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雅子妃 48歳 感想文2

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「また、

愛子の学校のことが私の生活の中で大きな部分を占めてきた年

 でした。

この問題では、多くの方にご心配をいただいていることと思いますが、

昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が

安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、

親として何をしてあげられるのか、

日々考え、力を尽くしてまいりました。

学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、

与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたもの

でした。

 そして、今年の9月には、学校からも参加をすすめられ、

愛子自身もぜひ参加したいと希望した、

山中湖での2泊3日の校外学習がありました。

この時、先生方のご配慮をいただき、私が少し離れて付き添う形で、

全行程一人で、お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、

学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております。

そして、このことは、学校の先生方もとても喜んでくださり、ありがたく思っております。

 その後、愛子が私の付き添いなしに通学する日も増えてくるなど、

段々と良い方向に向かってきていると思います。

また、愛子は、4年生になり、学校の特別クラブの活動として管弦楽部に入部し、

お友達と一緒にチェロの練習に励むなど、これまで以上にさまざまな分野に

関心を持ち、いろいろなことに取り組んできております。

一つ一つ成長していく子供の姿をみることは嬉(うれ)しく、私にとり、

日々の励みになっております。

 今後とも、愛子が安心して学校生活を送ることができるように、

愛子自身の気持ちをよく聞きながら、学校の理解と協力をお願いしつつ、

私もできる限りの手助けをしてまいりたいと思っております。

 

 訳  愛子内親王の学校の付添いは唯一自分がしてやれる事だった

      山中湖付き添いは愛子内親王にとっていい結果をもたらし、学校側も

       喜んでいる。

      これからも付添いは続けます。

  前半のさられいとした文章に比べて後半は語る語る・・・

 

 前半で「言葉では言い尽くすことが出来ない程の衝撃的な出来事」と

  語った大震災。でも本音は「愛子の学校のことが生活の中で大きな部分を

  占めた」と語る。

  前半で 「何が出来るのかを考えながら」説明を聞き、被災地を回った。

  後半で 「何をしてあげられるのか」日々考え力をつくしてきた・・・と。

  同じ事を言っているのに心の中が透けて見えるような気がしませんか?

  娘に対しての丁寧語。「何をしてやれるか」ではなく「何をしてあげられるのか」

  ですよ。被災地には「なにをすべきか」ではなく「何が出来るか」ですし。

 

 そして一番気になるフレーズが「安心」です。

「どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか」

「愛子が安心して学校生活を送ることができるように」

この二つは「いかに学校に安心して娘を通わす事が出来ないか」を言っているような

ものですね。

それは1年半も前の「いじめ」事件が尾を引いているのか・・とも思えますが、

学習院は「そもそもいじめはなかった。家庭でのしつけの問題」としたことに

『私の思いを理解してくれない学校は信じられない。通わせられない」と思い

色々他の学校に問い合わせたけど、結果的にどこも受け入れてくれなかったので

「じゃあ、私が付添って敵から娘を守りましょう」という事なんだと思います

「敵」とは誰か。

いうまでもなく「教師」「学校」でしょう。自分の意見を本気にしない・・・という事への

壮大な怒りが見えています。

送り迎えにがっちりと側近がついている愛子内親王。

母親がいてもいなくても現状に変わりはないのです。

でも、「私がいないとだめだ」と考える根底には「私がいない間に娘について

どんな評価を下されるかわからない。私がついていればこの子は理想の娘で

いられる」というもの。

評価とは「学力」「マナー」だと思います。つまり他の生徒に比べて出来ない事を

認める勇気がないのです

 

 文章を読んだだけで「執着」を感じますが、「愛情」は感じられません。

 ちなみに「与えられた状況の中で唯一とれる可能性」という言葉。

  意味わかりますか?私は全然わかりません

  「付添いしかしてやれない(皇族として自由のない生活をしているから)」

 と思っているのかもしれませんが、それが連日貴賓室9時間のひきこもりと

 昼食とお茶ってのは・・・・それすら取り上げられたと思っているんでしょうが

 普通の親はそんな事しないし、しちゃいけないんです。

 

 なぜ、ここまで執着するか。

 「私達は鏡どうし」なんでしょうね 学校に適応できない娘の存在は

 社会に適応出来なかった自分の姿であり、無理を通しているのはその頃の自分の

 「恨み」をはらす為と思えば納得できるでしょう。

 実際は「出来ない」事へのコンプレックス人生であったという事ですよ。

 

 気の毒な学習院と桜組の生徒さん達。

 学校側は決して「付添い」を奨励しているんじゃないのに「学校に理解された」と

 勝手に解釈して、さらに自分の娘の意見を聞きながら今後もやっていくと。

 他の生徒の迷惑とか、恐がっている事とか一切考えないとは

 PTAも怒るべきじゃないんですか?

 


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