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皇太子夫妻の20年4

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 小和田恒の支配

皇太子はおそらく結婚してすぐに「この結婚は失敗だった」と気付いたでしょうね。

なんせ、妃は数か月後には朝から起きてこなくなり、自分の友人達を次々遠ざけ、東宮職職員を高圧的に

抑え付け、あっという間に東宮御所を伏魔殿にしてしまったのですから。

その一端をになったのは小和田家。

結婚直後から母親が東宮御所に度々顔を出していた事、小和田夫妻は突然やってくる事が多かったことなどが

いい例です。

職員を外務省出身者で固め、とにかく「結婚してやった」気になっている娘の機嫌を取り結ぶ為に涙ぐましい

努力をした筈です。

間違いだったのは回りが多少なりとも雅子妃に同情してしまった事です。

「ハーバード大卒(もうしつこい・・・)のキャリア官僚出身の優秀なお嬢様がこんな窮屈な皇室に入ってくれて

申し訳ない。可哀想」

本来、皇室に入る事は一族の名誉で頭を下げるのは妃側です。

にも関わらず雅子妃入内の瞬間から、皇室は「入って貰った」場所になってしまいました。

何で皇室がそこまで自らを卑下するような印象を与える結果になったのか。

それはやはり、両陛下自身が「皇族として生活させて頂いている」という気持ちをお持ちだったからではないかと。

神に仕え、国民の為に祈り、粛々と神事を司る事は皇族の義務であると同時に、これこそが特権である筈なのに

心のどこかに「時代遅れの・・・」とついていたのかも。

「無私」「無欲」「清貧」は皇族なら当たり前の事であるし、決して「自由」をうらやむことなどない筈です。

が、皇太子の心の中に「こんな旧弊で窮屈で自由のない場所に入ってきてくれた」という負い目があったら。

そんな皇太子の気持ちを察して皇室のしきたりに馴染もうとする妃ではなかった事が不幸でした。

むしろ、そんな弱みを利用して「入内してやった」「結婚してやった」と高飛車に出たのではないか、それに対して

民主主義下の皇室は、「間違っているのはそっちだ」と言えなかった。

むしろ「そういう考え方もあるかもしれない・・・けれど・・・」的な言い方しかできない。

勧善懲悪が逸らず、「善も悪も勝者の論理、見る側によって違ってくる。ゆえに簡単にはさばけない」

という価値観が広がりました。

現代におけるモラルハザード・・・・政治、教育、家庭問題における問題はこんな価値観が広がった事にあります。

それが皇室にすら入り込んでしまったという事ではないかと。

 

雅子妃がこの世でもっとも恐れているもの、それは「父親」だと思います。

生まれた時からありのままの自分を受け入れてもらった事のない雅子妃は、

いつ両親・・・とりわけ父親の愛情を失うかと戦々恐々の日々を過ごして来たのだと思います。

小和田家の中で恒氏こそが支配者であり、全ての倫理の柱だったとしたら、

妻も娘たちもその意向に逆らうわけにはいかないし、彼に気に入られないと生活できない。

そういう家庭の中で、愛される為には常に自分を大きく見せる必要性があったのでしょう。

そして、それを手助けした「父親」

娘に実力以上の肩書を与え、プライドを植えつけてしまった。それをかさに「俺がいなくては何も出来ない娘」

に対して無理難題を言う・・一種の精神的な虐待ですね。

少し「ごゆっくりさん」だった雅子妃は「長女」としての責任を押し付けられ、頭がよくなければいけない、成績が

よくなければ学歴がよくなければ、外務省に入らなければ・・・とそれはもうプレッシャーの連続だったでしょう。

でもその引き換えに高飛車に出ても誰も怒らないし、失敗しても尻拭いしてくれる。

こんな生温かな環境から抜け出せなくなっているんです。

 

結婚し、普通なら自立するべき所、小和田恒の支配は皇太子にまで及んでいきます。

高圧的に振る舞われた事のない皇太子は、多分一瞬で屈服し魅せられてしまったでしょう。

自分を省みず、本質を見極めず、メッキだらけで皇室入りした女性は、すぐに本性を見抜かれ

自分ではどうにもならなくなってしまいます。

 

 離婚のチャンスはいつだったか

1回目は2000年の香淳皇后の葬儀を欠席した時だったと思います。

今頃になって出てきたネタですが、当時「風邪のようなもの」で欠席した理由は

「皇后からの叱責」だったと言い始めています。

多分、叱られた事のない子にとっては「アドバイス」すら「叱責」に聞こえたでしょうし、赤の他人

(皇后ですけど)から自分に指図するなんて信じられなかったのでは?

ここで皇后に屈服したら一生、皇后より下にいなくてはならない

小和田側はそう考えたでしょう。それゆえ、尋常ではない「葬儀欠席」というテロ行為を行ったのです。

私はこの影には、皇太后の死に皇后より先にかけつけた小和田恒氏についての、宮内庁からの

苦情もあったと思います。

プライドを大いに傷つけらた小和田家はこうやって復讐を果たしたのです。

それならそこで「そんな妃はいらない」と離婚すべきでした

 

2回目は「軽井沢籠城」の時。

結婚後も小和田恒氏の支配は続いていたとはいえ、小和田家にいた頃とはさすがに違う。

ここで雅子妃の心の中に多少の自我が芽生えたのではないかと思います。

とはいえっても、普通は自分の器の小ささに気づいて落ち込み、そこから何等かの妥協をし

自分の行くべき道を模索していくのが自我の発達です。

しかし、雅子妃は甘やかされて育ち、自立の訓練を受けていません。

そこに自我が芽生えても、それが前向きに働かず、回りを攻撃し否定する事で自分を保とうとした。

妊娠や出産に積極的でなかった雅子妃がそれでも不妊治療を行った背景には、それを望んだのが

皇室だけではなく父親である小和田恒氏だったからという理由もあると思います。

彼女的には子供さえ産めば、認めて貰える、支配から逃れられると思ったのかも。

でも、生まれたのは内親王でした。

その時の挫折感は察するにあまりあります。

「次は男子を」と宮内庁が言ったと伝えられていますが、本当にそういったのは父親では?と思います。

なんせ小和田家としては親王が天皇になってこそ家が「外戚」になるのですから。

 

最初はおもちゃのように可愛がっていた内親王が実は発達障害である事を知った時、雅子妃の中で

何かが壊れたのではないかと思います。

それがいわゆる「人格否定発言」であり、その後の軽井沢籠城につながったと思います。

あの時の否定発言の矛先は両陛下ではなく、実は小和田恒氏だったのではないかと。

結婚したいわけじゃなかった。子供を産みたいわけじゃなかった。でも結婚してあげた。産んであげた。

だけど女の子だった。誰よりも優秀で学歴の高い自分の子供が、実は障害者である事は許せない事実。

こうなったのは誰のせい?

皇太子の血筋?いや、そんなのと結婚をさせた父親のせい・・・・離婚したい。もう何もかもいやだと思ったでしょうね。

反抗期がここから始まったのです。

でも、一人では何も出来ない雅子妃ですから、結果的には父親の説得に負けて東宮御所に帰って来てしまいます。

その後のディズニーランド貸切だのレストラン豪遊だの・・・は、全てが父親への嫌がらせというか権力誇示というか

「自分にはこんな事が出来るのよ」と示していたのではないかと。

 

皇太子はなぜ離婚を選ばなかったのか。

それは「愛」ではなく、「プライド」ではないかと思います。

彼は自分がどんなに恵まれ、愛されて育ったか自覚していません。

彼の中にはハンサムで人気者の弟や成績がよく性格がいい妹が常に自分と両親の間に

立ちはだかっているような気がしていた事でしょう。

弟が先に結婚した時の気持ち、そんな弟一家と妹が親しくしている・・・そんな微笑ましい家族像をみるにつけ

自分もまたそれ以上の家庭を築かなければならないと思ったでしょう。

それがなぜ「学歴重視」になってしまったか。

血筋や家柄なら川嶋家より上の家は沢山あったでしょうし、もっと若い人にターゲットを絞っても

よかった。なのになぜか学歴という所が母の後ろ姿を見てきた結果なんでしょうね。

3回目は今。

雅子妃は父親への対抗手段として夫を選びました。

夫を徹底的に従え、支配下に置く事で父親へ仕返しをしているのです。

皇太子はストックホルム症候群となり、しっかり取り込まれてしまいました。

 

雅子妃は元々統合失調症などの因子を持っていたのかもしれませんね。

それが愛子内親王出産の挫折体験で、次第に悪化していったのではないかと。

それでも自分が認められたい。いい娘になれなかった、いい妻になる気もない、

ゆえにいい母を演出するしかない。

それが愛子内親王への異常な執着であり、たびたび自分の都合で病気にしたりして

「看病」を強調する代理ミュンヒハウンゼン症候群です。

さらに、愛子内親王が小さい頃はよくお揃いの服を着てましたね。お揃いの髪型も。

皇太子の娘への愛は本物でしょうから、自分もまた子供に返ってきちんと愛されたいという意識の

現れだったのかも。

雅子妃の「退化」現象は続いています。

どんなに反抗しても父親はびくともせず、今回のオランダ行きも自らセッティングしてしまいました。

オランダまで追いかけて来ました。どう頑張っても父親の支配から抜け出せない娘の行く先は

「閉じこもり」「ひきこもり」ではありませんか?

 

恐ろしいのはそんな小和田恒氏の支配が皇室全体に及んでいる事です。

皇室、とりわけ宮内庁が無意識に取り込まれて支配されている現状では

客観的に処理する事が出来ません。じゃあ、

齢80の小和田氏が何年生きるかわかりませんけど、死んでからは遅いのです。

今、それをやらなければ。 

現実として皇太子の記者会見文は小和田家が書いてますよね?

絶対に本人の文章ではない。政治的な言葉がちりばめられ、思想的にハンディキャップ論を

植えつけられているのではないか。

やがて即位の暁に中国や韓国から招待があれば、自ら喜んで行きそうな気配。

そこに「国益を守る」天皇の姿はありません。

 

いつか「まだ海外海外言ってたうちが華だったかも」なんて事にならないようにしないと。

皇太子夫妻の20年はゆるやかな皇室解体と日本のモラルハザードだった。

いつか皇太子が天皇になり、雅子妃が皇后となった時、日本はプライドを失い、国民である事も

許されない事態になっているかもしれません。

  


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