(2)戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献への評価
戦後史を振り返れば、日本の国際的行動のなかには軍事的自己利益追求行動は
皆無であり、戦後の日本の歩みは、1930年代から40年代前半の行動に対する
全面的な反省の上に成り立っている。
ものすごく屈辱的な言葉だなと。
同時に、日本は、20世紀後半に新しく世界のリーダーとなった
米国が主導して立ち上がった、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、
自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援を前提とした
新しい自由主義的な国際システムに忠実に生きてきた国の一つである。
また、戦後構築された政治経済システムは、米国の構想力に負うところが大きかったが、
それは人類社会全体が政治、経済、社会的に成熟する方向性と合致していた。
日本は、戦後の自由主義的国際システムに正義と利益を見いだし、
それを責任ある諸国と共に支えることが国益であると信じることができた。
敗戦の焦土から立ち上がる間、日本は、暫時、自らの復興に専念していた。
しかし、1980年代に入ると、大平首相の環太平洋連帯構想や中曽根首相の「
西側の一員」発言が示すように、日本は、国際秩序の構築と維持に貢献する、
責任ある大国になろうとする意思と覚悟を示しはじめる。
この日本の歩みは、日本国民の対外意識の成熟と歩みを同じくしている。
戦後70年を経て、日本は、欧米諸国からの支援を受けつつ、
奇跡的な経済成長を遂げた後、国際秩序の安定と形成に貢献する
国際政治経済システムの主要なメンバーに生まれ変わった。
日本は、徐々に、戦後国際秩序の単なる受益者から、
秩序維持のコストを分担する責任ある国になってきている。
日本の国際貢献は、政府開発援助から始まり、自由貿易の促進、地域統合の促進、
最後に安全保障面での貢献へと進んでいった。
2000年代に入った日本は、安全保障面でも積極的平和主義に転じ、
PKOへの参加や周辺事態への関与を通じ、
国際社会への貢献を着実に高めようとしている。
戦後70年において、日本の安全保障にとって米国の存在は圧倒的であり、
日本が世界で最も兵力規模の大きい国々が集中するこの東アジア地域において
一度も外国から攻撃を受けることなく、平和を享受できたのは、
日米安保体制が作り出した抑止力によるところが大きい。
日本は日米安保体制の抑止力と信頼性の向上のために、
自衛隊の能力にふさわしい形で、米国との防衛協力を進めてきた。
しかし、本来は同盟国である米国との役割分担に従って決めるべき防衛力の水準を
「国民総生産(GNP)の1%以内」と日本が定めてきたことは、
日米安保体制に一定の制約を課すことにもなった。
こうして日本の防衛費は対GDP比では世界100位以下の低水準で済んできたが、
中国の軍事費が膨張する中で日本の防衛費を経済指標(GNP)にリンクし続けることの
妥当性についての検討も、必要になろう。
なお、この戦後70年の日本の平和主義・国際貢献路線は、
国際社会及び日本国民双方から高い評価を受けているが、その歩みは、
戦後突然生まれたものではない。
日本の戦後の歩みは、明治維新以後の自由民権運動や立憲君主制の確立などの
自由主義的民主制や、国際社会の規範の受容の上に成り立っているものである。
もちろん、戦後の日本の自由主義的民主制の確立や、
日本の国際社会復帰に米国が果たした役割は大きかったが、
明治以来の民主主義の発展や、民主主義国家として、国際平和、民主主義、
自由貿易を基調とする国際秩序形成に積極的に関与してきたことが、
戦後日本と通底していることを忘れるべきではない。
最初と矛盾しているような・・・・気がするのは私の読み込み不足ですね。