ご日程
両陛下
5月6日・・・両陛下 → 皇太子夫妻から挨拶を受ける
5月7日・・・両陛下 → 帰朝大使夫妻とお茶
天皇陛下 → 通常業務
皇后陛下 → ご養蚕(山つけ)
5月8日・・・皇后陛下 → 全国赤十字大会
両陛下 → 国宝「大神社展」鑑賞
5月9日・・・皇后陛下 → ご養蚕
天皇陛下 → 春の叙勲・拝謁・お礼言上
皇太子両殿下
4月28日ー5月3日・・・・両殿下 → オランダ即位式出席
5月6日・・・両殿下 → 両陛下に帰国の挨拶
5月7日・・・皇太子殿下 → 宮中三殿参拝
5月9日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
秋篠宮両殿下
4月26日・・・両殿下 → 宮内庁新規採用者に会釈
4月30日・・・紀子妃殿下 → 宮内庁御用掛より進講を受ける
5月8日・・・紀子妃殿下 → 全国赤十字大会出席
産経ウイークリーの方に書いてあった事ですが。
小町大夫が記者会見で話した内容だと思うんですけど。
帰国の挨拶が6日になったのは両陛下の配慮。
「両陛下は、ご帰国後すぐにでは大変であろうとお気遣いになり、3日後の6日で構わないとお伝えになっていた」
両陛下は、ご夫妻が元気におつとめを果たされ、無事にお帰りになったことを本当にお喜びになり、安堵したご様子だった。
皇后陛下はお留守番の愛子内親王に花束と手紙をプレゼント。
これ・・・本当なんでしょうか?国民がこんなに今回の訪蘭を怒っているのに、両陛下は喜んで安堵?
帰国後すぐに参内するのは大変だろうから6日でいいって?
じゃあ、秋篠宮ご夫妻が帰国後すぐに参内している事とか、悠仁殿下がお留守番している事とか・・・そういうのは
どうなんでしょう?秋篠宮家はみんな丈夫だから構わないとでも?
両陛下の真意はわかりません。でも、こういう風に報道されると「両陛下の皇太子夫妻への異常な心遣い」が
非常に腹立たしく思えてならないんですよね
「6日で構わない」とおっしゃったというのも、もしかしたら「無理してこなくていいわよーー」くらいの突き放し
だったかもしれないし、じっと黙って皇太子夫妻の報告を聞く姿が「喜んで安堵」に見えただけかもしれないし
小学6年生がお留守番している所に花束と手紙というのも、ちょっと幼稚じゃないかと思うし。
本当に心配なら「お泊りにいらっしゃい」くらいは言ったかもしれないし。
って、色々想像しても全然わからないです。
宮中三殿参拝を皇太子しかしなくていいと決めたのも、多分両陛下という事になるんでしょう。
祭祀を重視している両陛下が何でそんな事を?と思う反面、好き勝手にさせる事で両陛下に危害が及ばない
ようにしているともとれるし
どちらにせよ、国民の意識とは正反対を向いているようにしか見えません。
週刊現代 「雅子さんの選択は正しかったんだろうか」
−でも皇太子を選んだのは自分だよね
宮内庁は今回のオランダ訪問を成功と考えたが、記者達の感想は違う。
2つの行事に出席した雅子妃は寝不足と薬の副作用なのか、目がとろーんとした感じだった。
税金を使って親には会うのに、女王の晩さん会を欠席するのはいかがなものか。
香山リカ「雅子妃の結婚は失敗。彼女は皇室にヘッドハンティングされたぐらいの気持ちだったのでは?
皇太子は皇室外交をさせるという約束を果たせなかった負い目を感じているのでは」
渡辺みどり 「雅子妃は例えば雑用の女王」などと言われてケロっとしてはいられないプライドの持ち主」
元同僚 「生まれつき能力のある人と職人型といれば雅子妃は後者」
雅子妃の友人 「愛子様の報道などを見ていると、雅子妃は「自分の子供さえよければよい」と考えているようだ。
残念」
倉田真由美 「どこの家庭でも後継ぎ問題、嫁・姑問題はある。夫がどちらの味方になるかで違ってくる。
その点、雅子妃は幸せ。
紀子妃は滅私で公務をして上手にやっている。それでも雅子妃がマスコミに取り上げられる回数が
多いのは、彼女が国民に愛されている証拠」
橋本明 「雅子さんは流産した理由をマスコミがリークしたと思い込み、それ以来、心を閉ざしてしまった」
皇室関係者で元華族のBさん
「雅子さまには大使を歴任した父親の外交官気質がしみついているのでしょう。
だからプライドがたかく、何事も自分が正しいと思っていらっしゃる。
流産も回りのせいにするし・・・結婚はそもそも無理だった」
ここまで言われる皇族って歴史上初めてなのでは?
雅子妃の性格を総括すると
プライドが高く、いつも自分が正しいと思っている
自分が傷ついた原因を他人のせいにする
血の繋がった家族以外には心を開かない
感情を制御できず、ヒステリー状態になる
怒りに火が付くと突飛な行動に出る
礼儀正しくふるまう事が苦手。
この性格を生み出したのは小和田家。双子の姉妹もおおむねそんな感じと言われているし。
「小和田」というカプセルの中で家族だけでひきこもって外の世界の悪口を言い続けているというような
イメージでしょうか?
そして皇太子の性格は
弟へのコンプレックスが強い。
プライドは高い
嫌な事からは逃避しまくる
第三者的な視線で自分を見る事が出来ない
お人よしで信じやすく、甘ったれで意固地
自分に関係のない人への気遣いが出来ない
雅子妃と似ている部分がかなりありますね。似たもの夫婦なんでしょう。
皇太子のこういう性格を覆い隠していたのは浜尾さんです。
一生懸命に持ち上げて、フォローしまくって でもいつまでも浜尾さんが生きている筈もなく
その後の事を考えた事なかったんでしょうか?
自分達がいなくなった時の事を考えたら、教育方法を間違たとしか・・・・
多分、曽我侍従長が支える予定だったのかもしれませんけど、あんなに早くなくなって。
彼が亡くなってから皇太子のあれやこれやが発覚してきたような気もします。
大昔、今上の教育方針として「浩宮は将来天皇になる立場なので甘く、礼宮は次男だから厳しく」育てていると
報じられていました。その当時、「将来、厳しい立場になる浩宮には今のうちに優しくしておかないと。気楽な
礼宮は厳しく育てても大丈夫」ってな意味だったと思います
でも、深読みすれば「浩宮は元々能力がない(障害とまではいかないけど)から憐れ。礼宮は将来そんな浩宮を
支えなくてはならないから厳しく育てる」方針だったのではないかと。
どちらにせよ、両陛下にとって浩宮は「溺愛」の対象だったのかもしれません
礼宮はその分、昭和天皇や香淳皇后の覚えが目出度かった・・・と考えれば、何となくしっくりくるかなあ。
一時期、礼宮はグレかかった時もあったようですし、雅子妃風に言えば「支えという役割を強要された人格否定」
だったかもしれない。でもそれをいやしたのが紀子妃だったとするなら・・・
今の「皇太子のフォローに徹する」姿勢の秋篠宮家がわかるような気がします。
出来れば、この宮家が陽のあたる場所で、全ての努力が報われる事を願ってやみません。