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植田景子作品を語る

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 土曜日に「舞音」「GOLDEN TAZZ」二回目を観劇。

今回の月組を初観劇の友人は(ヅカ歴多分50年くらい)

「わけわからん。植田景子さんは才能がない。柴田先生の作品の一部分を

パクってるだけじゃん。ああ、柴田先生の不条理劇が懐かしい」と叫んでおりました。

また、別の友人は前回の「舞音」評に「手ぬるい」の一言を。

ははは・・・・ ここまで言われる中堅作家は谷・石田両先生以来ではないかと。

二回目の今回、お芝居は私、寝てました・・・・・ 11列目で。

ちゃんと見てた友人は「美弥るりかが主役なの?」とおっしゃり。

お芝居の中で早乙女わかばが「愛ってなに」とか言ってるけど、その「真実の愛」

というのは一体何なのか答えが出ないまま話を書いたような感じがします。

今の脚本書きの体制というのがよくない事は話に聞いています。

書いても校正する暇がない・・・・という事で。

通常、脚本は10回くらい書き直しをして漸く1本にまとまるものですが

その「書き直し」が出来ないという事は、まだ出来上がってない状態で上演してしまっている

ということなんですよね。

歌劇団としては、はっきり言ってオリジナルなんかどうでもいいんじゃないかと。

海外ミュージカルさえ上演していたらお客は一杯入るし。

だから手直しもさせないのだろうと思います。

 

が。

植田景子さんには年相応の女性としての感性が書けているような気がします。

この方もう48歳でしょう?

恋愛とか結婚とか・・・男女関係に関しては一つの答えが出ているような年齢だし

例えば心は「乙女」だったにしても、やっぱりそこまで現実離れした話は書けないと

思うんですよね。

「舞音」に関していえば、恋愛物なのに主役の二人が寄り添うシーンがほとんどなく

生き方や考え方のギャップが見えない。

革命のシーンに力を注ぎすぎて、ラストは死なせて終わりでは安易すぎ。

一番は、シャルルの婚約者が実はどう思って、どう傷ついたか・・・というのを一切

表現させないあたり、気遣いがなさすぎといえます。

以前から植田景子さんは「娘役嫌い」ではないかと疑われていますが

今回もやっぱりそう。ついでにいうなら愛情を持てない男役にも冷たいのだとわかりました。

私が友人に「植田作品でいいのってあった?」と聞いたら「・・・・わかんない」と言われました。

そこで、作品を列挙してみたいと思います。

 

 『Icarus―追憶の薔薇を求めて―』(1998)・・・雪組・安蘭けい

本人のデビュー作で尚且つ安蘭けいバウ初主演作品。

ビデオで見てもビジュアル以外のよさがあまり感じられない。

 「シンデレラロック」(1998)・・・月組・大和悠河

男性のシンデレラという設定だったけど、当時は酷評された記憶が。

 ロミオとジュリエット99(1999)・・・花組・水夏希

この年はシェイクスピアをテーマに各演出家が色々書いたけど、この作品は

ひねりもなにもなく、ただ退屈な仕上がりに。

 「ルードヴィッヒ2世」(1999)・・・花組・愛華みれ

大劇場デビュー作品。意味不明な作品として今も語り継がれている。

 「アンナ・カレーニナ」(2001)・・・雪組・朝海ひかる

原作があるのに、ただただ意味がわからず、退屈な作品に。朝海ひかるの

ビジュアルのよさでもった作品

 「エイジ・オブ・イノセンス」(2002)・・・宙組・椿比呂花

実際に目の前で見て、最初から最後まで意味不明。もはやストーリーを覚えてもいず。

 「シニョール・ドンファン」(2003)・・・月組・紫吹淳

紫吹淳のかっこよさに頼っただけの、テーマなき作品

 『THE LAST PARTY~S.Fitzgerald’s last day~

フィッツジェラルド最後の一日(2004)

月組・大空祐飛

宙組・大和悠河

植田さんの作品としてはこれが一番まともで「普通」な作品。

そうはいっても少々くどかったし、わかりにくい部分もあり。

 「洛陽のパレルモ」(2005)・・・花組・春野寿美礼

最初から途中まではいい作品。でもラストでがっくり。

身分違いに苦しんだ二人があっさり結ばれる結末に唖然茫然。

 Le Petit Jardin―幸せの庭―』(2005)・・・宙組・悠未ひろ

当時、結構若い人には「面白い」と言われた作品。

「幸せを運ぶレストラン」がテーマだったかな?ロマンチックといえばロマンチックだったけど

今思えばもうちょっと改善の余地が。

 「堕天使の涙」(2006)・・・雪組・朝海ひかる

朝海ひかるを綺麗に見せる事しか頭になかった作品。

娘1をぼろぼろの盲人にしてしまった罪は大きい(さよなら作品なのに)

セリフの中に「神よどうか答えて」というようなものが乱発されてて、結局本人が

意味わかってないんじゃない?と。

 Paradise Prince(パラダイス プリンス(2008)・・・宙組・大和悠河

ただただごちゃごちゃしただけのお話し。

 「舞姫」 (2008)・・・花組・愛音羽麗

多分これが植田作品の最高峰になるんでしょうけど・・・・・

 「HOLLYWOOD LOVER」(2008)・・・月組・大空祐飛

 「My dear New Orleans(

マイ ディア ニューオリンズ)-愛する我が街-」(2009)・・・星組・安蘭けい

さよなら作品なのに寝てしまう程つまらなかった。

 「ハプスブルクの宝剣」(2010)・・・星組・柚希礼音

原作が大変面白かったのに、なんでこんなバカな作品になるのか?と怒った作品。

ご本人いわく「書きたくて書いたんじゃない」らしい。

 「オネーギン」(2010)・・・轟悠

未見なのでわからず。

 「クラシコ・イタリアーノ」(2011)・・・宙組・大空祐飛

長々とビデオを流すシーンにいら立ち。これはさよなら風を装っているけど

ストーリーとしてはめちゃくちゃ。

 近松・恋の道行」(2012)・・・花組・壮一帆

これはそもそも大元があるので。

 「ジャン・ルイ・ファージョン」(2012)・・・星組・紅ゆずる

化粧品メーカーとタイアップしたわりに、さっぱり意味がわからない作品。

マリー・アントワネットに普段着を着せるというポカをやってしまった。

恋愛でもなんでもない。

 「愛と革命の詩アンドレア・シェニエ」(2013)・・・花組・蘭寿とむ

アンドレア・シェニエは何もせず、ただ歌って詩を読んで終わった作品

 「The Lost Glory - 美しき幻影 」(2014)・・・星組・柚希礼音

ストーリーが完璧に破たんしてて駄作もいいところ。

 「舞音」(2015)・・・月組・龍真咲

原作があるのに、ここまでひどいストーリーに出来た事がすごい。

 

最初からきちんと筋立てた作品を書けない人ではありました。

意味不明というか、何を言いたいのかわからない・・・起承転結がきちんとしていない。

自分がやりたいことを優先しすぎて破たんするパターンも多かったように思います。

そしてデビュー以来、技術力が何一つアップしてないというのが問題ではないでしょうか。

むしろ、ストーリーの破たん状態は増している。

つまり年齢と逆行して技術が衰えているのではないかと思うわけです。

何かを描きたいと思った時、とりあえず書き始める、まとまらない。ラストを決めて

そこに向かって書き始める、まとまらない。時間がないから適当に終わらせる。

というのが植田パターンなんですね。

今回の「舞音」も、マノンに翻弄されて落ちていくシャルルを描きたかったのかインドシナ

独立運動を描きたかったのかわかりません。

珠城りょうが演じたマノンの兄がチンピラで前半で死ぬという設定も意味不明。

革命と絡ませたかったら、むしろ指導者のひとりにすべきだったのではないかと。

全くかみ合わない「恋愛」と「革命」を同時に進行させてシンクロせずに終わるというのが

そもそも安易すぎるというか、何を描きたかったのかわからない。

トップスターを頂点としたピラミッド型の組織の中で、トップの見せ場もなく、2番手を

前半でなくすとか、役がないから「もう一人の主役」を与えて歌わせない、喋らせないを

やってしまうとか、美しい娘役に綺麗な恰好をさせたのが一瞬で、あとがぼろぼろとか。

どこにも必然性を感じない事ばかりやってるんですよ。

植田景子さんはいつもそう。

必然性がない事ばかりやってる。だから感動がないの。

人と人との繋がりがない事、恋愛を知らないこと、世間を知らない事、中途半端な

知識をひけらかすこと、そういう部分がもろに脚本に表れていると思います。

(ロン・ボイミンなんて架空の名前を出すくらいなら、きちんとホーチ・ミンと出すべきだったと

私は思います)

フランスに支配されているインドシナで、支配階級と被支配階級の間に生まれた兄と妹の

葛藤とか、植民地支配の弊害・差別問題に対してこの兄妹は何をどう考えていたのかとか

一切語られていないので浅薄すぎるのです。

何でベトナムがフランスに支配されていたのかとか、フランス人に恋をするとはどういう事か

とか、色々表現すべきことはあったよね。

その上で、だから「独立運動」っていうならわかるんです。

そして実在のホーチ・ミンを出すならもっと前に出さなきゃ。

今まで現地の女性とフランス男との間に起きた様々な悲劇の上に「独立運動」は

成り立っていることを表現しないといけなかったのではないかと。

宝塚ファンにとって、それが重すぎるテーマであったなら、いっそ恋愛だけにしてほしかった。

「ミス・サイゴン」「蝶々夫人」など、弱き国の悲劇は多々舞台化されていますが

しょうがない。そういうパターンでいくしかなかったのではないかと思います。

 

という事で植田景子さんは脚本家として終わりだと思います。

でも歌劇団は外にいる沢山の優秀な、でも芽が出ない作家を無視して

この人を使い続けるんだろうなあ。

 


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