公務の引き継ぎについて
「公務についての考えにつきましては,以前にも申しましたけれども,
過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の
象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して,国民の幸せを願い,
国民と苦楽を共にしながら,象徴とはどうあるべきか,
その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。
何だか左翼っぽい・・・と思いました。
「日本国の規定」などという言葉をなぜここで出すのでしょうか?
現在、皇太子である彼がすでに「天皇」であるかのような発言にも
聞こえますし、わざわざ「日本国憲法の規定」という言葉を出す事によって
政治的配慮をしたように見えます。
はっきりいって、「公務」と「象徴天皇」である事は違うんじゃないでしょうか?
「天皇」というのはそこにいるだけで「天皇」なのです。そして天皇として
一番大事な役割は「祭祀」を通して国家の安寧を祈る事。
それが「国民の幸せを願い、国民と苦楽を共にする」事になるのです。
憲法には「象徴」と書かれていますが、この「象徴」という言葉に深い意味はないと
私は考えます。ただ「天皇」という存在をどういう言葉で表現したらいいか
わからないので、あえて「象徴」という言葉にしたのだろうと。
そんな戦後の混乱期に作られた「憲法の規定」に思いを致すという事は
「憲法改正」という問題をかかえる現政権へのけん制でしょうか?
むしろ「憲法」ではなく「皇室典範の規定による男系の男子」である事に
思いをはせ・・・となるべきだったのではないかと思います。
この一文は非常に問題があると思います。
多分、作ったのは小和田氏でしょうね。
というのも「国民の幸せを願い」「国民と苦楽を共にする」という言葉は
女性週刊誌などで散々使い古されてきた「皇室のイメージ」なんです。
天皇がそういった・・・という事ではなく、今上陛下の在り方が「そう見える」
という事に他ならないのです。
この二語を見て真っ先に思い出したのは、例の「皇后バッシング」
です。あの時、元ふ育官の浜尾さんは「天皇は国民の幸せを願い、国民と
苦楽を共にする筈なのに、今は楽ばっかりだ」と言った、あの発言です。
つまり、小和田氏の中の「皇室」イメージは雑誌の受け売りにすぎないという
事です。
望ましいあり方を求め続けるというのは聞こえがいいのですが、
皇太子がやっている事は真逆であるという事がわからないのでしょうか?
また、質問では「傘寿を迎えた今上の公務を受け継ぐ」事についてだったのに
いきなりここで「象徴天皇の在り方」を持ち出す事自体、おかしいです。
同時に,これまで行われてきている公務を踏まえつつ,
将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて,公務に対する社会の
要請に応えていくことが,重要であると考えております。
「人格否定発言」では「やりがいのある公務」と言っていたのに
「社会の要請に応えていく」と変化していますね。
とはいえ、社会の要請とは何でしょうか?
「天皇はいらない」と言われたら「わかりました」と答える事でしょうか?
天皇皇后両陛下には,これまで,毎年,こどもの日,敬老の日及び障害者週間の
前後には,関連施設をご訪問になり,入所者に心を寄せられ,
また,多くの関係者をねぎらってこられました。
このような両陛下のお気持ちを体して,私たちも心を込めて,
この施設訪問を受け継がせていただきたいと考えております。
つまり、施設訪問はやる・・・という事ですか?
陛下、将来的に施設訪問はなくなりますよ。
我が国社会は,少子高齢化,地方の活性化,環境・エネルギー問題や
防災対策を始め様々な課題に直面しています。
私としては,高齢者や障害者の方々,子どもたちを取り巻く環境や日本が直面してきた
災害の歴史やそれに対する対応などを始めとして日本社会が抱える
諸課題やそれに応じた社会の変化を知り,国民の皆さんが日々どのような苦労をし,
また,それらを克服するためにどのように取り組んでいるかを
学ぶように心掛けております。
その際,そうした多くの方々の苦労を心に留(とど)めるとともに,
課題を抱えながらも前向きに努力されている方々を少しでも励ますことができればと
思っております。
また,同時に,世界各国との相互理解を深めていくことが大切だと思いますので,
文化交流や国際親善の面でもお役に立てればと思っております。
今後とも,常に学ぶ姿勢を忘れずに,世の中のためにできることを
心掛けてやっていきたいと思います。
「文化交流」「国際親善」・・・・まるで故高円宮のようではありませんか。
つまりそういう事をやりたいという事ですね。
外務省と関わりを深くして、韓国へも行って。
国内の事は「学ぶように心掛け」「心をにとめおく」
一方、外国に関しては「お役に立てれば」
はっきりしてますね。