天皇の手術時におけるノリノミヤの献身ぶりは「さすがに一人娘だけあるわね」と
庶民までが感心する程だった。
付き添った皇后は病院食を共に食べ、共に寝泊りする。
「皇后とおあろうお方がそこまで」と思う向きもあったが、その信念は変わらなかった。
そんな両親を陰から支え、差し入れをしたり、時には看病を代わり・・・と行動したノリノミヤ。
天皇が退院の頃にはさすがの彼女も疲れ切っていた。
そうはいっても、割と元気に退院した父の姿にほっとしたのであったが。
そんな宮にアキシノノミヤ家から誘いが来たのは1月も下旬の事だった。
「さんまの会」をやるから、手伝いに来てほしいというもの。
「さんまの会」というのはアキシノノミヤの学友達が集う会で、毎年何回かやっている。
その日は、各自料理や飲み物を持ちよりテニスをしたり、おしゃべりしたりという
社交パーティだった。
1月の下旬といえば、寒いし風も強い。テニスは出来ないので、宮邸でのパーティになった。
その会においでというのだ。
「久しぶりに楽しんでいらっしゃい。お兄様によろしく」
皇后に送り出され、宮はメガネをコンタクトにかえて、ちょっと春めいたピンクのワンピースで
宮邸に向かった。
宮邸の中はてんやわんやだった。
20人ほどの学友が応接室やらその隣の部屋やらに散らばって
ワインとつまみで楽しそうにおしゃべりをしている。
キコは采配にてんてこまい。
そこにノリノミヤが登場すると、みな一斉にそちらを向いた。
「諸君、わが妹が久しぶりに来たよ」
おおっと拍手がなる。
「もう、お兄様ったら」と言いながらノリノミヤは頬を赤らめた。キコがうっすら笑う。
「お姉さま。もっと早く呼んで下さったらお手伝いしましたのに。これでは私、何のお役にも・・」
「いいのよ。さあ、座って。みなさん、学習院の方々だし、顔見知りも沢山いるでしょう?」
確かに。
アキシノノミヤもキコも学習院ならノリノミヤも同じ。そんな兄弟一族、みな学習院というメンバーは
沢山いる。兄の学友といえど知らないわけではない。
むしろ顔見知りで、機会があれば二言三言話をするような人達ばかりだった。
やはり同じ学校を出た人というのは同じ雰囲気を持つもので、ノリノミヤは肩が凝らない雰囲気を
楽しんだ。
キコはそんな宮を退屈しないように、兄の学友達にさりげなく引き合わせる。
兄の学友だからほとんどは妻子持ちで、話題は何となく「家族」の事に偏りがちだった。
同級生で真っ先に結婚したのはアキシノノミヤだったが、その後は怒涛のように結婚ラッシュが
続き、みな子供が小学生になるかならないか・・・というような。
またこれから結婚するという人もおり、ノロケ話に花が咲く。
「さーや。ちょっとこっちにおいで」
兄に呼ばれて応接室の隅っこに行くと、ワインを飲む兄の横に、さえない男子が一人座っていた。
「クロちゃんだよ。覚えているだろう?小さい頃、東宮御所に遊びに来たこともある」
クロちゃん・・・?
「ああ。クロダさんですね。ええ。覚えていましてよ。ごきげんよう」
「ご・・ごきげんよう」
クロちゃんことクロダヨシキはあまり表情も変えず、ぴょこんと頭を下げた。
「こいつはね。相変わらず独身なんだってさ。車にしか興味がないらしい」
「まあ車がご趣味なの?」
「ええ・・まあ。見るのも走らせるのも好きです。なんていうか、かっこいい車を見ていると血が騒ぐって
いうか、すごく楽しくなるっていうか」
「あら。わかります。私もアニメを見ている時は同じですのよ。いい作品にめぐり合った時の幸せったら
ありません」
「アニメ?さーや、お前、まだそんなもの見てるのか?」
横から兄が口を出す。
「ほっといて下さらない?アニメは日本の文化ですのよ。年齢は関係なくてよ。お兄様には永遠に
カリオストロのよさはわかりませんわ」
「カリオストロ?」
ヨシキはぼそっといった。
「それってカリオストロの城?ルパン三世の?」
その言葉にノリノミヤはぱっと顔を輝かせた。
「ええ。そうなの。私、あれが一番好き。特にラストのクラリスがルパンに告白できずに終わるシーン」
「ああ・・あれ」
ヨシキはさらっと言った。
「僕からするとじれったいなと思いますね。そりゃあ姫と泥棒じゃ結ばれるわけがないし、そんな非現実的な
話はないけど。でも本気で好きなら姫の身分を捨ててルパンについていくという選択肢もあったんじゃ
ないかと」
「あら、それはルパンが止めたんですわ。女の子というのは相手に止められてしまったら、それ以上は
踏み込めないものでしょう?」
「そうなんだーー止めたのか。僕なら「一緒にいっちまおうぜ」っていうかもしれないけど。でも姫育ちに
泥棒の生活は無理か。そんな事してクラリスが疲れちゃったら意味ないしね」
「生活なんて慣れるんじゃないかしら。そうね。ルパンが背中を押してくれたら・・・・」
そこまで言ってノリノミヤははっとした。
「アニメをよくご覧になるの?」
「いやあ、別にそれほどでも。でも僕らの世代はルパン三世とヤマトとガンダムは必須科目だから」
そういってヨシキは笑った。
「必須科目って面白いおっしゃり方をするのね」
「そうですか?ちょっと前に公務員試験を受けて銀行から都庁に職替えしたんですよ。延々と試験勉強
していたものですからついつい」
「まあ、素晴らしいわ。努力家でいらっしゃるのね」
「とんでもない」
今度はヨシキが頬を赤らめる。
「銀行が合わなかっただけです。どうにも僕は趣味に時間を費やせない仕事はダメみたいで」
それからノシノミヤと目がまともにあってしまい、どぎまぎとそらした。
「そ・・そういえば、昔、メガネをかけてませんでしたか?髪も長かったような」
「ええ。コンタクトにしましたの。髪は短い方が似合うって母に言われて切りました」
「な・・何というか。その。随分とたおやかになって」
「たおやか?ありがとう。そんな風に言われるのは初めてです。クロダさんは・・・随分大人っぽくなられました。
あら、生意気申し上げて」
「いやいや。僕はもうおじさんですよ。いい歳して結婚もせず車にはまって職場と家の往復ばかり。
さえないでしょう?」
「大事な事じゃないかしら。私もあいた時間はテレビばかりですわ。好きが嵩じてビデオなどを
集めたりして。宮崎駿の作品が好きです。でもほら、「ハイジ」もそうでしょう?私、あれは本当に
大好きで全巻持ってますの」
「「アルプスの少女ハイジ」かあ。懐かしいなあ。ほら、パンにとろけるチーズをのせて食べるシーン。
あれが本当においしそうで」
「私も。今でこそチーズフォンデュはメジャーになったけれど、あの頃はねえ」
「何の話をしているの?」
キコがワイングラスを取り換えに来た。
「今、ハイジの話を・・・・」
「まあ。私はその頃、オーストリアにいたからよく知らないの。それにテレビがなかったし。
そんなに感動するお話なの?宮様がビデオを持っていらっしゃるの?」
「ええ」
「じゃあ、我が家で上映会をしましょうよ。ね?クロダさん。クロダさんもいかが?」
「懐かしいから久しぶりに見たいです」
そこからはあっという間に次の予定が決まってしまった。
1週間後。
あれよあれよという間に、ノリノミヤは「ハイジ」のビデオを全巻持ってアキシノノミヤ邸に行くハメに。
どうせ忙しいのを理由に来ないだろうと思っていたヨシキが・・・・来た。
「来てくれて嬉しいよ。なあに。ビデオは女達に任せて僕達は大人の話と行こう」
と、アキシノノミヤは言ったが、さりげなく妹とヨシキを並ばせる事を忘れなかった。
アニメを見ながら時々、車の話になる。
ヨシキが持っている車の種類とか、年代とか。どんな車が好きとか。
またカメラも趣味なようで、中古カメラ屋を探索するという話にノリノミヤはわくわくと目を輝かせる。
ヨシキは華族の出ではないが、クロダ家という名門の分家筋だった。
父はなく母一人子一人でマンション住まいをしている。一人っ子で兄弟もいない。
親族は近くに住む叔母くらいという・・今時らしい家族構成だった。
そのせいなのか、ヨシキからはひょうひょうとした雰囲気が伝わってくる。
もともと物事に動じるタイプではないらしい。しかも、平凡が一番と思っている節もある。
そういう所はノリノミヤも同じだった。
でも、ノリノミヤにとってヨシキは特別な男性というよりは兄より理解がある「隣のお兄さん」といった感じだ。
そもそも宮は「本当の恋」などした事がなかった。
内親王という身分では気軽に男性と付き合う事も出来なかったし、いいなーーと思った時点で
逃げられる(このあたりは皇太子も同じだった)
アキシノノミヤのような積極性は皆無で、ひたすら公務と両親との生活に浸っていて
きがついたら30をすぎた。
宮としてはもう結婚なんかしなくていい。そう思ってはいるのだが。
そんな本人の気持ちをよそに、何度かヨシキはアキシノノミヤ邸に呼ばれ
その度にノリオンミヤガあとから同席したり、偶然居合わせたりして
当然二人の会話は増えて行った。
「クロちゃん。大事な話があるんだ」
春めいた頃。宮邸に呼ばれたヨシキは宮の真剣なまなざしに何事かと緊張し
姿勢をただした。
「妹を貰ってくれないか」
その言葉にヨシキはびっくりして言葉を失った。