「私、まあちゃんが心配なのよ」
ユミコは憂鬱そうに言った。
すでに荷造りは完了し、あとは身一つでアメリカに経つだけになっている。
夫が国連大使になった事は嬉しい。でも一方で「皇太子妃の父として慎むべきではないか」
との声も聞こえ、ユミコとしては少々回りの反応が心配になった。
それだけではない。
東宮御所に行く度にマサコはやつれ果て、ひどいストレスの為か首筋のアトピーがひどくなっているようだし
皇太子はそんな妻を前にどうしようも出来ない・・・といった具合だった。
元々、社交的ではない娘だった。
でも、外交官を目指していたくらいなのだから、皇室に入り、華やかな生活をおくれば色々と成長
するのではないかとの楽観的な考えもあった。
なのに、娘はますます自分の殻に閉じこもり、嫌といったら嫌・・・という態度を崩さない。
娘の言い分を信じれば
「侍従も女官も私を馬鹿にしているのよ」という事になるらしい。
「気のせいよ。何で皇太子妃を馬鹿にすることが出来るの?」と聞けば
「何でもかんでもダメダメって注意されてばかり。私が無能みたいな言い方をする」と怒り心頭。
宮中祭祀に関しても、皇后が禊の為の水をお湯に変え、エアコンを設置しても
「人前で裸になる屈辱には耐えられない」と言い張り、誰が何といおうと祭祀をやらなくなった。
回りがどんなに「禊」の意味を説明しても、全く納得する気配がない。
「それについては私もまあちゃんが可哀想だと思うのよ。誰だっていやだわ。あんな事。
そもそも神様なんているわけないのにねえ。バカバカしい事ばかりやるのよね。皇室って」
でも、娘が側近から孤立していくのを黙って見ているわけにはいかない。
だから、それとなく皇太子に「マサコは帰国子女だし、何でも理論的に考える癖があるので」と言っている。
その都度皇太子は「ええ。わかっていますよ」と言ってくれるのだが。
子供がなかなか出来ないのも原因なのかもしれないが。
「心配はない。もう手は打ってあるから」
ヒサシは書類を片付けながら、ユミコの話にはあまり耳を貸さない風だった。
「手を打つってどういう?」
「マサコが皇室に馴染めないのはマサコが悪いのではなく、皇室が悪いという論理だよ」
「まあ」
「そもそもくだらないしきたりだの伝統だのに守られているからおかしいのだ。マサコは皇室に新風を
吹き込む存在なんだから、皇室がマサコに合わせるべきだろう」
「そんな事出来るの?」
「出来るさ。皇室が一番恐れるものはマスコミ。これを利用して出来ない事はない」
「・・・・・・」
「お前は国連大使の妻としての生活を満喫すればいい。私がここまで出世するとお前の父親だって
考えてはいなかった筈だ。今やわれわれは皇太子妃の両親。アメリカへ行って「マイドーターイズプリンセス」
と堂々と言ってやろうじゃないか」
「マイドーターイズプリンセス」
ユミコはつぶやいてみた。
「私の娘は皇太子妃です」
大使館でそんな風に言えたら・・・・・ユミコは今までチッソの娘という事で受けてきた屈辱を
全て忘れられるのではないかと思った。
「マイドーターイズプリンセス」
何という響きだろう。ユミコの気持ちが少し明るくなった。
「そうよね・・・今はあなたの仕事の事だけ考えていればいいのよね」
つい先日、マサコから
「何でお父様達ばかり外国にいけるの。ずるい」と言われた事などすっかり忘れていた。
この頃になると宮内庁も皇太子夫妻のよそよそしい関係や、マサコの社会性のなさに気づき
それを覆い隠す為にさまざまな手を打つしかなかった。
まず、一つは記者会見を行わない事。
皇太子妃の誕生日や結婚記念日における記者会見を、宮内庁記者クラブは熱望してきたが
マサコ自身がそういう事を好まないうえ、直接言葉を発したら何をどういうかわからない危なさが
あり、なるべく人前に出さない方がいいのではないかとの結論に至った。
そうでなくても「一言付け加えさせて頂くなら」という不遜なセリフは今も語り草になっているのだから。
宮中晩さん会でクリンtンやエリツィンに政治的な論戦をしかけて危うい思いをした事も宮内庁の中では
苦々しい思い出になっている。
どうもマサコはその場にふさわしい言葉を紡ぎだす事が苦手のようだ。
出来れば少しでも早く懐妊してくれて、身動きがとれない状態になってくれた方が・・・と誰もが考えていた。
しかし、そんな皇太子夫妻にもとうとう中東訪問の「外国旅行」が計画されてしまい。
アキシノノミヤ家があと1か月か2か月で出産・・・・という時期に、皇太子夫妻は中東に出かけた。
その時のマサコの張り切りようと言ったらなかった。
珍しく早起きして、衣装の仮縫いにも笑顔で応じ、アラビアの砂漠を見るのが楽しみだと
旅行ガイドを持ってきて眺めたり、皇太子に積極的に話しかけたりと上機嫌。
結婚以来、皇太子はこんなマサコを見た事がなかったので、ほっとすると同時に、
そこまで外国に行きたかったのかと正直驚いてもいた。
実際、カタールの水族館で「あれ!あれ!」と皇太子の袖をひっぱりながら子供のようにはしゃぐ
マサコは皇太子にはひどくかわいらしく見えたし、これが本当の新婚旅行のような気がした程。
しかし・・・「アラブの馬を褒めてはいけない」という忠告を無視して、「あの馬、綺麗」などと
マサコが言ってしまった為に、馬が日本に送られて来た時はさすがの宮内庁も青ざめた。
中東で馬を褒めるというのは「おねだりする」と同じ意味があったからだ。
その事については、事前に何度も説明していたのに見事に無視された格好になった。
結果的に宮内庁からお叱りを受けたのは東宮職で、その理不尽なお叱りへの不満を
どこに持って行ったらいいのかわからず、女官も侍従も悶々とする羽目になった。
ともあれ、第一回目の海外訪問は、皇太子夫妻にとっては「成功」といえた。
外務省では父親の威光がるとはいえ、華やかな扱いされてこなかったマサコにとって
かつての上司や同僚を後目に外国で脚光を浴びるのは楽しくてしかたなかった。
人生の中で喜びがあるとすればこれこそ・・・と思う程に。
やがて、二度目の中東訪問が年明けに予定されている時、
アキシノノミヤ家では二番目の内親王が生まれた。