真の保守派が皇室にNOを突き付ける日
最初からおかしかった皇太子妃
「皇太子の一途な思いがかなった結婚」としてマスコミが大騒ぎした皇太子の成婚。
でも、国民からするとそれほど盛り上がったわけではなく、逆に株価が下がるなどし、
ここにマスコミと国民の溝が刻まれる。
私達は全くその事に気づいてはいなかったのだけど・・・・・・
「大本営発表」なんて戦前の話だと思っていたから。
当時は新聞が嘘をつくとか、マスコミが意図を持って悪意ある報道をするとか
考えていなかったのです。
ゆえに、雅子妃に関しても長い間・・・いえ、いまだに
キャリアを犠牲にして皇室に嫁いだけなげな女性
として刻まれて来たのです。
けれど、皇室入りした時からすでに雅子妃の異常は目立っていました。
所作を覚える事が出来ない
結婚式当日、皇太子と立ち位置が逆になるも、そのまま。
披露宴でシャンパンを一気のみしてしまう
披露宴用に作られたケーキを皇太子と一緒に食べてしまい、作り直させる
最初の公務ではやばやと居眠り
イヤリングを落として皇太子に拾わせる。
乱れた生活習慣
朝、決まった時間に起きる事が出来ない
規則正しい生活を嫌う
極端な人見知り
結婚後、皇太子の学友たちと交流するも、途中退席。
結婚後、皇太子の学友たちは東宮御所に行くのを控える
地方公務先の昼食会等が苦手。「二度とああいう人たちとは会いません」
他人の洋服をまねる
皇室における「妃殿下の条件」とは
血筋
多産系
礼儀正しさと社交性
気が利くこと
これに限ります。学歴とか語学力などはいらないのです。
それを昭和の「美智子様」が学力優秀で外国語堪能で・・・という先例を作って
しまったからです。
皇太子の結婚に関しては第一番目の条件として
「学歴」が重要視された事は大いに間違っていたと言えます。
この「学歴主義」は家柄や血筋がない人達の示す「ステイタス」そのものであって
本当のハイソサエティには必要ないのです。
雅子妃は
ハーバード大出
外国語堪能
キャリアウーマン
の3点セットで入内したのですが、実際には朝、きちんと起きることもできなければ
夫とその家族を思いやる気持ちもなく、国民を目の前にしての所作すら理解せず
つまり、「やっていいことと悪い事」の区別がつかない人であるわけです。
そして周りから注意されるとプライドが傷ついて、回りを攻撃するようになる。
いわゆる「自己愛性人格障害」です。
皇室側も、雅子妃に何らかの精神疾患があると踏まえて、女官にセラピストを
入れたのだと思いますが、皇室という「敵」あるいは「壁」だらけに囲まれた雅子妃は
次第にモンスター化して、手が付けられなくなっていくのです。
一般庶民が時折目にする雅子妃に関しても、当時から「違和感」があったと
思います。
どう見ても皇太子と仲がよさそうに見えないし、それなのに「ラブラブ」とか書かれて
「?」な状態であったし。
登山に付き合うのも面倒な感じで、「手作り」と言われたおにぎりは実は業者が
作ったものと暴露される始末。
皇后陛下が「ケーキ作り」に皇太子妃や秋篠宮妃などを誘い、コミュニケーションを
図ろうとした節もありますが、結果的に雅子妃の拒否に会い、ケーキ作りという
趣味そのものがなくなってしまう始末。
問題はなぜ、雅子妃のモンスター化を許したか・・・・です。
誰がそれを許したかという問題でもあります。
紀子妃が入内した当時、皇后陛下からこまごまと注意を受けて
悩みになやんだ紀子妃は「皇后の所作をコピー」するようになりました。
そもそも、結婚する前、着物の帯を下賜された時から
「皇后が法律」になっていたのでした。
若くて素直な紀子妃は、それに従うしかありませんでした。
「恋愛結婚したという事は好きで皇室に入ったんだから
適応するのは当たり前」という事ですね。
では皇太子妃はどうだったのでしょうか。
結婚前から一連の「失敗」はそもそも皇后がもっとも嫌うものの筈。
居眠りだの、不規則な生活だの、衣装かぶりなど。
昭和の皇室は「血筋と家柄と育ち」が優先する特別な世界でした。
美智子妃の入内によって「開かれた皇室」というキャッチフレーズが出来ました。
皇族が「普通の人間」である事を強調する事で親近感を与えようとしたのです。
でも、「普通の人間」であっても「どこにでもいる人間」であってはいけない。
旧弊なしきたりや伝統を否定、それを守るものを否定する美智子妃にとって
「特別なもの」それは「学歴」だったわけです。
人間性より、どこの大学をどんな成績で出たかが優先されるというわけですね。
どんなに雅子妃の入内がゲリラであっても、最初から天皇と皇后がきっぱり
「反対」していれば入内は叶わなかったかもしれません。
でも実現した。
そこには「家柄がダメ」という理由を出せない両陛下の「弱み」があったのです。
そしてもう一つは、「被害者モード」になると騒ぎだす雅子妃を前に
「悪者」になれなかった皇后の姿が出てきます。
香淳皇后は、美智子妃のお蔭で、実態とは違う「悪役」ぶりを演じさせられました。
今度はその逆をされようというのですから、どうにもならなかったでしょう。
何よりも、皇后はこの時から雅子妃に対し、ある種の「シンパシー」を感じて
いたのではないかと思われるのです。