こうも世の中が「退位OK」の世論になって来ると、当たり前のことをいってる
私達が変みたいで。
残酷でもないし無理も言ってないし、どうして当たり前のことをしていただく事が
ダメなのか。
高齢化社会と天皇制は関係ないですよね・・・・・
まず有識者会議のメンバー、岩井克己氏のレジュメ。
前提
終身在位は残酷な制度である。
天皇の崩御継承あるいは終身在位は残酷な制度だという率直な感想です。
自然人でありながら国家機関でもある天皇の終焉は、それが国家機能に直結
するだけにメディア側も総力を挙げて突っ込んで取材し報道せざるをえない。
昭和天皇のがん発病、そして吐血・下血に苦しむ病状や悲しむ皇族方のご様子の
取材合戦は厳しく、身近でお人柄に接する者としては辛い仕事でした。
また、例えば当時の竹下内閣は消費税国会の厳しい政局運営を抱えており、
竹下首相がご病状の見通しを侍医長から聞く為に足しげく皇居を訪れる姿を目撃し
その苦渋の表情は今もよく覚えております。
崩御・皇位継承。大葬となれば国会審議などあらゆるスケジュールはすっ飛んでしまうからです。
国民も病状の推移に一喜一憂し、津々浦々まで自粛の波がおおって国民生活に
も少なからぬ影響が続きました。
岩井氏の記憶の中には1988年の昭和天皇の病状を伝えるマスコミ報道が
駆け巡っているものと思います。
実際、あれは大変でした。
今思うと、きちんとした病名を国民が知らされる事なく、その前の手術の時だって
ぼやっとした理由で、いきなり晩さん会で吐血されたんですから、そりゃあ
大騒ぎになるでしょうよ・・・・
昭和天皇は当時の日本人にとって歴史の生き証人であり、やっぱり
「国の父」であったと思うんですよ。
1970年代、どこの本屋も天皇制を否定する本しか出さない程、天皇は左翼の
人達によって「戦争犯罪者」とされたし、君が代や日の丸への嫌悪感まで植え付けられ
公に天皇を語る事すらできない時代でした。
唯一は美智子妃殿下の人気というか、それも今では左の人達によって踊らされていた
んだなあと思うんですが、でも、昭和天皇の病気発覚によって、はからずも
天皇が国家においてどれ程大事な存在かわかったと思います。
バブル景気のあおりもあって取材合戦は過熱したし、確かに吐血だ下血だと
毎日速報を流すのはどうかと思いました。
でもあれも一種の社会現象というか「ノリ」だったんだと思います。
無論、その渦中にいた当時の皇太子一家にとって、毎日の報道は嫌な気がしたのかも
しれませんよね。プライバシーの侵害だって。
「自粛」に関してもマスコミが作り上げたものと思います。
首相が足しげく皇居に通うのも当然、元号問題もあるし、というか、
そういう時でもなければ政府と皇室がまじりあう事などなかった時代ですよ。
首相が病状を聞く・・・・当たり前の事で、どこの国でも国家元首が亡くなる時は
政治だって止まるのではないでしょうか。
それを「遺憾」と受け止める方がおかしい。
この分で行くと親の病気が悪化しても看病できないし、葬儀は1日で終わらせろなんて
考え方がまかり通りそうですよね。
このたびの天皇陛下の「お気持ち」を拝読して、超高齢化時代にあって天皇が
高齢による限界に直面した時には生前に譲位すべきではないかとの問題提起と
受け止めました。
科学者でもある人間天皇らしい理にかなったお考えだと思います。
同時に国や国民、残される皇室の方々に対する象徴天皇としての強い責任感と
思いやり、、高い倫理性がにじんでいると感じました。
限界に達したから退位するのが責任とか思いやりというのは違うのではないかと
思います。
私、天皇は科学者であってはいけないと思うんです。
変に科学者だからこれだけ天変地異が起きても自然現象だと他人事のようになって
慰霊にばかり力を入れるのではないでしょうか。
本来、被災地巡りをするより、神社に祈りを命じる、寺に経を奉納する、
それこそ大仏でも建てるのが普通の在り方ではないかと思います。
天皇が皇居、赤坂御用地に税金で住んでいられるのはなぜかと
もう一度問いたいです。