ご日程
両陛下
12月21日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式
内閣総理大臣・閣僚と午餐
通常業務(2回)
両陛下 → 三の丸尚蔵館見学
12月23日・・・両陛下 → 天皇誕生日につき諸行事
12月25日・・・天皇陛下 → 大正天皇例祭の儀
内奏(総理大臣)
通常業務
12月26日・・・両陛下 → 離任大使に会う
天皇陛下 → 新旧衆議院議長・副議長らに会う
親任式・認証官任命式
12月27日・・・両陛下 → それぞれ外務省より進講を受ける
菊栄親睦会午餐会
天皇陛下 → 認証官任命式
皇太子殿下
12月21日・・・午餐陪席
12月23日・・・天長祭の儀
天皇誕生日につき諸行事
雅子妃殿下 → 祝賀の儀・お祝酒・お祝御膳
愛子内親王 → 祝賀
12月25日・・・大正天皇例祭の儀
12月26日・・・国連「水と衛生に関する諮問会議」の説明を受ける
秋篠宮両殿下
12月23日・・・両殿下 → 天皇誕生日につき諸行事
佳子内親王・悠仁殿下 → 祝賀
12月24日・・・両殿下 → 「第56回日本学生科学賞」表彰式出席
12月25日・・両殿下 → 大正天皇例祭の儀
12月27日・・・両殿下 → 宮内庁参与との懇談
佳子内親王 18歳に
29日、佳子内親王は18歳の誕生日を迎えた。
どこの大学に進学するか明かされていない。
お誕生日おめでとうございます ますます美しくなられて・・・とはいうものの、宮家の中ではちょっと
不良娘?反抗期まっさかりかなーーという印象があるのですが。
学習院大学に進学するのではと言われていますが、眞子内親王が11月に発表されたの対し、こちらはまだ。
学習院に進学するとしても東宮家の問題があってなかなか言えないんでしょう。お気の毒。
でも、その美貌が役に立つ日が必ず来るから
皇居で餅付き
28日、皇居で恒例の餅付き。
皇太子一家・秋篠宮一家が参加
ここ数年、皇居の餅付きはしなかったような?一度東宮家が欠席して、で、秋篠宮だけがいくわけにいかず
結局どっちも参内しないという事態が起こり、以後、見合されてきた筈。
今年はどういう風の吹き回しなんでしょうね。
東宮家1年の事件簿
1月早々、雅子妃がウイルス性胃腸炎になったとの発表。それゆえ「歌会始め」等に出られなかったと言い訳。
小町東宮大夫、「皇太子妃の仕事は東宮家のマネジメント」と発言してマスコミのひんしゅくを買う。
2月、皇太子一家は松屋で買い物し、学習院の出品はなかったのに私立小学校作品展を見る。開店後もいたために
店内はごったがえす。
3月、陛下のお見舞いに向かう雅子妃は不機嫌で、マスコミを見ると車のカーテンを閉めてしまう。
退院当日、東宮家は「お招きがなかった」として出迎えせず。実は前日に「行きます」というもドタキャン。警備担当が混乱。
学習院初等科の食事会を雅子妃がドタキャン。
愛子内親王の発熱報道・・・参内しない言い訳に。
4月、小町大夫の記者会見「雅子妃は内親王の付添と気配りで疲れ」検査するも異常なし。
皇太子、代行期間中にキッザニアへ。
両陛下の結婚記念日の夕食会が皇居で。東宮家への配慮。
皇太子の大倉山登山は、蛯名パーキングを封鎖して混乱させる。
小町大夫、雅子妃に無視される。
7月3日。皇太子は海外訪問後の帰国の挨拶の為に参内し、進講を受け両陛下と昼食をとる予定。進講に雅子妃がドタ出。
昼食をキャンセルして帰る。
雅子妃はまだ学習院へ顔を出していると報じられる。
7月、学習院初等科の食事会を無断でドタキャン。
8月の公務ゼロ。皇太子の鑑賞公務ばかり(自分で希望して)
9月の愛子内親王の理科教室に皇太子が付き添い。付添があったのは内親王のみ。
愛子内親王の運動会当日、侍従を校門前に並ばせて席取りするも、内親王は発熱でドタキャン。
両陛下や皇太子が公務中に運動会を優先させようとした雅子妃に批判。結果的にドタキャンで決着。しかし小町大夫は
「公務より私事を優先させても構わない」と発言。
雅子妃、雅楽鑑賞にドタ出。
ルクセンブルクでの結婚式。皇太子はプロトコルをわきまえない態度。
雅子妃は園遊会を欠席したが池田家のハロウインパーティには出席。
愛子内親王、誕生日に胃腸炎の発熱。誕生日行事をドタキャン。参内せず。
雅子妃誕生日。風岡長官の祝賀を受けず、参内も午後に。
皇太子夫妻、皇宮警察音楽隊60周年記念公演を欠席して内親王の演奏会に行く。
皇太子夫妻と秋篠宮夫妻の震災関連公務の比較は こちら
ざっとですが皇太子の今年1年の公務は
式典 → 20回
進講 → 10回
接見 → 50回
説明 → 3回
鑑賞 → 22回
会釈 → 55回
身内の行事 → 18回
静養 → 27日
雅子妃は
進講 → 1回
接見 → 4回
会釈 → 8回
鑑賞 → 3回
身内の行事 → 11回
静養 → 27日
皇太子は式典出席と外国訪問(3回)の割には説明を受けたり、進講が少なすぎます。
鑑賞公務が月2回のペース?+登山(2回)ですね。
週刊新潮 「陛下が漏らした・・・皇太子は変わってしまった
2004年、5月。皇太子の「人格否定発言。「雅子のキャリアや人格を否定するような動き」の主体は両陛下。
両陛下の「説明せよ」に雅子妃は徹底的に拒否。
紀宮が皇太子と陛下の間に立つも、皇太子が「どちらを立てていいかわからない」と発言。陛下と妻を天秤にかける発言に
紀宮は刀折れ矢尽きた。
皇太子夫妻に子供が出来ない事を憂慮した陛下。御用掛けの坂元先生がそれとなくその話題を持ち出したところ、皇太子夫妻の
不興を買い、以後会えなくなった。
陛下は「皇太子は結婚してから変わってしまった。あのような子ではなかったのに」と発言。
今年3月、東宮大夫から御用掛けに替わった野村氏と小町大夫が揃って学習院初等科を訪問。
「通常であれば、学校側とのやりとりは愛子様ご担当の東宮侍従の職分。いかに野村さんの在任中にいじめ問題が
発覚したからといって、ことはすでに解決し、数か月前からおひとりで登校。そんな時期に、新旧の東宮職トップがそろって来校
するなど、きわめて異例のことでした」
「妃殿下が11年秋まで続けてきたお付添い登下校は、いわば学習院に対するてこすりでした。「娘の学校生活を脅かして
おいてどうするつもりか」という講義とともに、戦法に落ち度を認めさせたかったのです。
今回は野村さんの方から妃殿下の現在の書簡が伝えられましたが、そこには、「私はまだ学習院を許してはおりません」
とのご意思がこめられていました」
妻は依然として他罰感情をあらわにし、夫はその制御さえできない。
呆れるばかりの内容ですが。人格否定発言について主体が陛下だと公に書かれたのは今回が初めてでは?
要するに「国民みんなが待っているからね」という陛下の言葉に怒り「私は子供を産む為に結婚したんじゃない」と
いう事ですね。じゃあ、何の為の結婚か。「皇室外交」だった・・・と。
皇室に入れば好きなだけ外国でいい思いが出来ると思ったのに。子供なんか欲しくないのに産まされた。その子供は
普通じゃなかったーー誰のせいだ。両陛下だ。恨んでやる。という事ですね。
韓国ドラマに「チャン・ヒビン」というのがありますが、推察するに雅子妃の性格はこのチャン・ヒビンそっくり。
本質はコンプレックスで、それを払しょくする為にほんの少しでも自分の気分を害した人間には「恨み」を持ち、後々まで
許さない。「入宮した限りは静かに過ごせ」と諭されても「仕返しをします」と言い切る。
「返事をしなさい」と言われるとしない。「なぜしないのか。命令をきけないのか」と言われれば「私ごときが命令をきかない
わけがないでしょう。でも・・・」と屁理屈を繰り広げる。結果的にチャン・ヒビンは専横が過ぎて毒杯を賜るのですが。
雅子妃のような人に対する対処法は・・・多分、徹底的に怒らせる事でしょう。その際、学習院のように下手に出てはいけない。
静かに理を説き、あとは好きに怒らせる。「仕返し」には毅然として応じない事。
(日本人にはわからないけど、あちらの「仕返し」とは一族を子々孫々まで殺す事です。そう考えるとこのしつこさの意味も
理解できるでしょう。学習院が私学として成り立たなくなるまでいやがらせは続くし、皇室にも同じ気持ちがあるという事)
自分の命令通りに動かない人間にはひどく怒り、ものをぶつけたり暴力をふるう事もあるでしょう。それでも意に介さないと
暴言を吐き、やがてヒステリーを起こし倒れる・・・でも病気じゃないから異常なし。恨みをどんどん増幅させていき、
最終的には自滅・・・という過程を辿らせればいいのです。
今は一々妃の言動に回りが翻弄されてその通りに動くので、彼女は面白くて仕方ないのだと思います。
妃が適応障害ではなく、本物の精神疾患だとすればなおさら、回りが翻弄されるのはおかしい行動です。
という事で宮内庁の方々はぜひ韓国ドラマを見て対処法をお勉強なさいませ。