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皇族とは何か  1

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 私が愛子内親王のカラオケを批判したことで、色々な意見が寄せられました。

「悪いのは皇太子夫妻であって愛子内親王には罪がない。ゆえに彼女の

私生活についてあれやこれやいうのは間違ってる」

「佳子様だってフィギュアやカラオケやってるんじゃないの?なんで愛子ちゃんだだめなの?」

「秋篠宮殿下も同じでしょ。税金が煙になっちゃう」

・・・・皇族のお金の使い方について意見を述べる時代が来ようとは思っていなかったですが。

まず。

私の見解では、愛子内親王は今は「被害者」でも、やがて加害者になりうる人だという事です。

じゃあ、加害者になってから言えって話だとは思うんですけど

愛子内親王は何の「被害者」であり、やがて何の「加害者」になっていくんでしょうか。

 

 愛子内親王は「皇太子夫妻」(親)の被害者

つまりこの場合、加害者は両親である東宮夫妻という事になるのですが。

一体、彼らはどのような「罪」を犯したのか。

それは

 娘の障害を公にしなかった罪

 娘の現状について虚偽の報道をさせる罪

 皇族として娘を養育できない罪

「皇族」には基本的にプライバシーがありません。人権もありません。

だから「皇族」であると言えます。

なのに皇太子が人格否定発言をした事で、「皇族にも人権やプライバシーがあるのではないか。

なぜなら私達と同じ人間なのだから」

という意見がまかり通るようになってしまいました

私達と同じ人間なら、なぜ彼らは「赤坂御用地」に住み、税金で暮らすのでしょうか。

総理大臣ならまだわかる。

総理大臣にだって基本、プライバシーはありませんよね。

病気になれば公表せざるを得ないし、いついつどこへ何をしに行ったか調べられる。

そして総理大臣には高額の給料が支払われます。

国会議員も同じです。

だけど、皇太子一家は?

皇太子夫妻が私達と同じ人間で人権がありプライバシーがあり、しかも豪華で広い

東宮御所に住み、使用人の数は60人以上。

医療費、電話代、食費、交通費、全てが無料で、別荘は使いたい放題。

自分の不利になる事は一切公表せず、言い訳と嘘を「事実」として報道する。

なぜ彼らにはそのような生活が保障されているのか・・・という事に

国民も目を向けるときがきたと思います。

 

さて、話を戻して。

内親王が生まれつき、なんらかの障害を持っている事。

そしてそれゆえに不可解な行動が多く、不登校もその一環ではないかとみられる事。

いわゆる「いじめ事件」において、内親王の障害を隠す為に同級生らが「加害者」に

されてしまい、以後、2年にも渡って皇太子妃からのいやがらせを受けた事。

これが「罪」です。

最初から障害を公表し、きちんとした療育を施し、無理のない範囲内で通学させていたら

「いじめ事件」は起こらなかったと確信しますし、その後の「付き添い通学」も

なかったでしょうし、毎年運動会の為に侍従を並ばせるとか、一般席の一番いい場所を

確保して公務を休んでまで見るとか・・・そんな事はなかった。

愛子内親王にしても、親の思惑で学校を休ませられたり、いきなり病院に入院させられたり

せずに済んだ筈。

両親の不和・・・というか、皇太子妃の自分勝手な感情に振り回された内親王は

生まれつき、本当の愛情を受ける事はなく、皇族としてのしつけも受けず、

身の丈に合わない「ご優秀伝説」に取り巻かれて日々を生きているのです。

「いじめ事件」の原告である生徒たち及びその親たちは、相手が「皇族」であるという事で

名誉棄損で訴えることもできず、出来る事といったら学校を変わることくらい。

それすら許されなかった人達もいるという現実。

 

現実に被害にあった人達は心の中で「皇族ってなんだろう。一般市民の生活を

脅かしたり、つぶしたりできる立場なのだろうか」と思うはずですね。

だけど、皇太子夫妻の罪の重さはそれだけではありません。

皇室にほとんど関心を持たない、大方の国民を騙している・・その事がもっとも

大きな「罪」なのです。

愛子内親王の障害は公表されていませんから、表向きは「健常でご優秀」

ゆえに「女帝」になってもいいのではないか、と考える国民も多いのです。

知らされていない事は知らない。公にならない事は信じるに値しないという

大多数の国民を欺いているのが皇太子夫妻なのです。

 

 愛子内親王が加害者になるとき

それはあと数年の事かもしれません。

父である皇太子が天皇になると、愛子内親王は「天皇家の皇女」になります。

今ですら回りを黙らせて、やりたい放題の皇太子夫妻が即位したら、もう誰も

止める事は出来ないし、今以上に権力を持つ事は必至です。

それに伴い、障害を隠せなくなってる内親王は、今以上にモンスターになっていくでしょう。

例えばですけど

 ほとんど高校に通わず、テストも受けず・・・なのに成績は常にオール5で

  学習院大学もしくは東大などに推薦で入学し、留学して修士か博士を取る

 内親王の行くところ、常に最上級のガードがついて、市民生活の迷惑になる。

 テーマパーク、遊園地等、貸し切り。夏休みや冬休みの豪華な海外旅行が可能に。

 記者会見、祭祀、公務は「プライバシー」によって全面的に排除。

一生懸命勉強して大学に入った人達を傷つける。

交通規制や交通手段の囲い込み

国民は公の場に出てくる内親王の姿をほとんど見る事がないまま、税金を納めることになるのです。

しかも、それがあと数年のうちに来るとなったらどうでしょう?

いつまでも「愛子様には罪がない」と言い続ける事が出来るでしょうか。

 

無論、本人に認識能力があれば自重することもできますが、20歳になっても

まともな判断力があるとは思えない内親王。

「判断能力がないので無罪」で済む話なのかどうか。

私が今、書いている事はファンタジーではないと思います。

近い将来、必ずやって来る事なのです

そしてそれを止める力もないのが国民の実情なのです。

 

 皇太子に下駄をはかせた両陛下

浩宮徳仁殿下といえば「ナルちゃん憲法」ですね。

これは一日の生活の流れを事細かに規則正しく、セリフまで決めた覚書で

美智子皇后が作ったものです

下の礼宮や紀宮に関しては「憲法」はありませんでしたので、

これは浩宮だけのものだったと言えます。

浩宮だけに「憲法」が必要だったとすれば、そうせざるを得なかった理由があったわけで。

それが、浩宮の「ごゆっくりさん」ぶりだったと言えます。

単に情緒的な遅れがあったり、成績が悪い・・・というだけで国民は皇族を評価したりは

しないものですが、美智子妃殿下はそうは思わなかった。

「天皇の孫、皇太子の息子、そして自分が産んだ子である限り、

常に成績が優秀でなければいけない。何もかも完璧でなければならない」

という、当時の「教育ママ」にみられるエリート意識の塊だったと言えます。

 

よく「どうして皇后陛下は皇太子だけを可愛いのですか」と聞かれます。

母にとって最初の子は特別ですが、それ以上に、「浩宮」が生まれなかったから

皇太子妃としての地位がどうなっていたか危うかった・・・というのもあるでしょう。

美智子妃にとって「浩宮」は「世継ぎの妻」としての最大の切り札だったのです。

その子供が、昭和天皇の内親王たちのように、「ごゆっくりさん」であったら

どうでしょうか。

昭和天皇はじめ香淳皇后もそのほかの皇族方も、別に取り立てて大仰に

とらえることはなかったと思います。(よくある事なので)

しかしながら、美智子妃は違った。

商家に生まれ「学歴こそが出世する、成功する手段」の戦後に育った彼女にとって

どこまでもおっとりした長男は受け入れられない。

受け入れられないけど憎めもしない。

だから「憲法」によって支配することにしたのです。

浩宮の全てをコントロールすることで「母」としての達成感をえようとしたのではないでしょうか。

以前も同じことを書きましたが繰り返します。

もし、浩宮が実力もないのに大学に入ってオックスフォードに留学して

学習院の大学院で修士を得たというのであれば、それは「嘘」ですよね。

 現在の皇太子から「知性」のかけらも感じる事が出来ない

 なんら学術的発表がない。研究資料すらない。親しい教授もいないようだ。

 オックスフォード時代、勉学にいそしんだ映像やエピソードが皆無

つまり、愛子内親王の「虚偽」の前に、父である皇太子が「虚偽」を行っていた

あるいは両陛下によってさせられていた・・・という事になります。

浩宮時代はまあ、両親のせいで「浩宮さまに罪はない」けど、50をはるかに超えた

現在、皇太子の現状が全て「両陛下のせい」とは言えないでしょう。

 

 親子二代にわたる「世間体」

「子育てが間違っていたと言われたくない」

というのが、浩宮が生まれてからの皇太子夫妻の信条でした。

その通り、礼宮も紀宮もほっといてもすくすくと育ったし、自分の中の

葛藤を自分で乗り越える力を持ちました。

それは一重に両親に「放任」されたからなのかもしれませんね。

 

長男である浩宮だけは、美智子妃の「世間体」を重んじる心に

翻弄されました。

「あのようなご長男を持たれて羨ましい。ご優秀でヴィオラも弾けて

常に穏やかで公正無私で」

浩宮が留学していたころが現皇后にとって、もっとも幸せな時代だったでしょう。

しかし、メッキははがれ、今では見る影もない皇太子。

それでも「負け」は認めたくない母は孫の「障害」をも受け入れる事もないのです。

「孫の事は息子夫婦がやればいい」と物分かりのいい「姑」を演じてはいますが

それは本当の愛情ではない。

雅子妃にとっての愛子内親王もまた「世間体」をおもんばかる一つの手札にすぎません。

「記憶力が優れ、運動能力も高く、お手振りも上手な愛子様」の母であることがステイタス

なのです。

親子二代にわたって、こんな見栄が繰り返されてきた根本原因はなんなんでしょうか。

 それは皇后陛下も雅子妃も「皇族」とは何か・・・という根本的なことを

ご存じなかったからではないかと。

二人の民間妃にとって「皇室」とは「戦いの場」であり、子は自己の正当性を

証明するものであったと考えればすんなりいきますね。

「戦い」とは何か。

 血筋に対抗しうるもの

歴代の后達は、自分が「皇統」という歯車の一つにすぎないことをよく知っていました。

もっとも尊重すべきは「天皇」であり、その血を絶やさぬ為の「后」なのです。

どんなに地位が低い后であっても、息子が天皇になれば「皇太后」です。

しかしながら、朝鮮や中国と違ってその地位を利用して権力を握ろうとはしなかった。

そんな大それたことをやってのけたのは光明皇后くらいですよね。

だって大切なのは后ではなく、「天皇」とそれに連なる男子ですから。

「お上たた一人」という考え方が、現代では「男女不平等」という事になります。

「后といえども自己実現する権利がある。子産みマシーンではない」という思想です。

無論、歴代の后達も全てが子供に恵まれたわけではない。

ないけど、誰から生まれようとも「天皇の子」であれば尊いわけで、血を分けていなくても

「母」にはなれた。

そういう心の広さが皇室にはあったのですが、それこそ、二人の妃には理解できない事でした。

「血筋」云々といいますが、大切なのは「天皇の血」であって、后となる人の

血筋がそれほど重要視されたわけではありません。

正妃は別にして、他は東アジアの中ではかなり寛容だったと思います。

だけど美智子妃も雅子妃も「血筋に対抗しうるもの」として学歴を持ち出した。

やがてそれは「常識」となり、皇室の中に定着しています。

なんでそんなことをしたかと言えば、后達がそれぞれ「お上ただ一人」と対等な地位を

要求したからに他ならないのです。

「皇太子と対等な私」

「天皇と対等な私」

皇族でもない華族でもない女性が天皇や皇太子と対等な気分になる為には

誰にも負けない「学歴」が必要だった。

そしてそれにこだわりすぎた事が、21世紀の悲劇を生むことになったのでした。

 

 


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