週刊新潮 2006年2月9日号
「女系天皇は「陛下のご意思」と放言した武部幹事長の「不敬な政治利用」
週刊文春 2006年2月9日号
「激震走る平成皇室のいま」
・雅子様それでも離婚はない3つの理由」
・雅子様の主治医が勧める開き直り術」
・皇族の集まりは敬遠沈黙を続ける小和田家の本音
・存在感増す秋篠宮 サーヤの大親友の縁談もまとめていた」
・愛子様のご成育は年齢相応東宮大夫の発言の真意
・買い物にSP黒田清子さんの主婦生活
週刊現代 2006年2月11日号
「2・23にピリピリ皇太子離婚問題への爆弾発言」
・1月15日・18日。両陛下・黒田清子夫妻・秋篠宮夫妻で夕食会が開かれるも東宮夫妻は呼ばれなかった。
・黒田清子さんのご友人の為に秋篠宮が縁談をまとめ、従兄弟を紹介。そのお祝の席。
女性自身 2006年2月21日号
「女系天皇問題混迷の中東宮側近不在ご一家だけで入園準備」
AERA 2006年2月20日号
「東宮雅子妃はどうなるのか・離婚説まで取りざたされていた中、病気回復のきっかけになるだろうか
・皇太子は秋篠宮から電話で紀子妃の懐妊を知らされた。紀宮結婚の時も新聞報道で知ったので今回も青天の霹靂だったろう。
・もし紀子妃が男の子を産んだら世継ぎプレッシャーから解放されるかもしれないが、存在を否定されたとますます落ち込むのではないか。
・林田東宮大夫の「秋篠宮家に第3子を」発言に雅子妃はショックを受けた。
・雅子妃が好きなことをするのは「治療の一環」で主治医の勧め。
例えばミレナリオを見た → カメラのフラッシュに恐怖を感じるのでイルミネーションでなれる為
歌会始めの日に乗馬をしたのは毎週決まって木曜日が乗馬の日だったから。
・皇太子妃ではなく皇太子夫人という選択肢もある。
AERA2006年2月27日号
「皇室 祝賀一色報道への違和感 そこまでして男子 お膳立て への女のまなざしと男女で大違いの共感度
・時期が時期だけに素直に喜んであげられない現状ですーネットに書かれた言葉
・きっと皇室典範も紀子様ご出産まで改正が延びますよね。何だかいろんな思惑が交錯して嫌な感じだな~って思います。
・私も何だか釈然としないです。やっぱり雅子さまの心情を考えると素直に喜べませんね。結局、女は後継ぎを産んでなんぼなんでしょうか
・私も素直に喜べない人間の一人です。やはり作為的な何かを感じるから
・世の中祝福一辺倒だけどもっと皇太子ご夫妻のことを大事にしてほしいと思います。
最初にあからさまな紀子様バッシングをしかけたのがAERAです。世の中の「嫁」と皇族を同列に並べて「雅子さまお可哀想」に持って行く。39歳のお妃が命をかけて懐妊したというのに平気で心を傷つける。子供を産んで傷つく人がいるならそっちがおかしいと私は思います。
東宮夫妻が本当に傷ついたり怒ったりしていたなら心が狭すぎるし、皇族として存在している意義がないとすら思うのです。
2006年2月16日 盆栽展鑑賞・・・雅子妃はドタ出。
2006年2月23日 皇太子誕生日写真
女性自身 2006年3月7日号
「昭和38年42歳同世代識者からの応援メッセージ 今こそ雅子様に幸せになって欲しい」
AERA 2006年3月6日号
「日本一早期教育の全貌」
・4月から学習院幼稚園に通う予定の愛子様はオールマイティだった。
・以前より「こどもの城」に通っている
・東宮御所での体操教室や音楽教室をこなし、東宮御所にある菜園に通う。
「野菜を育てることを通して植物の成長を見守ることや収穫の歓びを体験」
・正月はいろはがるた、独楽回し餅つき、凧揚げを体験
・スノーボードのクロス、スピードスケート、スキーの大回転に夢中。
・相撲が好きで本で読んだ力士のしこ名を下の名前までそらんじている。
「力士の名前については正直私もかないません」
・さらに大相撲をテレビで観戦しながら「だれだれに星がついたようれしいな」と七五調で書く
・「雅子が昨年の12月の誕生日の夕方に風邪で寝込んだ時も、その前に自分が風邪を引いたときによくしてもらったのでというような意味のことを言って、雅子の寝室にバースデーケーキを持って行き・・・」
・「一般の方や記者の皆さんが立っているのを見て「みんなが寒いところに立っているからワンちゃんの手を振って上げるの」と・・・」
最初からこんなに盛りこんで大丈夫か?と思ったけど、今や最強ご優秀伝説ですから。
2006年3月3日 学習院幼稚園でプレひな祭り体験
2006年3月5日 世界選手権ワールドベースボール日韓戦を見る
週刊現代3月18日号
「皇室コンフィデンシャル慈父小和田恒氏のメール・東宮御所の誕生日パーティ・雅子妃両親のお忍び帰国・実家で座り込んだ雅子妃・国連大学と小和田家の関係
他にも紀子妃の懐妊を喜ばない記事が並びますし、雅子妃の行動肯定するような記事が目立ち始めます。皇太子と秋篠宮を「壬申の乱」に例えるような記事が出たのもこの時期です。