あれから19年ですか。黙祷。
という事は、某妃が中東へ行ってお菓子を食べて大笑いしてから19年という事で?
まだそのころの「楽しい思い出」にひたって「あの夢よもう一度」と思っているのですね。
私達は忘れたくても忘れられず、心の傷になっているというのにね。
「明日、ママがいない」に放送中止要請
熊本慈恵医大病院「赤ちゃんポスト」を設置している病院の訴え。
芦田愛菜演じる「ポスト」命名の由来が「赤ちゃんポスト」である事から
「預けられた子どもを傷つけ、精神的な虐待、人権侵害になる」と訴え。
養護施設の子どもや職員への誤解偏見を与え、人権侵害だ」として、放送中止を申し入れる。
養護施設の描写にも「職員が子どもに暴言を吐き、
泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」
それに対し、日テレの答えは
ドラマは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、
子どもたちの視点から『愛情とは何か』を描くという趣旨のもと、
子どもたちを愛する方々の思いも真摯に描いていきたい」
第2回以降も予定通り放送を続けるとし「ぜひ最後までご覧いただきたいと思います」
正直、あの程度で「人権侵害」とか言われると、日本のドラマは何もかも成り立たなくなるのではないかと
思います。熊本慈恵医大病院としては「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)のイメージが悪くなって
預ける人がいなくなったり、あるいはそういう事をしている事に対する批判を恐れているのだと思いますが、
全国にいる「事情があって赤ちゃんを育てられない親」達にとっては「そういうものもあるのか」と一つの
救いになるとは思えませんか。
芦田愛菜が「ポスト」とあだ名がついたのは「赤ちゃんポスト」に入れられていたから。
DAIGOは「コインロッカー」に入れられてた赤ちゃんだったそうです。
ゆえに「ポスト」は「私達はママの顔を見た事がない。それ以上の不幸があるか」というのです。
その通りじゃないですか?
「赤ちゃんポスト」に入れられたからって、全員が養子に出されるわけではないでしょう。
それらの子に罪がありますか?悪いのは誰ですか?大人ではありませんか?
むしろ、その「大人」というものを子供目線で描く事こそが大事なのではないでしょうか。
赤ちゃんポストもコインロッカーベイビーズも実際にある事で、私達は目をそむけられない。
そういう時、捨てた親にばかり目線がいくけど、捨てられた子供がその後どうなるか・・・までは
あるいは、その子がどんな感情を持って生きていくか・・・なんて事までは考えが及ばないものです。
去年、放送された「赤ちゃんポスト」ドラマで、ラストに、赤ちゃんポストの子を引き取った両親が
子どもに「お前は養子なんだ」と告白するシーンがありました。子供は色々考えて最後に
「ありがとう」と病院に言います。
でも、あのシーンを見た時、私はそんな単純に思える事じゃないだろうと感じました。
「命を救ってくれてありがとう」と思えるのは、その子がもっと大きくなって、色々な負の感情を乗り越えた
その時だと。
5歳や6歳で両親が実の親ではない・・・・と言われた時の気持ち、全然わかってないよなーーと思ったものです。
子どもというのは、どんなに冷たくされても「親」が好き。
子供というのは、どんなにいたれりつくせりされても「施設」に最高の愛を感じない。
職員達も、そのむなしさと戦いながら日々、子供達の面倒を見ているのではないかと思うんですよね。
常に捨てた親に怒り、何で・・・もう二度とそんな事するな・・・と思いながら。
「明日、ママがいない」程度で「人権侵害」と言っていたら、韓国ドラマやアメリカのドラマは放送禁止にしないと
いけません。でもしないでしょう?それは「あちらの文化だから」とでもいうのでしょうか?
今、WOWOWで放送中の「天まで届け、この思い」は二つの家に養女に出された娘たちの話。
片方は庶民の家。でも時折、おばあちゃんに「この子を養子にしたから家が傾いた」と苛められる。
もう片方はお金持ちの家。娘は育ての母に嫌われまいと必死。素性も隠し通そうとする。
一方、育ての母は、娘が実はポルノ女優の子だと知って驚き、ますます実の子を探したいと思い・・・・・・
娘が好きな幼馴染の家では、「あの子は養女だから嫁には出来ない」と母が大反対。
こんなドラマ、「明日、ママがいない」以上の偏見と人権侵害だと思いませんか?
アメリカのドラマに「堕ちた弁護士ニック・フォーリン」というのがあり、そこでは、養子縁組を取り持つ
パーティで必死に自分を売り込むけなげな少年が出てきます。
NHKで「アメリカは養子が多く、日本は少ない」と放送したそうですが、確かに多いけど、でもそれは
「養子をとると国から養育費が貰える」事情もあるようです。
ドラマの中でアンジェリーナとブラピの子供になりたい!と願う少女が出てきますが、アンジーの所にも
アジア系の養子が一人いましたね。でも実子の双子の方が注目されてしまう。
いつもあの人達が来日する度に思う事ですが、「養子達の気持ちを考えた事あるのかな」という事です。
まして人種が違う、いかにもな養子達を引き取った夫婦が単に「心が広い」と言われるのは変じゃないですか?
「グレイズ・アナトミー」でもメレディスが養子にしたのは、黒人のHIV感染者の赤ちゃんです。
でも、メレディスは高齢ながら初の妊娠・・・どうなるの?って感じです。
「ブラザー&シスターズ」でも、ゲイカップルが12歳の黒人の娘を養女にしたり、ゲイの片割れの姉もまた
出産前に契約して子供を養子に取りました。
結婚・離婚を繰り返すアメリカの人達にとって大切なのは「心の繋がり」で「血の繋がり」ではないというのは
あると思うけど、でも子供達側からすると非常に複雑なのではないかと。
高校生の頃、ティモシーハットン主演の「ロングウエイホーム」という映画を二度見ました。
親から虐待を受けて育った兄弟がばらばらに養子に出されて、その長男が養父母と距離を置きつつ
弟や妹を探す・・・という実話からとった話です。
この映画を見たいと言った時、母は何も言わずにチケット代をくれましたけど、内心どうだったかなと思います。
幸いにして、私は冷静に見る事が出来たし・・・何ていうか、自分が養父母に対して「他人」感覚が
一切なかった事に気づかされたわけで。そういう意味では私は幸せな子なのかもしれませんね。
話がそれましたが「明日、ママがいない」の中で三上博史演じる施設長が「泣いて同情をひけ」とか
養子になる為のノウハウを叩き込んでいくシーン・・ここにも病院は「人権侵害」といい、誤解を招くと言いますが
私はむしろ、親切な施設長だと思います。
引き取る側の身勝手な条件・・・・出来れば小さくて、何もわからないうちに。可愛い、賢い子がいい・・という
ものを逆手にとっているんですから。
まさか熊本慈恵医大病院だって養父母たちが「誰でもいいから子供が欲しい」と言ってるとは思わない筈。
「健康で見目よく賢く聞き分けがいい子」が最も理想の筈。
でも自我を持つ小学生になると、養子先は少なくなる。それは万国共通。ゆえに「作戦」を練る。
日本ではありえないような設定だけど、深層心理では十分にあり得る話だからこそドラマとして成立しているのでは。
まだ1話ではありませんか。抗議をするなら全部終わってからにしませんか?
これって「カチカチ山」が残酷だからラストは酒盛りシーンにしようとか、私が書いた「小金丸」の首が飛ぶシーンが
残酷だから紙芝居には出来ないというのと同じではありませんか?
「ワンピース」や「トリコ」などではもっともっと残酷でいじましいシーンに胸をかきむしられる事が多いけど
それはいいんだそうです。「選択して見てるから」という理由で。
だったらドラマだって同じ。「人権侵害」と思うなら見なければいいし、見せなければいいです。
まあ、子供達が見る時間帯ではないしね。
「はだしのゲン」の捏造された残酷な日本軍のシーンは、そのまま図書館においても「人権侵害」には
あたらないのにね。「ポスト」という名前に拘って偏見を持ち、組織を使って圧力をかけるのはおかしい。
「言論の自由」の侵害にあたると思います。
それにしても・・・・野島伸司が脚本監修だったとは。彼、「人間失格」でも似たような事言われ。
それだけ前衛的ともいえるわけで。ある意味、アーティストだよなあと思います。