ご日程
両陛下
5月31日・・・両陛下 → 武蔵野陵・武蔵野東陵参拝
羽村郷土博物館見学
天皇陛下 → 通常業務
6月1日・・・両陛下 → 第2回野口英世アフリカ賞授賞式及び記念晩餐会出席
6月2日・・・両陛下→ 在インド大使帰国につき昼食
6月3日・・・両陛下 → 第5回アフリカ開発会議出席の各国首脳夫妻らとお茶
地方行啓について説明を受ける
6月4日・・・両陛下 → フランス大統領来日について説明を受ける
第11回世界生物学的精神医学会国際会議について説明を受ける
天皇陛下 → 通常業務
6月5日・・・両陛下 → 外務省総合外交政策局長から進講を受ける
勤労奉仕団に会釈
皇太子殿下
5月31日・・・青年海外協力隊に会う
両殿下 → 復興推進委員会委員長から進講を受ける
6月3日・・・第5回アフリカ開発会議に出席する各国首脳夫妻らとのお茶に陪席
6月4日・・・フランス大統領来日について説明を受ける・・・に陪席
勤労奉仕団に会釈
水と災害ハイレベル・パネル」第1回会合出席者に会う
6月5日・・・武蔵野陵・武蔵野東陵に参拝
ユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ合奏団鑑賞
6月6日・・・故?仁親王喪儀 権舎一周年祭の儀(?仁親王邸)
スペイン訪問につき記者会見
両殿下 → 故?仁親王喪儀 墓所一周年祭の儀(豊島岡墓地)
またマスコミは「雅子妃は進講に出て?仁親王殿下の喪儀に出たから意欲的に公務をしている」と報じるのでしょうが
復興推進…系の進講は「被災者に心を寄せている」事のアリバイ作りだし、?仁親王の喪儀はカメラが入る
墓地のみ出てきている。どこまで計算高いのかとあきれてしまいます。
皇室外交したいのなら国賓や公賓をきちんと迎える事からしなくてはならないのでは?
自分は外国に行くくせに、あちらからきても顔も見せないという行為がどれほど礼儀知らずで恥ずかしいものか。
そのような事を許している宮内庁と両陛下が許せなくなってきました。
週刊誌によると6月1日は学習院の授業参観があり、またも「夫婦」で参観したらしいです。
平日の真昼間に夫婦で授業参観に行く皇族というのも珍しいというか、暇だと言っているようなものです。
しかも雅子妃はママ友を集めて修学旅行前の情報収集に努めたといいます。まあ、なんて努力家で勉強家で
いらっしゃる。その情熱をなぜ公務に向ける事が出来ないのでしょうか。
皇太子はアフリカ関係のお茶と、フランス大統領の説明に陪席。お茶はともかく説明は単独で・・・ではなく
陪席という事は二度手間を省いたのか、そうでもしないと勉強しないのかって感じですね。
?仁親王1年忌
6月6日。故?仁親王殿下の1年祭が親王邸と豊岡墓地で営まれた。
宮内庁は今後、?仁親王家の2女王を三笠宮家に一つにし、当主を定めない方向にすると発表。
1年祭にあたり、信子妃殿下が書簡を発表
?仁親王の死後、「?仁親王家」の長を決めなければならず、本来は信子妃がその任を負う筈が
病気の為&娘たちとの確執の深さゆえにそれが出来ず。
結果的に三笠宮家に吸収されるという事になりました。
そもそも?仁親王は三笠宮家を継ぐ立場だったのですから、当然といえば当然ですが、「親王家の長女」から
「大殿下の孫」になった彬子・瑤子女王、少しは楽になったかしら?
住む場所が変わったりするわけではないので、これからはお二人とも自分らしく皇族として生きて行かれるのでは?
そしていずれ「降嫁」を視野に入れているのでしょうね。
逆に言えば外戚である麻生家と距離を置くという事ですよね。お可哀想な信子さま。
信子妃の書簡は宮内庁を通さずに直接記者に送られたようです。
「宮様をお偲び申しあげております」と始まり「 これからは、療養の経験を人生の糧と感謝し両陛下の御意向のもと、
微力ながら(東日本大震災被災地の)復興支援などに尽力させていただきたく存じます」としめている。
妃殿下は現在宮内庁の分庁舎ぶお住まい。2女王殿下はお母様と会わないのでしょうか?
どんな事情があるか知りませんが、2女王のお母様に対するお振舞はいかがなものかと。
私達は信子妃が?仁親王に16歳で見初められ「沢山の女性と付き合ってきたけど」なんて記者会見で言われた
事をしっているし、殿下がガンになられた時も献身的に看病してお料理も工夫されていた・・・という事も
知っています。それなのに、どういうボタンの掛け違いか、夫婦仲が悪化・・・それは仕方ないとしても
女王殿下方にとって信子妃は紛れもなく母君であるわけで。
娘として孝養を尽くすのは当然のことではないかと思うのですが。
黒田清子さん、宮中晩さん会に出席
6月7日のフランス大統領の歓迎晩さん会に黒田清子さんが招待されている事を発表
1997年にフランス訪問しての縁
元皇族がこのような形で晩さん会に出席するのは初めて。
小説にも書きましたが、1997年のフランス訪問に関して、本当は皇太子夫妻が行きたかった事は
事実のようですね。でも「世継ぎ」優先という事で紀宮さまに決まった。
その時の恨みは今も忘れていないのでは?
ましてこのような「例外」で再び脚光を浴びる清子様に、雅子妃は何を思うでしょう。
女性宮家でなくても、皇位継承権がなくても、内親王は内親王の役割があり、それをきちんと果たしていれば
国民にとって大切な「私達のサーヤ」になるし、それが国益にかなうのです。
眞子・佳子内親王も「私達の」という日が来るでしょうね。叔母様を見習って頑張って頂きたい。