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昭和34年2月6日内閣委員会議事録5

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受田委員 

私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく

官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。

それは皇室に関係した事項で、

今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。
 

私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、

またこれを支持していく一人であります。

ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、

新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の

第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が

相当起っておらないか。

この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、

新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、

その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度に

おけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。

一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、

非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。

従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。

そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、

また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、

こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと

思うのでございますが、

この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。

(私は新憲法下において「天皇は国の象徴である」という事を一応納得して

受け入れているつもりです。

しかしながら、憲法における「基本的人権」と「象徴天皇制」の間には矛盾もありますね。

一例をあげると、

天皇は死ぬまで天皇なのか。皇太子が結婚し後継者として盤石になり、定年退職する

年齢になったら「退位」という選択肢が認められてもいいと思うのですが)

 一応申し上げておくと、受田という人物は社会党系の人です。

  ゆえに心情的にはリベラル・左翼・アカ・・・になります。

  「退位の自由」などという甘い言葉を使いつつ、「天皇制」の否定に走るのではないかと

  思われます。「自由」という言葉について日本人はよくよく考えなければなりません。

  「責任はないけど自由はある」というのが、リベラル派の主張だからです。

 

○林(修)政府委員 

ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。

これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、

あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、

非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。

しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、

次のようなことがいわれております。

現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては

法律に規定を譲っております。

法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。

しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に

基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。

こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。

なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、

しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。

やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、

そこに制約があることは当然だと思うわけであります。

これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で

受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということは

あったわけでございます。そういうことはありましたけれども、

ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、

御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、

これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。

これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。

やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、

やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、

皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、

当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。

この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、

皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。

その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。

従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、

軽々にこれはきめられない、かように考えております。

(新憲法制定時の皇室典範制定においても、この「退位」の規定については

議論されたけれども、結果的には規定されませんでした。

その理由は、

 天皇は国の象徴でその地位は国民の総意に基づくもの

 天皇の地位は世襲のもの

という事です。

新憲法の意義とは矛盾することになるのですが、天皇という地位はやはり特別で

一般人が法律を守るというようなわけにはいかない。

歴史的にみれば確かに「譲位」というようなこともありましたけど、

現憲法において「国民の総意も基づく」とある以上、自分の意志で「退位」する

というのは、当てはまらないのではないかと。

天皇に「私」なく、全てが公の事。

つまり生きることもその地位にあることも全てが「国民の総意」に基づく「公務」であって

自発的なものではないという意味です)

 「天皇に私なし」という考え方は今もあります。

  しかしながら、ここ数年「天皇の強い意志」「皇后の強い意志」というものがやたらと

  尊重されているように思います。

  「天皇陛下は・・・と思われている」と宮内庁長官の発言で明らかになる事も多いですし。

 (例えば火葬の事、例えばパラオ慰霊の事、例えば被災地訪問など)

  昭和34年当時であれば、天皇が自発的に「あそこへ行きたい」とか「こうしたい」と

  いうような事はありえなかったという事ですよね。


○受田委員 

私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。

当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、

戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。

しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、

日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、

しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、

もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、

この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。

ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、

自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。

ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、

御自身も非常に痛切に感じておられる。

しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ

踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、

私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、

皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、

ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で

皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、

天皇の退位の自由を認めてあげるということが、

新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。

従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、

皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。

この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、

新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、

今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気を

そのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。

いかがですか。

(私は現行の皇室典範が制定された当時のことを言っているのではありません。

当時は天皇の戦犯論議などがあり、とてもそれどころではなかった。

けれど、世の中も落ち着き、皇太子が結婚するというこの時期だからこそ

「退位の自由」を認めてもいいのではないかと思います。

今上は20歳の時に摂政宮になられて40年も最前線で苦労されてきたのですから

ここで「退位の自由」を認める事が憲法のいう「基本的人権」に叶うものだと思うのです)

 なるほどなーーと思った人も多かったでしょうね。

   今なら「うんうんそうだよね」って国民は言いそう。

   この部分に関しては秋篠宮も「定年制」の導入を検討しては・・・と発言していますが

   誰も着手しません。要は面倒なんだと思います。

 天皇制と元号制が連動している以上、自発的な「退位」はありえないと思いますよ。

  正直、今時の人は元号制を面倒なものと考えているし、例えば30年や20年で

  天皇が代替わりし元号がその都度変われば「そんなものなくしちゃえ」という事に

  なりかねません。

  もっとも、悠仁親王が天皇になって終われば自然と元号も消えるんでしょうけど。


○林(修)政府委員 

決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで

申しておるのではございませんので、

やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、

憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、

あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、

この問題は解決できないと実は思っております。

従いましてやはりそういう今おっしゃったように

いろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、

今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、

この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、

私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃ

ないかということも考えるのであります。

あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。

そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、

軽々にきめられない問題だと思います。

(おっしゃる事はわかるけれども、天皇の地位が「国民はに基づく」とあり、尚且つ

世襲であることを踏まえれば、簡単にに「歳だから退位」というわけには行きません。

皇位継承の異動もあり得るわけですから)


 

○受田委員 

もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。

しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、

世襲には間違いないわけです。

だから隠居する制度も考えられておるのですから、

御隠居なされるという形になればいいわけです。

従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。

お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、

当然そういう自由を認めてあげるという規定が、

しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、

軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、

憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。


 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。

たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、

ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。

ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、

これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、

おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、

人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、

そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。

(だったら「隠居」という形にすればいいじゃないですか。

皇室会議を通して決めれば、軽々というわけではありませんでしょう。

また「基本的人権」に関しては天皇の「自由」が制限されてきたという事もあります。

陛下は秩父宮が亡くなられるときに、ぜひ見舞いたいとおっしゃっても宮内庁は

許可しなかった。皇后陛下が母君の臨終に立ち会えなかった。これぞ

おそるべき人権侵害ではありませんか。

肉親の死に際して宮内庁が圧力をかけて押さえつけるというのは、許される事なんでしょうか)

 今でも天皇は皇族とはの葬儀には出席しません。

  「穢れ」を嫌うから。

  確か「源氏物語」でも桐壺の更衣が亡くなるときも宿下がりさせられて

  宮中で死ぬ事は許されなかったんですよね。

  いいとか悪いとか言う前に、「天皇」とは神道の長である以上、個人的な感情は

  入れてはならないのです。


○宇佐美説明員 

前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、

法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。

現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、

自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、

常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、

容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。

今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。

われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、

自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、

われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。

事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。

(私も法制長官と同じ意見です。

 天皇という「象徴」たる地位にあって「自由に退位出来る」という事は認めるべきではない。

 そんなことを認め、その都度国民がいつも納得するとは限らないからです。

 秩父宮他云々に関しては、昔からの風習等がありますし、私達が阻止したことはありません)


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