日々、理不尽だなあと思います。色々な事が。
どうして上皇と天皇が並び立つ事を「二重権威」と考えてはいけないのでしょうか?
だってそれが正論ではないんですか?
そもそも譲位する必要がないのにわざわざ譲位する・・過去の前例からしても上皇は天皇の上に立ち、やがて法王になる程の権力を持ったではないですか。
今回の退位というか譲位というのは、明治以降の近代皇室の在り方を全否定しているような気がしてなりません。
江戸時代まではそれこそ譲位もあり、女性天皇もあり、女性宮家もありでしたよね。
蘇我氏や藤原氏といった天皇家を政治利用する輩によって都合のよいように理屈をつけて譲位もあり、女性天皇もあったわけです。
そりゃ明治政府だってはっきりいって天皇の政治利用をガンガンやってます。
「大元帥陛下」などと持ち上げ、まさに「国民の統合の象徴」として確立したのです。その明治政府が「男系継承」を決め女性天皇を認めず、譲位を認めず、元号は1天皇1元制にした事には大きな意義があったと私は思うのです。
それはやっぱり天皇というものの権威を最高に保つ為のものだったと。
しかし、それから150年であっさりと天皇自らが権威を失くしていい・・・と言い出すとは思わないですよね。伊藤博文が生きていたら死を賭して止めていたろうと思いますし、常に国家の「理想」であろうとした明治天皇の意志にも反するのではないかと思います。
時代に即した天皇制とは言っても、根本を変えてしまったらそれはもう「制」ではないのでは?
今上は左翼的な思想の元、恐らく、昭和天皇までの時代を全否定したいのだと思います。
それ以上に「父」である昭和天皇の否定でしょう。
昭和天皇がついに行く事が出来なかった沖縄にどこよりも目をかける。
それはまさに「昭和天皇のせいで激戦の末に多くの人が亡くなったから」という地だからでしょう。東南アジアの慰霊に拘るのも、あの時代、日本のおかげで独立できたとか治安が守られていたとかいう事を絶対に認めたくない今上の気持ちがあるのです。
そんな歪んだ歴史観を持つきっかけになったのはバイニング夫人の教育のせいなのですが、そんなバイニング夫人を受け入れざるを得なかった昭和天皇と香淳皇后の気持ちを考えると胸が痛みます。
勿論、今上の中に「太平洋戦争」というものに対しての疑惑の目という下地はあったと思います。
非科学的な精神論をぶちまける陸軍とか責任逃れをする政治家とか、特攻隊を組織するという野蛮さ等々、小学生のまっすぐな少年の目には「そんな事やって戦争に勝てるならとっくに勝ってるんじゃないか」という思いがあったでしょう。
日々、戦争の行方に悩み苦しむ父を見つつも「天皇なら今すぐ戦争を終わらせるべき」とでも思ったんじゃないかと。
権威はあるけど権力がない昭和天皇の姿を見てしまった今上は「天皇」という存在に疑問を抱くようになった・・・と考えれば自然です。
でも今上は思わなかったのか?
戦争に負けたのに国民は昭和天皇を恨まなかったんですよ。
全国巡行の際はみな笑顔で涙で迎えたじゃないですか。権力がなくて軍部のいいなりになったとしても昭和天皇は日本人の心の父としてずっと存在し続けて来ました。
粗末な一張羅を着てもお文庫に住んでも天皇は天皇。
でも今、上皇となる天皇はそこまで国民の心に深く根を下ろしていると思いますか?
あんなに被災地訪問をして外国にまで行って、一年365日「ああ忙しい」とあっちこっち出歩いて「慈愛」を広めても、本当の意味で日本国民の心の中に根を下ろしていると思いますか?
今や権威より権力を手にして「お気持ち」で内閣を動かす天皇。
それこそが今上にとって「昭和天皇を超えた瞬間」なのかもしれません。
こんな風に強烈な存在感アピールで父を超えようとする今上に振り回される国民、騙される国民が今です。
えっと、本題はそれじゃないのね。
これ、白鵬なの?モンゴリアンチームって・・・おいおい
こんな事されても貴乃花親方を悪者にする相撲協会なんて絶対に信用できないです。