昭和天皇実録が出来て殿下にも奉呈されたと聞いています。
昭和天皇との思い出と天皇の在り方、をれを悠仁親王にどう
伝えていくか。
「昭和天皇の思い出ということですが、一つ挙げるとするならば、
これは昭和の最後の頃ですね。
昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われる
ナスヒオウギアヤメというものがありました。
ナスヒオウギアヤメというのは、ヒオウギアヤメ、これはアイリスの仲間ですけれども、
ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。
那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど、
昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって
見つけ、恐らく変種だろうということになったのですがそのアヤメが、
果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか、
そのことを知りたいとあるとき私に話されました。
いわゆる花の形態であるとか、そういうものでないやり方で何か分からないかと、
遺伝学とか、生化学ですとか。
それで、私がつなぎ役みたいな形になって、財団法人でしたけれども
進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所だったところですが、
そこの所長に話をして、ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが
始まったということがありました。
その間、中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をすると
いうことをしていたのがちょうど1988年でしょうね。
春ぐらいだと思うのですけれど。
ただ残念ながら、一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして、
その後、平成になってからですけれども、
できた論文を吹上御所の、昭和天皇の御影というのでしょうか、
写真の前にお供えしたと、そういうことが恐らく一番印象に
残っていることかなと思います。
紀子様の「お印」になったヒウギアヤメ。ここまで研究をされていたとは。
本当に昭和天皇にとっては頼りになるお孫様だったのですね。
「そのほか、子どもの頃に、夜、マンジュシャゲがきれいにお堀端に咲いているから
見に行こうという話があって、
全員でマンジュシャゲを見に行ったとか、そういうことがありますけれど、
一番印象に残っているのは、やはりナスヒオウギアヤメのことです」
今は気軽に「マンジュシャゲが咲いているから見に行こう」と
いえない雰囲気が皇室にはあるのですが。何ででしょうね。
「昭和時代について…。私は昭和40年の生まれで、
昭和は64年までですけれども、時というのは、ふだんの生活の中では
常に連続しているわけですね。
だから、ここまでが昭和でここからは平成ですと確かに言えるのですけれど、
流れとしては常に連続しています。
ですから昭和の終わりから平成だと、それが一つの時代みたいな感じで
自分は認識しておるのですけれども、
もし昭和の時代で何か非常に印象に残っていることがあるかと聞かれると、
やはり万国博覧会だと思います。
当時まだ私は小さかったのですが、大阪の万国博覧会の会場で
子どもながらに活気あふれる様子というのが非常に強く印象に残っております。
いまだに太陽の塔の中の様子とか、各パビリオンのこととかが記憶に残っております。
私は東京オリンピックの翌年生まれで、
東京オリンピックは知りませんけれど、
その後に札幌オリンピックがあるわけなのですが、
そのときは北海道まで行くには行ったのですが、
あいにく風邪を引いていてほとんど宿舎で寝ていてですね、
一つだけアイスホッケーの試合を見たということですから、
それ自体は印象に残ってますけれど、余り強い印象は残っておりません。
それから…(と、記者に尋ねられる)。
札幌オリンピックの時に札幌まで行ったけど風邪で寝込んでいた・・
という話は初耳ですね。
当たり前ですけど、当時は宮様が風邪を引いたとか下痢をしたとか
そういう事は一々報道されなかったんです。
万博の時に浩宮が、アトラクションにどうしても二度乗りたいと
だだをこねたんでしたっけ?
記者;悠仁親王にどのように天皇の在り方をつたえていくか
「天皇の在り方についてというのは、
私が余り軽々しく言えるものではありません。
もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの
会見で話されているのでしょうか。
象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨の
ことを話されていますけれど、
恐らくそれは陛下も天皇に即位して、
そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。
私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、
やはり、象徴としての天皇というのは、
いかなるものがふさわしいのかということを考える、
そういうことにあるのではないかと思いますし、
長男にどのように伝えるかということについては、
やはり私自身はその立場ではありませんので、
陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります。
この質問をした記者さん、偉い。勇気がありましたよね。
控えめながらも「象徴としての天皇の在り方」を考えるという点は
重要です。ただ、陛下には「次世代をどう継承させていくか」まで
お考えが至っていないように思いますが。
悠仁殿下が将来陛下におなり遊ばした時、最も大事な事は
「次の世代を誕生させ、無事に継承できる環境を作る」事です。
今上は「象徴天皇の在り方」として「憲法順守」を上げられましたが
秋篠宮殿下も同じようなお考えなのか・・・そこらへんはあいまいですよね。
ただ「いかなるものがふさわしいか」と考える事が重要と
おっしゃっているので、多少の疑問はあるのかもしれません。