のことわざにありますね。
「私達は王様の子孫である」と。
「藤」が付く人はみな「藤原」に繋がるし・・・・というのと同じ理屈ですよね?
突如蘇我氏や将門を出して何が言いたいのかとも思います。
もし「皇統を継ぐお方の自覚と徳望」が全てなら、現皇太子はもっともふさわしくないのでは?
なにせ「皇室の権威に傷つけた」人なんですから。
神宮祭祀という日本の優れて重要な伝統の中でも次代の変遷と要請に伴い、天皇より
御差遣の斎王・祭主が女性(未婚)→男性→女性(既婚)と、変化しているという事実である。
伝統というものは、本質的な精神に関していうことであって、男・女の性別や制度や形式については
時代とともに変化の生ずるのがむしろ歴史の常であって、何ら異とするべきものではない。
これって民間でいう所の「神主」さんと「禰宜」「巫女」さんをごっちゃにしているという意味なんでしょうか?
伊勢の祭主が男だったり女だったりするのだから、天皇も男であっても女でもあってもいい筈だ・・って
かなり無理な理論です。
屁理屈には屁理屈を?
お父さんをお母さんと呼んでいいし、お母さんをお父さんと呼んでもいい・・・みたいな?