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皇后陛下、傘寿に  3

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 芸術について

「芸術ー質問にある音楽や絵画,詩等ーが自分にとりどのような意味を持つか,

これまであまり考えたことがありませんでした。

「それに接したことにより,喜びや,驚きを与えられ,その後の自分の物の感じ方や考え方に,

何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。

子どもの頃,両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ,

それを楽しんでいる姿を見,私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。

戦後,どちらかの親につれられ,限られた回数でも行くことの出来た

日比谷公会堂での音楽会,丸善の売り場で,手にとっては見入っていた美しい画集類,

父の日当たりのよい書斎にあった本などが,

私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。

戦後長いこと,私の家では家族旅行の機会がなく,大学在学中か卒業後かに初めて,

両親と妹,弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。

しかし残念なことに,私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。

結婚後,長いことあこがれていた飛鳥,奈良の文化の跡を訪ねることが出来,

古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い,歌に「山」と詠まれている,

むしろ丘のような三山に驚いたり,背後のお山そのものが御神体である大神(おおみわ)神社の深い静けさや,

御神社に所縁(ゆかり)のある花鎮(はなしず)めの祭りに心引かれたりいたしました。

学生時代に,思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から,

創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,

「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,

私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。

建造物や絵画,彫刻のように目に見える文化がある一方,

ふとした折にこれは文化だ,と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。

昭和42年の初めての訪伯の折,それより約60年前,ブラジルのサントス港に着いた日本移民の

秩序ある行動と,その後に見えて来た勤勉,正直といった資質が,

かの地の人々に,日本人の持つ文化の表れとし,

驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。

当時,遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに,

異国からの移住者を受け入れ,直ちにその資質に着目し,

これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても,

深い敬愛の念を抱いたことでした。

それぞれの国が持つ文化の特徴は,自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。

これまで訪れた国々で,いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが,

私は特に,ニエレレ大統領時代のタンザニアで,

大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から

「私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい」

という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。

少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。

東日本大震災の発生する何年も前から,釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており,

3年前,現実に津波がこの市を襲った時,校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り,

全校の生徒がこれに従い,自らの生命を守りました。

将来一人でも多くの人を災害から守るために,胸の痛むことですが,

日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び,しっかりとした防災の文化を築いて

いかなくてはならないと思います。

歓び事も多くありましたが,今年も又,

集中豪雨や火山の噴火等,多くの痛ましい出来事がありました。

犠牲者の冥福を祈り,遺族の方々の深い悲しみと,未だ,行方の分からぬ犠牲者の

身内の方々の心労をお察しいたします。

又この同じ山で,限りない困難に立ち向かい,救援や捜索に当たられた各県の関係者始め

自衛隊,消防,警察,医療関係者,捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に,

感謝をこめ敬意を表します。

 記者会が質問したのは「皇后陛下にとって芸術の持つ意味は」

  「これまでどんなお気持ちで芸術に接してこられたのか」

  というものでした。

 記者会としては、皇后陛下がすぐれた文学者であり、音楽にも造詣が深い・・・という

  ような事を含めて、そのような部分をどのようにお子様やお孫様方に伝えて

  いかれているんだろう・・・というようなことを聞きたかったのでは。

  しかし、答えとしてかえってきたのは・・・話が非常に大きくなって、しまいには

  質問の答えから逸脱してしまったような印象があります。

 本当は「愛子がチェロを弾き、私がピアノの演奏をする事がございます」とか・・・

  そんなエピソードが欲しかったんでしょうね。

  それがブラジル移民の話にまで広がると・・・・

  ブラジル移民の方々の話を聞くと、そこまでブラジルが日本に優しかったかというと

  疑問を感じざるを得ないのですが。

 唐突に出てきたタンザニア大統領の言葉。

  皇后陛下は本当に心から「格差」が嫌いなのですね・・と思いました。

  誰だって好きな人はいないでしょうけど、日本が戦後70年のうち、50年以上

  「世界で社会主義を実現できているのは日本だけ」と言われる程、

  社会主義国も及ばないような「横一列」の繁栄を築いて来たのですが

  皇后陛下の中では、日本がずっと「格差」を感じて生きて来たのだと解釈されて

  いるのでしょうか。

  ゆえに、「普通」に拘り皇室と庶民の価値観を一つにしようと努力されてきたのかと。

 自分達の暮らしの許す範囲で芸術を楽しみ

   限られた回数でも

 この二つの言葉に「私はブルジョワ出身ではありませんよ」と言っているような気がして。

  いや、十分にブルジョワ出身でいらっしゃいますけどね。

 

私達が今まで見て来た皇后陛下のお姿。

「慈愛」に彩られた優しいお姿。

でも80年を経て垣間見えたお姿は、非常に政治的で怜悧な方。

歳を重ねてよりシャープにご自分に課題を課しておられるような印象です。

いいのか悪いのかわかりませんが、ここまで皇后陛下が「私」の感情を

取り払った、「自分の人生のみ」に目を向けた文章をお書きになった事。

どんな意味があるのでしょうか。


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