無事に郡山から帰ってまいりました
色々な意味で「こんちくしょー」的な?
「なんだかなーー」的な?
ああ・・・あんた達、同類じゃん的な?
13回忌だった為に全ての発言を飲み込んで帰って来ましたよ。
3日が法事だったので、2日の夜に出て朝に着くように行きました。
私達夫婦と姫とヨンジュナで。
旦那の兄の13回忌という事は、つまり我が家のヨンジュナが11月で12歳になるわけで。
亡くなった時はお腹の中にいたなあと。
姫は小学生だったんだよなーーなどと考えておりました。
ついでに郡山宮の母君の43回忌もやったんです。
その時に、宮妃に言われたのは
「私達の時は互助会に入っているから、葬儀代と花代は払えるようにしてます。
法事の時は「お布施」「お食事代」「卒塔婆料」を別々に包んで。
そうそう、戒名は一文字6万だから最低文字数でお願い」
でした
一応、メモメモ。
お墓についた時も「将来的には「先祖代々の墓」って事でみんなが入れるように
してもいいわよーー」
との事でございました。
皆さまも気になる叔父宮とその妃のお話ですが。
亡くなってそろそろ一月なんですけど、連絡はないそうです。
叔父宮妃は「2・3年したら法事するから」と言ってたそうです
へ?2・3年? やっぱり一周忌もやらないつもりなんだ・・・・・・
叔父宮の所は子供が3人。
長男 → 半分ニートだったけど、叔父宮退職後の自営業を手伝う。叔父宮発病後は
病院通いなどを一手に引き受け、介護人生3年。
この度、めでたく契約社員になり仙台で暮らす事に。
葬儀が終わると即、仙台に帰り翌日から仕事に。
次男 → 千葉県で働き、妻と子供一人。
叔父宮が近くの病院に入る事になると一旦は引き取るものの
リビングの床にお布団敷いて寝せて、嫁はノータッチ。
葬儀の時も他人事のように一家で知らん顔。
長女 → 都内で税理士として働く。葬儀一切を手掛ける。郡山宮達が
死後の祭壇作り等を教えたら、即スマホで確認。
郡山宮夫妻が不憫だと思ったのは長男。母も弟も妹も兄を尊敬してないし、
立てようともせず、ほぼ無視していたと。
確かに何かと問題ある長男だとは思うけど、お父さんの面倒を一番みた人だよな・・・と。
ちなみに次男マンションの階下に借りた部屋の家具は全部次男におさげ渡しするそうです。
郡山宮夫妻は、何度も同じ話をするんですね(歳のせいです)
やっぱり、自分達が何かいうとすぐにスマホで調べて「ああ、本当だ」という姪っこに
頭来てましたし、今、まさに目を閉じようとしている弟君を起こしてお酒を飲ませた
パフォーマンスにかなりお怒り(脱脂綿でしめらす程度でよかったろうと)
せっかく真新しく、看護が行き届いたホスピスに入ったっていうのに、いよいよ亡くなる寸前に
無理やり退院させた・・・病室にいたらあと一日二日は持ったかも。
(移動はタクシーだったそうで。最後まで大変でした)
ホスピスに入った途端、田無姉君に介護を任せて田舎に1週間以上も帰っていた事。
つまり叔父宮夫婦の仲は破たんしてたって話です
「そこまでおっしゃるのなら、一度ガツーンと言うべきでは?
このままじーーっと黙ってていいんですか?
叔父宮の為にもいうべき事は言うべきでは?」と私が言ったら
「あちらにはあちらの考え方があるし。何か言って「じゃあ、金出せ」って言われたら
困るから」
だそうです。でもね・・・わざわざ仙台から叔父宮の会社の人が来てくれたのに
誰も挨拶もしなかったとか、そういう非常識な事は注意してやらないと
非常識がまかり通る事になるのでは?
喪主一家が重役出勤なんて聞いたことない。
叔父宮妃はともかく、兄弟達は早く来て準備すべきでした。
これも一種の「社交」だと思うんですよ。
お客様に挨拶して、近況報告などしてお礼を言ってお茶を進めて・・・みたいな?
なのに一番最後にタクシーで乗り付け、次男嫁とその子は即、自分の実家の面々の
所へ走って行ったしなあ
だけど、陰でぐずぐずいう郡山宮夫妻にもうんざりしちゃって。
今後叔父宮妃の生活ですが、次男は「長男と仙台で暮らせばいい」といい、
長男は仕事についたばかりだし「いい加減親の面倒は見たくない」と思い・・・・
宮妃の心は都内で働く長女に向いているそうですが、70の老人がいきなり
大都会で暮らせるのか
そして叔父宮のお骨の行方は?
法事の後、郡山宮による「家族会議」が開かれ。
個人的にはこっちが一番むかつきましたね。
宮いわく
「私が先に死んだら、財産の一切合切は全て宮妃に譲り、お前達には
びた一文渡さない」
だそうです(法律上、そんな事が可能かどうかは別として)
理由は
「息子は大学を出してやったし、色々面倒を見てやったから」だそうです。
宮妃亡きあとは「姫に相続させる」そうです。
唖然茫然でしたね。
私と両親は血の繋がりはなかったけど、こんなセリフ、言われた事ないぞ。
「面倒みてやった」なんて。「大学をだしてやった」なんて。
ゆえに「家を相続させない」なんて。
そもそも、たった一人残った息子じゃありませんか。
今後、法事等は全部やり、お墓の管理もしていく息子夫婦に
「お前達には何も残す気ないから」なんていうか?何様?
「ただし、この家を売る事も許さない」だそうです。
心の中で
(あなたの息子は見事にふぶき家の家を売りましたけどね・・・・いまだに
お墓を建てることもできませんけど。そちらの息子さんのこちらに
対する責任はどうなんだ?)と叫んでいたけど、あえて無言。
しょうがないので
「じゃあ、今から姫を養女になさってはいかがですか」と言ってしまいましたよ。
そしたら「姫の人生を縛りたくない」とかなんとか。
つまり・・ふぶき家の財産を失ったのは私のせいだと思っているんですよね。多分。
私がしっかりしてないから家を売るハメになった。と。
だから「嫁に引きずられている息子には渡さん」って話?
いやいや。仙台の家を失った責任の三分の二は旦那にあります。
ほとんど仙台に行かなかった、行かせてくれなかった、今もって。
家を売った時に余剰金が出たから、これでお墓を建てようと言ったら
数日後には「もうそんなお金ないよ。だってあんた、舞台に行くお金欲しいって
言ったでしょ?本当に金がかかる妻だ」とか言われて・・・・・
こういう時に娘も夫もまるで力にならず。
それでも私、「お母様は今後、郡山で暮らしたいとお望みですか?そうでしたら
私達が通うようにいたします」とまで言いましたよ。
ふぶき母が動けなくなった時、無理に関東に連れてきてしまったが為に、後々
恨まれてしまった経験と「歳をとればとるほど、長年住み慣れた場所がいい」という事で
若い方が折れるべきだろうと思ったからです。
それから「形見分け、今しとく?」と宮妃が出したのは真珠のネックレスとイヤリング。
相当な値段のもののようで
大昔から「これは姫に」と言ってたんですが、ついに姫の手に渡る日が来ちゃいました。
「宮が買ってくれたの」というので
「お母様が幸せですわ。夫がきちんとフォーマルなものを買ってくださって」
「ママだっていいネックレス、してるじゃない?」
「あらーー私のは500円です。私の夫は妻がどんなぼろを着ててもまがいものを
つけてても平気ですから」
これに宮妃は思わず「ママがつけると500円も高級品に見えるわ」と言ったのですが
宮は「それはあんた達夫婦の問題だろう」と。
何か息子について言われるといつも「それはそっちの問題でうちは関係ない」って
いうんだよね。
でも、法事で・・・・母は500円セットのネックレスとイヤリングと指輪で、娘が
何十万もするネックレスとピアスをつけていたら変じゃないですか?
そこはまあ、姫の気遣い(?)で、「私、買ったバッグについてきたネックレスするわ。
ピアスはおじいさまに買って頂いたものをするわね」と優等生なお言葉を。
それから、宮がアフリカで買ったというダイヤモンドの指輪などを見せて貰ったのですが
(っていうか、今まで何度同じものを見せられて同じこと言われたか)
これもぜーーんぶ姫に上げるそうです。
さすがに私に何もないと可哀想と思ったのか、日光で買ったという銀製のネックレスを
くれました。真っ黒になってましたが(重曹買わないと)
アクセサリーもリフォームするのはお金がかかるのよね・・・・・
そうそう、5月2日は宮妃の誕生日。しかも傘寿。
なので、すごく変わった弦バラと小さな胡蝶蘭を贈ったのですが。
胡蝶蘭はヨンジュナが選んだという事で喜んだけど弦バラの方は・・・・・・
「花も一杯あってもね・・・」と言われてしまいました。
何だかなあ。来年からは入浴剤にでもするかしら。