結果を見れば当然のことだったろうと思います。
思いますけれども、それでは靖国神社に祀られている人達は一体何をよりどころに戦ったのだろうと疑問に思います。
靖国神社が去年の秋、2019年の靖国神社150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行啓請願」を宮内庁が断っていた
それがわかったのは今年の8月13日。
靖国神社とは・・・戊辰戦争から太平洋戦争に至るまでの軍人・軍属を祭神として祀る。
つまり、軍人だけでなく、戦争に駆り出されて亡くなった人達を平等に祀る神社です。「靖国」の中は明治天皇がつけました。以後、天皇は必ず靖国神社に参拝をしなくてはなりませんでした。
「靖国神社で会おう」というのが軍人たちの合言葉でした。
死んだらどこへいくのか・・・そんな事、誰もわかりません。「無」になると思っている人もいるだろうし、天国へ行く人も地獄へ行く人もいるでしょう。
「靖国で会う」というのは、単なる死への恐怖を和らげるための言葉だったかもしれないけど、多くの軍人たちがそれをよりどころに戦地で散っていた事は事実だろうと思うのです。
戦地で散るということは、遺骨が自宅に戻る可能性も少ないのですし、どこかわからない場所で知らない間に死んでいる自分を思う時、靖国神社に入ると言えば慰めになるでしょうし、また遺族にとっても「靖国神社で会える」と思えば、それもまた一つの癒しだったろうと思うのです。
終戦の折に、昭和天皇は皇族方を全国の神社に派遣し「敗戦」を報告しました。
しかし、東京裁判でA級戦犯を合祀したから皇族の参拝はなくなり、さらに政府関係者が参拝すると「軍国主義の日本」と中韓が騒ぎ立てるので、参拝を見合わせたり、隠れて榊を奉納するだけの政治家も増えました。
何より、「太平洋戦争は日本が加害者である」という認識の上に立ち、それらの軍人・軍属らが祀られている靖国神社を参拝する事は「右翼」とか「間違っている」という認識を持つようになったことが原因です。
実際、靖国神社を参拝し、お祓いを受けましたけれど、あの神聖な雰囲気と一陣の風、表の雑踏が全く聞こえなくなる不思議。これは何物にも代えがたい体験でしたし、私は遺族ではないけれど、心から英霊の御霊が安らぐように祈りました。
前述したように、靖国神社に祀られている人達は軍人だけではありませんし、また太平洋戦争の英霊だけではありません。戊辰戦争、日清・日露戦争、その他数々の戦争に行かれた方々の霊を慰めています。
国を守る為に戦った人全ての御霊を慰める場所なのです。
A級戦犯というのは、東京裁判で死刑を宣告された25名のうち、執行された7名のことで、これを「英霊」として合祀したが為に昭和天皇が靖国神社参拝を拒否するようになったと言われていますが、私にはどうしてもここらへんの経緯が理解できません。
というのは、それ自体が結論ありきの茶番であり、「昭和天皇を死刑にしない代わり」の生贄を求めたものと解釈しています。世界中が領土を求めて植民地を求めて戦争を行っていた時代、ドイツのナチスのように独裁者とその一派が国を操り各地に侵略していった戦争と、自衛防衛の太平洋戦争では意味が違うと思うのですが、当時日本をナチスと同じように裁かなければアメリカが原爆を落としたこと、民間人を無差別に殺したこと、ソ連が条約を破棄して満州に侵攻してきたこと、シベリアへ拉致していった事などの正当性がつかなかったからではないか。
日本人にとってA級戦犯の名前を列挙されて実際は「え?そうなの?」ってなものだったかも。この東京裁判のいい加減さはB級、C級戦犯が無実の罪で引っ張られ、多くの命を失ったことで証明されています。
靖国神社としては「たとえA級戦犯であっても国の為に尽くし、戦ったことには違いない」ということで合祀に至ったのでしょうが、昭和天皇は本当はどう思っていたのかと。
昭和天皇は、かなりしたたかな人だというイメージがあります。理系の人ですから最初から戦争を始めたら早く終わらせないとダメだなということはお分かりだったろうし、だけど自分の意見が通らないこともよくわかっていらっしゃった。
関東軍、大本営の先を読まない官僚主義の指揮は、天皇からみたらバカみたいに見えたかもしれません。けれど、最終的に「聖断」を仰がれるまでは何も意見をされなかった。
天皇家を守ることが昭和天皇の使命であるなら、たとえ11宮家を犠牲にしても、自分の血統は守らねばならないと思ったでしょうね。
自分の誕生日にA級戦犯が処刑された上皇は、疎開している時から軍にはちょっと批判的で、ゆえに「自分は戦争被害者」であると思ったかもしれません。それは配偶者である上皇后も同じです。そして加害者は父・昭和天皇であったと思っていました。
だから、たとえ靖国神社の経緯を説明しても上皇は納得しないだろうし、絶対に「戦争に加担した」人を祀っている神社など行きたくないと思っているんでしょうね。
彼らにとって「慰霊の旅」は、日本の為に戦った人達への哀悼ではなく、日本軍によって犠牲になった人達への哀悼だったのですから。
池上氏はテレビで「フェイクニュースによって徴兵されていった人達」と銘打って、事細かく徴兵検査や赤紙が配られる仕組み、子供達全員が戦死した家族などを取り上げていましたけど、戦時に「徴兵」はよくあることですし、今のアメリカみたいに「軍に入りませんか」と直接勧誘したり、大学の授業料を払う為に軍に入るのと何がどう違うのだ?と私は思います。
確かに負け続けの戦を「勝っている」と報道したマスコミはひどい。それをさせた大本営もひどい。でも、今、皇室からフェイクニュースが垂れ流しにされ、それを信じ込まされている国民はどうなの?今の大本営は天皇と皇后ですからね。
だから、上皇が靖国神社創立150年に参拝などするはずがないということで、断られるのは当然でした。
だけど。今も靖国神社は存在し、戦争の記憶を語り継いでいます。
そして今は、ちょっと「軍服オタク」みたいな人が集まる場所になっているような気もするんですけど。それでも今も靖国神社には沢山の人達が参拝しています。
天皇や上皇が見捨てても多くの国民はここに眠る人達を忘れたりしないし、ここに集う人たちはきっと日本の為に戦うでしょう。そして天皇や上皇はあっさりと逃げ出すんだろうなと思います。
「国の為に戦うなんてダメだ。自分の為に生きろ」って言いながら。