「お暑いことですなあ」
女官達は貫くような陽射しをよけて東宮御所の門をくぐる。
女官達が住み込みではなく、通いになってから幾星霜。
制服に着替えるロッカールームはいつも混みあう・・・のだが、今日は違っていた。
東宮御所の中はしんと静まり返り、誰の声も聞こえない。
ただ女官の待機部屋は、涼しい風が吹いており、暇を持て余した女官達が手作りのお菓子を持ち寄り、質のいい煎茶でお茶会を開いていた。
「みんな、おするするさんでごきげんよう」
「毎日こんなに楽しくお勤めに励めるなら、うちは天国の心地や」
「そうや。東宮さん達がいないだけでこんなにも心躍ることがあるやなんて。余計な音も聞こえん、心がざわつくこともない。眉間のしわも、ほら、みて。消えてしもうたわ」
からからと笑いさんざめいた。
「東宮さん達が異国へご出立のみぎりは、色々ございましたなあ。異国へ行かれるゆうのに、賢所へのご参拝をされなかったり。当然、先帝の御陵へもお参りせず。今まで先例のないことやのにさらに先例無視では、お上のお怒りも相当なもんやないかと」
「お上なあ・・・」
古株の女官がため息をついた。
「なあに、典侍さん、何がご存知なのやら教えて下さいませ」
「いや、これは御所筋の女官から聞いたことやから・・・話半分にな。お上は后の宮の言いなりやと。今回の異国行きはお上が最もお嫌さんやよって、当然お怒りのお言葉があるもんやとみな思っていたんやそう。それなのに、黙っていなさる。これはおかしいいうてな」
「でもお上はあの蛍狩りの夜に、東宮さんから申し出を受けたご一緒の静養をお断りになったんと違うの?あの夜は、お妃さんがお帰りになるなり部屋にこもられて、大変やったわ。物を投げるわ、壁を打ち付けるわ。何がそんなにお気に召さないんやろうって。いつもは誘われてもご一緒なんかしはらないのに」
「后の宮さんは、あの時からもう何を言っても無理やと思われたんやて。それにお妃さんの心を一番わかってあらしゃるのは后の宮さんや。同情されたんではないかとな」
「同情?」
女官達は一斉に古株の典侍の方を向いた。
「同情って・・・あの東宮妃さんにどうしたらそんな感情抱けるのや」
「そうや。「紀宮」(きのみや)様のようにいつもお気張りになって、お勤めをしっかり果たしている方ならともかく」
「それがなあ。やっぱり后の宮さんと東宮妃さんは似たもの同士やということ。今でこそ后の宮さんは歴史に残る皇后さんであらしゃるけれども、うちのたあさまやおばあさま達から見れば、今の東宮妃さんと何も変わらへんということになるのや」
「それは・・・聞いたことあります。うちのおもうさんもあたあさんも、帝にはいい感情をお持ちではあらへん。宮仕えするいうたら反対されました」
「そうやろ。国民の多くは后の宮さんの美しさや御召し物の素晴らしさに惑わされてすっかり手の内にはまったけれど、本当は何でもご自分が一番やないと気が済まないお人や。それに背の君を操ろういうお心が見え見えや。それに騙される帝も東宮さんも情けないけどな。あの手の人から見たら一番嫌いなんは「紀宮」(きのみや)様や」
「どうしてやの?「紀宮」(きのみや)さんはどこまでも控えめで・・・」
「その控えめの「紀宮」(きのみや)さんが、40でまさかのご懐妊や。うちとこのお妃さんも、それから后の宮もそれは万に一つも思し召しになったことがない事やったんや」
女官達は、ちょっと黙り込んでしまった。
特に若い女官はさいしょはさっぱりわからないという風に聞いていらけれど、次第に話がおどろおどろしくなるにつれて、息を飲む程に緊張してきたのだ。
風は涼しいのに、額に汗する者すらいた。
「「紀宮」(きのみや)さんは前置胎盤にも関わらず、しっかりと公務をこなし、整理をつけてから入院しはった。それが、たまたま、たまたまや、東宮さん達が異国へご出立される日と同じやったやろ」
「そうです。まあ、週刊誌には酷いこと書かれはって・・・やれ、病気療養中で静養に行かれるお妃さんに全然気を遣ってないとか、あてつけやないかとか。本当に思い出すだけでも心が凍る」
「あれは「紀宮」(きのみや)さんだけやなく、この国の懐妊してはる方全ての人への侮辱や思う」
みんな同様に頷いた。
「そら、この世界には望んでも懐妊出来ない人もいる。だからって人さまの家人を喜べん人がいるやなんてひどいと思う」
「お妃さんの考えは、ご自分が嫌だから他人が自分に合わせるべきやとのこと。それで国母になれるんやろか思う。今回のご静養だって全て国民の税金を使ってのことや。それを・・・あんな・・・弾ける笑顔やなんて」
この女官は、かの国へ到着し最初に報じられた東宮妃の表情が、いつもは絶対に見せない程嬉しそうな、いかにも勝利したというような笑顔だった事にショックを受けていた。
しかも女一宮まで突然笑いだして、その異様な光景がまたマスコミによって「素晴らしい」のオンパレードになってしまったが為に、まともな心を持っている者ならなお一層傷ついてしまったのだった。
「そう思うやろ?后の宮さんはご自分が少しでも悪く書かれたり報道されたりするとすぐに役所を通じて抗議文を出されます。ある時は倒れたりなさる。后の宮さまはそういう所はぬかりないのや。けどな、「紀宮」(きのみや)さんがいくら悪く書かれても庇うことはないのや。東宮妃さんを庇うことはあっても「紀宮」(きのみや)さんを庇うことはないのや。后の宮さんからすれば「紀宮」(きのみや)さんは完璧すぎてお嫌いさんなのやろ」
新しいお茶が足される。
なにせ東宮御所は閑散として、風が吹き抜けている状況なのだ。
「紀宮」(きのみや)の入院と東宮一家の出発日が重なった時は、東宮妃は荒れまくり、「嫌がらせをする気なの?何の為に?何様?」と叫んで大暴れした。慌てて医師が呼ばれ、精神安定剤を処方してもらったのだが、今の東宮妃は何を言われても自分の悪口だと思うし、何をされても嫌がらせだと思うらしく、側仕えとしてはやりきれなかった。
だから、無事に出発した時はみな、心からほっとしたのだった。
とはいえ、出発ロビーでの女一宮の礼儀をわきまえない態度や、「弾ける笑顔」を見るにつけ、相手国の身になって考えると喜んでもいられなかった。
「一緒についていった人達は何してはるんでしょうね」
「それが、相当お暇さんらしいわ。侍従も女官もあちらの宿に足止めされて、することないから毎日泳いではるって。女一宮さんはコンクリート卿のお家でお過ごしになることが多いらしいし。そうそう、お泊りになったお城でどんちゃん騒ぎしてな、次の朝、女王陛下から誘われていたお遊びを無断でキャンセルしはったって。気まぐれに動物園行ったり、植物園行ったり・・・確か動物園では職員がバーベキューの用意をして待ってたらしいけど、見事に無視されてトイレ借りてお帰りになったって」
「いやあ・・・もう聞きとうないわ。うち、ご一緒せんでよかった」
若い女官が顔を手で覆いながら叫ぶように言った。
「そうや。だからうちらはこうやって一時の安らぎを満喫すればええのや」
みな、平和な笑顔になってクッキーやビスケットなどを心行くまで楽しんだのだった。