「ご体調の波がおありになりながらも」
「ご病気に苦しまれながらも」
「できるだけの事をしたいと誠意を持って懸命に頑張って」
のフレーズを念頭に置き、去年の雅子妃の誕生日から1年の間に彼女が
起こした問題の数々を列挙してみたいと思います。
2010年12月7日・・・内親王の社会科見学に同行。
当日朝になって出席か否か決まらず皇宮警察が混乱
雅子妃と内親王は別の車でお昼に現場へ帰りも別。
2010年12月9日・・・誕生日。参内のため、内親王に学校を休ませる。
2011年1月・・・小山女官&木幡女官が辞職。
2011年1月31日・・・ウイリアム王子結婚式に皇太子夫妻が出席へ
2011年2月23日・・・皇太子の誕生日行事を欠席。
小和田家を含んでの祝宴は出席
この頃は愛子内親王はまだ1時間目から出席せず。「かまぼこ工場」見学の
騒ぎを東宮大夫が否定。
「付添いは愛子内親王が望んだこと」と言い訳。
イギリスは招待状をどこに送っていいかわからず両陛下へ。東宮職は
「東宮家へ送りなおし」を依頼。夫妻は出席に意欲。しかし、雅子妃は公式行事
に出席せず内々に静養を目的に行くのではないかといわれる。
3月16日・・・仕方なくイギリス行きを断念。
4月11日・・・午前11時ー午後7時まで東宮御所で「お楽しみ会」
学習院の子供達を招いてのパーティの合間に黙祷。
5月4日・・・宮城訪問。決定したのは2日前。
この頃「愛子内親王の付添いが中心の為、平日は被災地にいかない」
事が問題に。
5月7日・・・三郷訪問。
「助けられなかった人のことは心に傷が残るようで大変ですね」
と発言。
また「陸に上がった河童の気分」猟師の発言に爆笑。
6月13日・・・デンマーク・フレデリック皇太子が東宮御所訪問。雅子妃出ず。
6月14日・・・フレデリック皇太子、被災地訪問。
雅子妃は愛子内親王の「芸術鑑賞会」に同伴。本来1−3年までしか
付き添いが認められないのに「特別待遇」
帰りは「思いつき」で電車で帰宅。マスコミを集めて撮影させたのは
いいが、JRから苦情。
6月14日・・・皇太子、武蔵野陵・武蔵野東陵参拝に同行せず。
夕方5時過ぎに一家で参内し乗馬を楽しむが、両陛下には
来た事を知らせずに会わずに帰る。
8月13日ー9月3日・・・那須ご用邸滞在。
・ 二期倶楽部貸切
・ 遊覧船を貸切で花火鑑賞
・ 民間のプールを貸切
・ 連日23時まで遊ぶ
・ ご用邸にきた秋篠宮殿下と眞子様には会わず。
9月・・・学習院初等科貴賓室占拠。毎日9時間滞在し、内親王と昼食をとる。
9月14−17一・・・愛子内親王・山中湖校外学習に同行。
・ 児童が訪問する場所全てについていき、規制線を張る
・ マウント富士インペリアルスイート貸切で特別料理。
・ 総額3000万かかる。
10月・・・愛子内親王の運動会の席取りに侍従を並ばせる。
双眼鏡で父兄を監視。父兄は見回りに刈りだされる。
10月20日・・・皇后誕生日。参内するも祝宴は欠席。身内の食事会も途中退席。
10月23日・・・眞子内親王成年の儀の挨拶に出ず。無視。
11月1日ー5日・・・愛子内親王を東大病院貴賓質に入院させる。
1フロアを貸切、一度も東宮御所に帰らず。
精養軒から出前をとって食べる日々。
11月3日・・・悠仁親王着袴の儀を無視。そもそも葉山に静養する予定だった
事が発覚。
11月10日・・・皇太子が東大病院訪問。「風邪」の為同行せず。
11月14日・・・愛子内親王に社会科見学を欠席させる。
11月15日ー18日・・・ブータン国王夫妻来日。
・ 歓迎行事に出席せず。
11月18日・・・ブータン国王の見送りに出ず、学習院への付添い再開。
夜、皇太子が東大病院へいくも同行せず。
11月30日・・・秋篠宮殿下誕生日の食事会を愛子内親王と欠席。
12月1日・・・愛子内親王の誕生日。身内だけですごす。
時系列でみると大震災以後変な行動が目立つのですが、イギリス行きが
なくなった事、スキー静養がダメになったことが「心の傷」になった模様。
(皇太子夫妻イギリス訪問はネット上では大問題で「雅子妃がイギリスへ行ったら
日本の皇室の名前を汚す」とまで言われて抗議のチラシ配布が始まった頃に
大震災発生・・・これは天のご意志ではないかと言われました。前年から
江戸川区のスケート場を貸しきって幕張の公務は行けず・・とかやっていたので。
私もあの時は「天はここまでしてとめたのか」と思いました)
夫婦関係の破綻の芽は2月の皇太子誕生日の祝宴をキャンセルしたあたりから?
夏は皇太子が毎日のように内親王に付添って外出。
10月からは皇太子が何かと理由をつけては東宮御所にいない日が続き
11月に「東大病院」へプチ家出。
普段は娘に熱心な様子を見せている皇太子がこの入院騒ぎの時は一切表面に
出ず・・・以降「名代」もあって娘にかまってる暇はないような?
夏から行動がエスカレートして、もはや制御不能状態。
離婚話が出るのはしょうがないかも。
妃としては「愛子内親王」が最後の切り札なんでしょう。何が何でも手元において
事を有利に運びたい。そのための『女性宮家」なんでしょうね。
マスコミ報道が容赦なくなったのは「山中湖」事件からですが、悠仁親王が5歳に
なった9月6日がターニングポイント・・・つまり悠仁親王の為に皇室を清浄化
しようとの動きが加速したと思われます。
冒頭の3フレーズ、どう聞こえますか?