Quantcast
Channel: ふぶきの部屋
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5842

喪の行事

$
0
0

私がアデノウイルスでぶっ倒れている時に郡山宮妃からお電話。

「あのねーーやっぱり駄目みたいだから、これからそっちへ行くわ」

というのは、郡山宮の一番下の弟、旦那の叔父さんが危篤で

そもそもは岩手県にいたのだが、関東にいる次男の家で最期を看取るというって

来ている・・そこに今から行くねーーという電話でした。

 

3月。毎日残業で大変だなあと思っていた所に、その叔父さんがやってきて

一目、お見舞いしたいという宮夫妻を連れて3連休はそれで潰れ・・・

私がお茶会に行ってる間、旦那はヨンジュナを連れてお見舞いに行き。

そしてとうとう5日に逝かれてしまったという事で。

危篤と言われて、80代の老人2人が電車を乗り継ぎ、やっと夜に叔父がいるマンションに到着。

その日の夜中に亡くなったのでした。

それで今度は「お葬式までお世話になるわ」と連絡が。

大慌てで部屋を片付け、クックパッドで夕食のメニューを決め・・・なんて事をやっておりました。

 

弟を看取って来た郡山宮夫妻は憤懣やるかたないと言った表情で我が家に来ました。

そもそも叔父さん一家は岩手県で暮らしていたのですが、震災後は家を売る事に。

3年前に舌癌と診断された叔父さんは仙台の病院に入院したり通院したり。

で、いよいよ先がないという時に関東のがんセンターへ検査入院。

そして近くのホスピスを紹介されたわけです。

関東に来た時は歩くのもままならない状態。なのに新幹線に乗り、電車を乗り継ぎし

お医者さんからは「よくここまで歩けましたね」と驚かれたとか。

桜の散るころまでは持つまいという事で、一旦は近くに住む次男のマンションへ。

3連休はだからマンションにいたのです。

その後、奥さんと娘が岩手に身辺整理をしに帰るというので、ホスピスに預けられ

介護は実の姉である叔母が引き受けてしまいました。

叔父には3人の子供がいるのですが、近くに住む次男と嫁はほとんど見舞いに来なかったそうです。

叔母は後期高齢者で1週間も病院に泊まるのはさぞかし大変だったと思います。

それで心配した旦那がわずかでもと思い、駆けつけたわけです。

 

奥さんと娘は岩手に数日行き、戻って来たら今度は嫁と孫を連れて帰郷。

何でも「孫に新幹線を見せたかった」とかいう理由だそうで。

夫がいつ死ぬかわからないわりにはのんきで。

奥さんは次男が住むマンションの一部屋を借りました。そこに住むつもりという事で

家具を買いに行った程です。

叔父がもう持たないと言われた日。奥さんは夫を無理にマンションに連れ帰りました。

何でも「桜を見せたい」という事で。最後は「花見だからお酒も」とスプーンで飲ませてたとか。

さあ、いよいよ亡くなった時。

深夜にも拘わらずナースとドクターが来てくれて死亡宣告。

その後、「死語の処置」が行われ、娘がネットで見つけた葬儀屋がお団子を作るようにと

粉を置いていったそうです。

が。

奥さんと息子2人、嫁に娘がいながら誰一人動かなかったそうで。

遺体に白い布をかける事さえしなかったと宮妃は怒り心頭。

「亡くなった人の顔に布をかけ、お団子を作り、一膳めしを備え、花と線香を手向ける」と

行ったら、すぐさま、それが本当かどうかスマホで調べ始めたと。

結果的に米も食器もなく、慌てて買いに走る始末で、祭壇を作ったのは宮夫妻。

が、「このマンションはすぐに返す予定だから線香はたかないで」と言われて驚いたそうです。

てっきり、今後はずっとこのマンションに住むものと思っていたら

「3年も頑張って来たから、数か月このマンションでゆっくりしてから岩手に帰る」とのたまったそうで。

その為に50万も支払い、家具を買ったんかいっ!

そんな事するなら最初から岩手で最期を遅らせて上げればよかったじゃないかーーーと。

 

葬儀は通夜なし。

その日の朝。葬儀自体は10時からですが私達夫妻とジュニアとヨンジュナは

朝8時過ぎには斎場に到着。

親族もぞくぞく到着。叔父が勤めていた会社の人もわざわざ宮城から到着。

しかし!肝心の喪主が来ないっ!

宮は叔父の一番上の兄なので、代わりにあいさつをして回り、接待をしていました。

喪主とその家族が到着したのは9時30分。タクシーで重役出勤。

次男の嫁は来るなり実家の方に座った切り、「私は関係ない」とばかりにお客さん。

葬儀を仕切ったのは奥さんと娘。息子たちはぼやーーっとしてました。

「無宗教」で行われた葬儀は黙とうの後、焼香して終わりなんです。

我が家のヨンジュナもジュニアと一緒に頑張りました。

火葬場では、遺骨を骨壺に入れるために骨を潰さねばならず、恐縮しながら

「すみませんね」と焼き場の人は謝っているんですが、奥さんは「いいのいいの。

そうしないと骨壺におさまらないんだから。ねっ」と妙にさぱさぱ。

 

「喪の行事」というのは厳粛なものです。

その人の生きざまや死にざまが「葬儀」となって表現されるんだなと思います。

だけど、喪の行事を司る人がいないというのは、本当に寂しいし後味が悪い。

仏教でも神道でもキリスト教でもいい。

祭祀を司る人がいてこそ、様々な行事が滞りなく行われ、そこに参列する人の

気持ちも整理されていくのではないでしょうか。

今回、無主教にしたのは、要するに僧侶を呼ぶ費用をケチった・・・ようにしか見えず

火葬場では、隣の人が僧侶の鐘の音で送られていく光景を「いいなあ」と思って

みちゃったりして。

いつもはお経やお坊さんに対して「うざいな」と思う事も多いのですが、やっぱり

いるべき時にはいて頂かないと故人も浮かばれまいと思うのです。

 

それくらい「祭祀」って重要なんですよね。これは歳をとらないとわからない事かな。

 

今回、ジュニアを参列させたのにはわけがありました。

この所、ちょっと反抗期みたいになっている彼。

「ママとは価値観が合わない」とかなんとかいいつつ、帰って来ない彼。

あまりに顔を見る事がないので郡山宮もヨンジュナを「後継ぎにしては」と言い出す始末。

(ああ・・皇后陛下の気持ち、ちょっとわかっちゃう)

で、叔父さんが亡くなったら必ず「長男」として参列するようにと言いました。

彼は最初、無言だったのですが最終的に「行きます」と了承。

喪服を持ってないというのでダークスーツにネクタイは黒で髪はすっきりと言いました。

そして葬儀の朝、家に現れた彼は、きちんと喪服を着て髪を整え

笑顔で祖父母にご挨拶。

その後、ヨンジュナの面倒を引き受け、弟をリードしつつ葬儀を乗り切りました。

棺を運ぶ経験をしたのは初めてではないでしょうか。

お蔭さまで親族一同には「よい息子さんをお持ちで」と言われ、内心は

「二人とも別人格になってるよ」と思いつつ愛想笑い。

郡山宮はジュニアに「面目がたった。来てくれてありがとう」と言っていました。

こちらもほっ。

いまだに自分探しをしている彼ですが、「喪の行事」に参列する事で、少し人生観が

変わってくれたらいいなと。

親もまたいつかこんな風に送らなくてはならない。

いつか来るその時をどう迎えるか。それによって子孫の生き方も見えてくるのでは

ないでしょうか。

 

なのでほんと、ごたごたしちゃって、パナマ文書も昭和天皇の靖国参拝も

まだまだ勉強不足です。

今は遅れを取り戻す事が最優先ですね。

もうちょっと待っててね。

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 5842

Trending Articles