ノリノミヤの結婚話がまたもダメになってしまった事に、天皇も皇后もいたく失望していた。
確かにノリノミヤは美人ではないし、才気煥発というわけでもない。
けれど、親孝行で優しく、非常に頭のよい娘である。何よりも天皇の娘なのだ。
どんな名家にだって嫁げる資格を持っているし、夫となる人間は光栄と思うだろう。
それなのに、ことごとく断られてしまうのだ。
みな一斉に「とても内親王殿下をお迎えできるような家ではございません」と言い出す。
五摂家ですらそんな言い方をする。
なぜ?
これはある種の報いなのだろうか・・・・とは思いたくなかった。
皇太子は皇太后の実家に連なる娘と見合いをした。彼女は東大を出て医学部を目指す
非常に優秀な娘だった。また旧皇族の娘であるので、しつけや礼儀も完璧。
聡明な彼女は皇太子との縁組を「運命」と思い、受け入れる気持ちでいた。
しかし、そんな彼女を皇太子は無下に断ってしまったのだ。
ただ一つの欠点、彼女は美人ではなかった・・・・という一点において。
あの時、自分の息子がそんなに相手の容姿に拘る方だとは思っていなかったから
意外だったのだが、それだけオワダマサコへの執着が強かったのだろう。
けれど、断り方が問題だった。
あの時は大方決まりかけていた時に、再度マサコの登場となってしまったから。
多分、その後は旧皇族・旧華族連中に皇太子の「断り」のうわさがとんだ事だろう。
それについて、反応は目に見えている。
「民間妃の息子のくせに、旧宮家の姫を断るなんて何様なのか」に違いない。
自分達が提唱してきたリベラルな考え方、「個人主義」「自由恋愛」等は今の時代、当たり前になっている。
なのに、いまだ彼らは自分がミチコを妻に迎えた事を許してはいないのか。
皇太子の結婚がことごとく遅れた事、ノリノミヤの結婚が決まらない事・・・全てが連動しているように見える。
でも、天皇としてはそれを認めるわけにはいかなかった。
自分達が結婚した事は間違っていない。
自分達が民主主義憲法下でやってきたことも。
旧皇族・旧華族らの何と意固地な事か。 時代が動いているのがわからないのだろうか。
今の天皇にとって唯一の慰めは、アキシノノミヤ家の孫達だけだった。
昔は色々問題児扱いされていたアヤノミヤが、結婚後はすっかり模範的な皇族になっている。
若いうちに悩んだ方が、いずれ成長するという見本のようなもの。
そういう意味では自分達は皇太子を甘やかしてきたのかもしれない。
自分達の心の中に「不憫」という二文字がなかったといえばうそになる。
元々が「共感する」という気持ちに乏しいヒロノミヤは、時々人を傷つける事を平気で言うし、
どことなく独りよがりの部分もあった。
それを正そうと皇后は心を砕き、細かすぎる程の育児法を側近に伝え、それが「ナルちゃん憲法」と呼ばれた。
あの「ナルちゃん憲法」は今思えば皇后の不安の裏返しだった。
最初の子で世継ぎだったからというだけでなく・・・・・
今、皇太子に子供が出来ないのも、一つの運命なのだろうか。
マコが卒園の挨拶に両親と参内してきたのは、3月。
「卒園おめでとう」
天皇も皇后も相好を崩す。
マコはにこにこ笑って「ありがとうございましゅ」と答えた。
きちんとお辞儀も出来る。ちらちらと大好きなノリノミヤに目配せしながらもちゃんと挨拶をするのだ。
「小学校に入ったらお友達が増えるわね」
皇后が優しく声をかけるとマコはぴょんぴょん飛び跳ねて「お友達沢山いるわよ、おばあさま」と言った。
「さあ、ねえねと遊びましょう」
ノリノミヤはマコの手をとって別室に入っていく。
その様子を天皇は何とも言えない表情で見送った。
「ノリノミヤにもあれくらいの子がいてもいいのになあ」
「陛下」
皇后も頭を下げる。娘が可哀想で仕方なかったのだ。
断られた話を知っているアキシノノミヤ夫妻も黙っていた。
「誰かいないかな。旧皇族や旧華族でなくてもいいのだがね」
宮は「私が主催している「さんまの会」に顔を出すように言っているのですが、なかなか足が向かないようです」
「宮様は奥ゆかしい方ですので、男性と気軽にお付き合いをするというタイプではございませんし」
キコの言葉に皇后はため息をついた。
「一昔前なら、それは美徳だったのに」
「もう一度、騙してでもテニスに誘いますよ。友人達にもあたりましょう」
「うん・・・」
天皇はそれでも顔を曇らせる。
「まだ何かお悩みなのですか?」
「東宮家の事だよ。未だ懐妊のきざしすらない。医師を差し向ければ突き返し無視し、退官へと追い込む。
どうせマサコがそのように仕向けているのだろう。なぜそこまで拒むか私にはわからない。
引きずられている皇太子も全く理解できない」
半分怒りを抑えているような口調に宮夫妻は黙り込む。
「このままでは皇統は絶える。その事の重要性をあれらはわかっていないのだ」
「陛下、私が東宮妃に直接話をしますから」
皇后がなだめた。
「不妊治療やそれに関わる問題は女性にとっては非常にデリケートですわ。だからもう少しお時間を」
「時間がない」
天皇は言った。
「マサコは34歳になったのだよ。一日一日が絶望への日々の始まりだ。しかし、こちらのノリノミヤもまだ
結婚していない。それを逆手にとって見下すような言い方をするのだ。本当はノリノミヤの結婚こそ早く決めて
子供の一人でも生まれれば、もっと大きな顔が出来るのだろうが。お前達にも苦労をかけて」
「もう少し我慢して下さい。きっと近いうちに東宮家に子供が生まれたら、そしたらきっと三番目も」
「陛下。東宮家にお世継ぎが生まれれば別に私達は構わないのです。しかしながら、アキシノノミヤとしても
後を継ぐ者が必要です。キコも十分にそれはわかっているのです」
「その通りだ。しかし、カコを懐妊した時のタカマドノミヤや東宮側近からの嫌がらせや雑誌のバッシングをみたろう。
あれをもう一度という気には」
「私は耐えられます。陛下」
「私達が耐えられないのだ。 もう歳なのだな。結婚して以来、私達は多多かい続けてきた。さまざまなものと。
どんなに風に言われようと、批判されようとも貫いてきたものがある。しかし、今の状態では・・」
気が弱くなっているのだな。と、宮夫妻は思った。
両親が年老いて行くのを見るのはつらい。
けれど、普通はもっと穏やかにそれを見守る筈なのに。
「内奏があって。世継ぎの話になった。今年中に何とかならなければ強制的にでも不妊治療を始めようと。
政府もそれには賛成してくれたが。肝心の皇太子夫妻が乗り気ではない。とにかく嫌だ嫌だの連続で。
だから、つい、最終的にどうにもならなくなったら「マコがいる」と言ってしまった」
「マコ?マコですか?」
叫んだのはキコだった。男系男子が後を継ぐのが皇室の伝統。それで2000年の歴史を守ってきた。
女帝は何人も出ているが、全員、未亡人か独身を通している。いわゆる女帝は立っても女系天皇は
存在した事がないのだ。
今、マコを女帝にしたとすれば、彼女は当然の事ながら一生独身を通さなければならない。
「そんな・・・・」
「いや、無論、一生独身でいろとはいえない」
天皇はキコの不安を察したように続けた。
「マコにはしかるべき配偶者を立てて結婚させる。その子供が世継ぎとなる」
「それでは女系を認めるとおっしゃるのですか?」
今度は宮が声を荒げた。そんなつもりはなかったが、父親である天皇がそこまで追い詰められている事に
ショックを受けたのだ。
皇室2000年の歴史を変えようとするなど・・・・恐ろしくて口にもできないものを。
「ヒタチ・チチブ・タカマツの3宮家は絶家。ミカサノミヤ家はトモヒト家にもカツラノミヤにもタカマドノミヤ家にも男子はいない。
いずれ絶家となる。つまり近い将来、宮家はアキシノノミヤだけになるのだ」
「それはわかっております」
だったらなぜ自分達に産児制限をかけるのだ?もしかしてまた女児だったらと・・・失望したくないと?
「旧宮家復帰の話もあるが、現実的ではないと政府は言うのだ」
「女帝を立て、配偶者を持つ事も現実的ではありません」
「マコが旧宮家の男子と結婚すれば男系は保たれる。ノリノミヤも同じだ」
政略結婚・・・かつて、メイジの帝がどうしたように、内親王を宮家の次男なり三男に嫁がせて宮家を創設し
いざという時に備えた話だ。
当時、体の弱い皇太子を抱えた帝は、政府が宮家を減らそうという動きを察しながら、ほぼ強引に宮家を
作った。それがタケダ・キタシラカワ・アサカ・ヒガシクニの4宮家だった。
先帝の長女であるテルノミヤはヒガシクニノミヤ妃となり、男系男子を得た。
しかし、今の時代にそんな政略結婚が許されるものだろうか。
マコはもうすぐ21世紀になろうとしている日本で生きているのだ。どんなに従順な娘でも
親の言う通りに旧宮家との縁組が出来るだろうか。
いや、そういう話であるならノリノミヤの結婚はとっくに決まっていた筈だ。
だが、実際はどうだ?旧宮家も絶家になっている家が多く、適当な男子がいないという現実。
また、そんな話があっても決まらないのが現実だ。
戦後の動乱期の中で身分を奪われ、特権を廃され、艱難辛苦を乗り越えた旧宮家・旧皇族。
彼らのプライドの源は「皇室の藩屏」である事だった。
彼らとてGHQの措置が永遠になるとは思っていなかったに違いない。
今上・・当時の皇太子が結婚する時には・・・・と希望を持っていた筈。
それなのに、よりによって民間から、聖心女子大から皇太子妃を迎えた。
あの時の驚きと怒りは今もって旧宮家・旧華族を支配し続けている。
アキシノノミヤ家はそれを知りつつも、上手に彼らと付き合ってきた。彼らが宮家に優しいのは
キコの出自が和歌山の名士である学者一家であり、学習院育ちだったから。
そして亡きチチブノミヤ妃が大層可愛がっていたからだ。
今上は新しい皇室を作りたかったのだ。
旧家に頼らない、新しい天皇家を。
それなのに、東宮家が引き起こした問題で、さらに旧家とのつながりを求められるとは。
「まあ、カマクラには叱られてしまったが。私の気持ちは変わらないよ」
天皇は険しい顔でそういった。
ノリノミヤの部屋からは笑い声が聞こえている。
どうやら人形を使って遊んでいるらしい。ノリノミヤの部屋には沢山のアニメのビデオもあり
子供には楽しい部屋なのだ。
天皇家の長女と、宮家の長女。
二人をとりまく運命はどこまでも厳しいものだった。
「二人が・・・可哀そうで」
キコの頬を涙がつたった。部屋の無邪気な笑い声がなお一層胸に響いて涙が止まらないのだ。
「何でも耐えると言ったろ」
「私自身の事なら何でも耐えられます。でも」
「わかるよ」
宮はそっとキコを抱きしめた。
「何があっても、あの二人を守ろう。幸せな人生を送れるように」
宮の指が涙をぬぐった。キコは慌てて目をしばたたかせ、にっこりと笑った。