先日も書きましたが、暇な時間に「戸籍時評」の1月号を読んでいたら
東京大学名誉教授の米倉明先生という方が、下記のような文章を書いておられまして。
読んでびっくり、あらためてさらに読んでびっくり。
こんな人ばかりであるなら日本はもう終わりだと思った次第。
確かにふぶきは学歴がないので東大の名誉教授にはとても叶いませんけど
ちょっと引用しつつ意見を述べてみたいと思います。
現行憲法の公布にあたり、昭和天皇が発せられた上論によれば
同憲法の制定を
「朕は深くよろこび」とある。
公布時から施行時に至る期間は大日本帝国憲法が法形式的にいきており
したがって昭和天皇は主権者であった。
このことは同じく深く喜んだ・・・にしても、その期間中はまた被治者でしかなかった
国民がそうしたと比べものにならない、決定的に意味を持つのだ。
たとえていうと、権利能力がある人が意思表示したのと、、それがない奴隷が
意思表示したのとに類比出来るくらい相違がある。
端的にいうと、昭和天皇が同憲法の制定を歓迎しておられたという事は
もうそれだけで現行憲法は「押し付け」られたのではないという他なくなるのである。
曲折は色々あったとしても、最終的には現行憲法は当時の主権者により大歓迎
された事になるからだ。
主権者が大歓迎して受け入れた現行憲法をなお「押し付けられた」のだと主張するのは
無理な話ではないか。
もし、あくまで「押し付け」憲法改正論を堅持し続けるとなると、それは昭和天皇の
ご意思に反する事になるから、同論者のいう「非国民」という言葉がそのまま
はねかえっていくことになる。
いわゆる「現行憲法は「押し付けられた憲法だから改正すべきである」という考え方は
解釈にちょっと違いがあると思います。
「憲法9条を守る会」などが「とにかく戦後の民主主義の象徴としてできた憲法なんだから
絶対に変える事は出来ない」
と言い張っているので、「いやいやこの憲法は、日本が主体的に制定したものであり、
起草にはベアテ・シロタ・ゴードンというユダヤ系アメリカ人が深く関わっている。
彼女が公平性を持って憲法起草に関わったというよりは、自身の体験に基づく
「女性差別」への思いなどを取り入れた結果の「憲法9条」なわけで
主権者であった昭和天皇は「喜ばざるを得ない」状態にあり、主体的に関わったわけではない。
私達が「押し付け」という時、それは「日本人が憲法を決めることにかかわりを持てなかった。
いいも悪いもなく受け入れさせられたという意味になる。
(逆に言えば昭和天皇が「これを朕は喜ばず」と言えましたか?と、思いますか?米倉先生)
別に押し付けでもそれが機能している間はよかったけれど、憲法の理念と現実が離れてしまって
今の日本を取り巻く状況に対応しきれないので「憲法改正」をしたらどうか。
その場合、日本人が主体的に決めた憲法ではないので、改正してもなんら悪い事はないんだよ・・・
と、保守派はそう申しているのでございます。
そもそも昭和天皇を尊敬しているわけでもなければ、天皇が当時、置かれた状況を
きちんと把握しているわけでもない米倉先生が、「おまえは馬鹿だ」と言われて
「そういうお前こそバカだ」というのはおかしなことです。
ちなみに「非国民」よばわりする人々はどうしてそれほど「偉く」ふるまえるのか。
一体どこにそのような振る舞える権限があるのか。
日本国民たる要件は国籍法の定めるところにあってそれによれば
一方の国民が他方の国民の「国民性」を否定することが気安く出来る筈は
ないのだから、非国民よばわりする人々に無権限でそうしているだけであって、全然
気にする必要はない。
気にしてないならいいじゃないか・・・・と言いたいです。
「国益を損なう思想の人」に対しては「非国民」としか言いようがないから
そう言ってるだけで、他に言いようがあるなら教えて頂きたい。
しかしながらその言葉が何の権限もない事は百も承知です。
個人と国家とを無造作に同列に並べた立論はいささか粗い。
個人の場合には予兆なしにいきなり攻撃される場合が多くみられるし
個人の生命は一つしかないので個人によるとっさの防衛が認められるべきだが
国家が攻撃してくる場合には軍隊動員などの予兆がみられるので
外交交渉によりその攻撃を未然に阻止できる余地が比較的大きい。
国家の個別的自衛権発動の必要度はそれだけひくくなり、個人の場合のように
即時応戦を認めるべきだとはただちに言えない。
それに即時応戦の結果は戦争になり多くの犠牲者が出るだろう。
むしろ応戦しないで外交交渉を重ねて犠牲の最小化をはかり、相手国の
武力に抗しきれない時は和を乞い、戦争をやめ、民族の生き残りを図るのが
正道だろう。
結構、ここらへんからピキピキ来ているんですよ・・・私。
個人の場合は即時応戦してもいいけど、国家の場合は大事になるから
だめだというのですが。
個人の集まりが国家になるという観点が消えています
日本だって馬鹿じゃありませんから、いきなり戦争になど突入するわけがない。
できれば話し合いで解決したい。
しかしながら、中国・韓国・ロシアなどは「理屈」が通じない国であり、一度攻撃すると
決めたら外交など役に立たず、ひたすら「自己の正当性」のみを発信しながら
攻撃してくるでしょう。そんな国に「和を乞う」事などできるんでしょうか?
和を乞うてなんとか出来るなら9・11も起きなかったし、昨今のテロもないと思います。
テロというのは宣戦布告して始める戦争ではありません。
個人攻撃の最たるもの。個人が即時応戦して叶わず死んでも、国家は何もしては
いけないというのでしょうか?
彼らは罰として報復するのではありません。
個人攻撃をしかけつつ、民族を根絶やしにしようとしているのです。
命は一つしかないので、その一つが攻撃されたらやっぱり守らないといけないと
思うのが国民であるし、それが国家の役目ではないかと思うのですが。
特に末尾の3行は「何を世間知らずな事をいってやんでえ」って感じです。
そんな「理」が通じるというならやってみやがれ。