本日は皇居で『歌会始の儀」が行われました。お題は「岸」
震災関連の歌が多かったですね。
天皇陛下 御製
津波来し時の岸辺は如何なりしと
見下ろす海は青く静まる
ヘリコプターで被災地を訪問した際に見た風景を詠みこんだもの。
津波が来た時と違って今の海は青く静まっている・・・・どんなに様々な事が
あっても通り過ぎれば何事もなかったようなものだ・・とも言えるでしょうか。
皇后陛下 御歌
帰り来るを立ちてまてるに季のなく
岸とふ文字を歳時記に見ず
歳時記に「岸」という文字がないように、帰って来ない人を待つ気持ちに
時間や季節は関係ないのだ・・・というここ数年でも多分名作中の名作に入る
一首。陛下、お見事でございます。
無論、これは被災者遺族の事を詠ったものですが、一方で戦後、様々なそういう
立場の方を思っているのですが。
一方で、一向に自分の所に戻らない息子を待ち続ける母の気持ちでしょうか?
皇太子殿下
朝まだき十和田の湖岸におりたてば
はるかに黒き八甲田見ゆ
中学3年の修学旅行で訪れた十和田湖の風景を詠みました・・って何で今
そんな昔の事 いい思い出はそんな過去の話? 過去から抜けられない
皇太子の姿が浮かんで来ますが、十和田湖から発行だは黒くは見えないそうで。
なにやら不吉な歌と呼ばれております。
皇太子妃殿下
春あさき林歩めば仁田沼の
岸辺に群れてみづばせう咲く
夫が「湖」を読めば妻は「沼」を詠む・・似たもの夫婦ですが、これは平成8年に
福島の土湯に私的旅行をした際にハイキングした情景を詠ったもの。
そんな昔の風景しか思い浮かばないとは夫婦して時間がストップしてるのか?
さらに「春あさき」は春の季語で「みずばせう」は夏の季語だそうで、要するに
春あさき頃にみずばせうは咲かないのです ぶっちゃけ適当に言葉をいれた
印象。それも夫婦で「お遊び」の歌
秋篠宮殿下
湧水の戻りし川の岸辺より
魚影を見つつ人ら嬉しむ
震災で枯渇した川に淡水魚のイトヨが戻ってきて人々の顔に笑顔が戻ったと。
震災という大きな災害に見舞われつつも小さな所から「復興」が始まっているとの
希望の歌ですね。
紀子妃殿下
難き日々の思ひわかちて沿岸と
内陸の人らたづさへ生くる
被災地で出合った様々なボランティアの人達が力を合わせて仕事に
取り組んでいる姿を詠んでいます。海側の人も陸側の人も一緒に。
眞子内親王殿下
人々の思ひ託されし遷宮の
大木岸にたどり着きけり
初の歌会始めは内親王らしく伊勢神宮に関する歌。眞子様は秋篠宮殿下と
式年遷宮の行事に参加。神官たちと一緒に大木を曳きました。人々の様々な思い
や願いをこめて大木が川を渡って岸にたどり着く・・大木=悠仁親王で
しっかりお見守りするという思いがこめられている・・・かな?
皇族代表 華子妃殿下
被災地の復興願ひ東北の
岸べに花火はじまらむとす
被災地である青森を訪問した時を詠まれた歌。青森といえば華子妃のご実家
津軽家がある所。思いもひとしおだったでしょうね。
ふぶきが選んだ選歌
大阪 伊藤可奈
岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君が見えない
最年少の可奈さんは奄美大島のおじいちゃんおばあちゃんにあった時の事を
詠みました。別れの妃に手を振り返すけど夕日で顔が見えない・・「君」というのは
おじいちゃんやおばあちゃんなんですね。今度はいつ会えるのだろうという思いが
こめられています。
福島 澤辺裕栄子
巻き戻すことのできない現実がずっしり重き海岸通り
東北からただ一人選ばれた方です。一目瞭然ずっしりとした歌ですね。
来年のお題は「立」だそうです。