被災地はどんどんひどくなる一方で、関東にひどい被害をもたらしたと思っていた台風が実は郡山や丸森まで・・・となると範囲が広くて影響も長くなるでしょう。
武蔵小杉のタワマンの浸水もお気の毒ですね。マンションがまさか・・・と思うけど、そういう事もありえるんだなと。住民の話し合いの中で「ホテルなどに泊まった分は補償してくれるのか」という女性の声が聞こえてしまい、さすがにそれはないでしょうーーと思ってしまいました。
タワーマンションなどには縁がない平民ですけど、高い所に住むということは、いざ何かあったら平地に住むよりリスクが大きいことの覚悟はしなくちゃいけないのでは?大震災でそう思った人も多いのに、なぜかタワーマンションの高層階は売れ続けているわけですよね。
でもとにかく目の前に「敵」がいれば「補償してくれるのか」と言えるけど、相手が皇室になると国民は一言も言わない。
菅官房長官ですら「淡々と準備を進める」と言うだけ。
それはなぜなのか。
国民は知っているんですね。今の皇室には触らない方がいいってこと。
下手に何か意見すれば「ライトウイング(どこかの文筆家のセリフ)って言われて、関心を持っていることすら否定されかねないし、最初の情報とは恐ろしいもので、国民の中には今も「ハーバード大出でご優秀な雅子様が皇后になる」というイメージが残っているのです。
ということは勿論、世代的に知らなくても「民間から初の皇太子妃になった美しすぎ、しかもご優秀な正田美智子さん」は知っているわけで、そんな妃2代をかかえる皇室に物申すことは、そう思うだけで自分がおかしいのではないかと思っても不思議はありません。
どんなに
「いや、実際あれはハーバードではないのだ」「他人と接するのが苦手で自分の事しか考えない人」なんて何度いっても「でも優秀」のセリフが返って来る。
日本人にとって「ご優秀」というセリフの神通力はすごいです。
愛子内親王だって「ご優秀」すぎるくらいで、ゆえに天皇になってもいいと堂々というひともいるんだものね。
つまり「〇〇だから〇〇になってもいいよね」はよくても「〇〇出来ないからもっとふさわしい人を選ぶべきだった」などとは口が裂けても言えない国です。
正直、長野だって東北も関東も被災者を抱える県では、当日テレビだってみれるかどうかわからないじゃないですか。東京のど真ん中で行われる「即位の礼」なんて自分達には関係のないこと、そこに血税がいくら使われ、人でが割かれようとも、文句を言っても仕方ない。自分達はそれこそ淡々と復旧に力を注ぐのみ・・と思っているのかなあ。
(正直、職場で「え?22日ッて休みなの?」って言われたときはおどろいたけど)
こんな台風の被害が起きて消費税10%になって、お年寄りにプレミアム商品券の通知が来てもどれをどうしたらいいのかさっぱりわからなくて、封も開けずにほっぽっている人も多いのよ。役所に聞きに来る人はまだまし。
申請して引換券が送られてきて、それを郵便局に持っていって商品券と引き換えるなんて面倒な手続きは嫌だ!とお年寄りは叫び、デモでもすればいいのに、気が付いたら「なにこれ?送られて来たけど」状態。
国民年金支援金も同じですよ。あんなにテレビで宣伝してても、全く知らない人も多いの。
そうやって政府の言いなりになって来たのが日本人で、皇室には触らないのが得策と思っているのが日本人なんですね。
今の皇室と国民は韓国VS日本のようなもの。文句を言えばお金を出してきた日本人に対し、皇室はいい気になりすぎて贅沢はするけど義務を果たさなくてもいいと思ってる。
「謝れ」と「歴史問題」というセリフの代わりに「体調の波」「病気療養中」を錦の御旗に誰も文句をつけられない。
総理大臣が一言、「専門家に見て頂きましょう。私も同行します」と言えばすむ話を「雅子さんがそういうんだから仕方ない」と終わらしてしまい、明治以降かつてない程国民から内心ブーイングを受ける即位の礼を行うわけですわ。
ネットの記事に「なぜメーガン妃はバッシングされるのか」というのがあり、これまでも語られてきたようなことが書かれていました。
例えば、人権や貧困問題をテーマに活動しておきながら自家用ジェットで遊びまわったり、自宅の修復費に大金をつぎ込んだりすること(これは上皇夫妻も天皇夫妻もやってるのに日本人は一切文句いいませんね)
さらに、ハリーと一緒になって雑誌を訴える裁判を起こしたこと。
でも事の根本には「王室を持たないアメリカ人」であるメーガンに王室とは何かということは永遠に理解できないし、「セレブ」だと思う程度だろうということ。
彼女のアメリカ訛りはかなりイギリスでも嫌われていることも挙げられています。
振り返って小和田雅子さんのこの30年近い皇族生活も同じでした。
「皇室がある国に生まれたにも関わらず、一切関係ない生活をしてきたし、興味本位で皇太子に近づいて贅沢できると思って皇太子妃になったものの、なぜバッシングされていたのかさっぱりわからない」人、所詮は見かけだけ日本人だった小和田家の娘さんです。
今の皇室では「英語が話せる」ことがご優秀のシンボルのように語られています。
でも誰が来たって、外国人からみたら「日本人が英語を話している」にすぎない。
それを得意そうに「ネイティブな英語で」と報道させる。和歌の一つも満足に読めないのに・・・そんな二人が即位の礼を執り行ってしまう。
私は今回の「馬アレルギー」は、皇后の「何か反抗してやらないと気が済まない」心のあらわれではないかと思っています。ぶっちゃけ言いなりになりたくないというか、宗教上の問題で仕方なく儀式に参加するのだ・・という姿勢を見せたいのかどうかわかりませんけども。
そういう姑息な嘘を繰り返し今後、令和という時代を築いていくわけですからね。