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ヅカファンへの道

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 お昼寝姫さま

ネタの提供ありがとうございます

 

「アンダーウエア」面白いですよね。

真っ白衣装が本当によくお似合いだった蘭寿とむさんは

「遺産争族」の弁護士役・真飛聖の次に花組のトップになった人です

 

さて・・・何からみたらいいのかーーというご質問。

一番手っ取り早いのは劇場へ行くことですよね。

北川景子も、お母さまと一緒に初めて「復活」(BY蘭寿とむ)」を見てハマったらしい。

個人的には「復活」ってそんなにいい話だったっけ?と思います。

だけど、生まれて初めて宝塚を見る人にはストーリー性はあまり関係ないかも。

その時のトップスターを見て「素敵」と思えばハマるし、「何これ」と思えば次はない。

どんなスターがお昼寝姫様のハートを射抜くのでしょうか?

 

現在

花組 → 明日海りお(あすみりお)&花乃まりあ(かのまりあ)

月組 → 龍真咲(りゅうまさき)&愛希れいか(まなきれいか)

雪組 → 早霧せいな(さぎりせいな)&咲妃みゆ(さきひみゆ)

星組 → 北翔海莉(ほくしょうかいり)&妃海風(ひなみふう)

宙組 → 朝夏まなと(あさかまなと)&実咲凜音(みさきりおん)

がそれぞれトップスターコンビになっています。

初心者の心を最も射抜きそうなのは花組の明日海りお。テレビにも出てるし

中世的でかっこいい・・・

雪組の早霧せいなもさわやかな印象で好感度抜群かも。

月組の龍真咲はオレ様トップなので、マゾな方はハマリます

龍様のやること、おっしゃる事は全て「最高」と思えるなら幸せ。

星組の北翔海莉は実力ナンバーワンで、ハズレのない人です。

しかし、学年がちょこっと上なのと、初心者の心をときめかせられるかどうかは未知数。

宙組の朝夏まなとは背が高くて正統派であったかい印象のスターさん。

まだトップなり立てで、作品は未知数。

おっとりしているからなあ・・・・

 

なので、もし来年、いきなり舞台を見たいなあと思うなら

とりあえず月組。(え?なんで・・・・・?)

「舞音」はマノン・レスコーの変型版だそうで。トップを見ず2番手から下を見てれば

楽しめます。美弥るりか以下お勧め・・・・

「GODEN JAZZ」というショーは、観客も一緒に楽しめるショーですから

一度みたらハマるかも

勿論、雪組の「るろうに剣心」もきっとお勧めになるとは思うけど・・・それこそチケットが。

 

ではチケットをどうやって手にいれるか。

大劇場なら、窓口でも買えそうですが東京となるとなかなか。

いきなり一人で劇場へ行くのは抵抗があるだろうし。

やっぱりお友達のヅカファンに連れて行ってもらうのが一番でしょう。

我が家の姫は、最近になってお友達にDVDを貸しまくり、「生でみたいわ」と

言われたら一緒に行くというような感じでしょうか。

彼女がいつも最初に貸すのは柚希礼音(退団したばかり)の星組。

「ロミオとジュリエット」とか「めぐり会いは再び」とか誰でもわかるようなストーリーを選んでいます。

勿論、初演の雪組「エリザベート」や安蘭けいの「スカーレットピンパーネル」など

海外作品の方がハズレがないし、実際面白いし「すごいわーー」と思えるのは事実です。

でも、やっぱり「これぞ宝塚」的な華やかなショーを見てほしいなという気はありましてね。

DVDで見ても面白いショー・・・・は結構幅が狭くて。

退屈せずに1時間画面を見ていられるショーといえば、ちょっと古いけど

匠ひびきの花組「カクテル」(2002年かなあと思ったり。これは「琥珀色の雨にぬれて」という

芝居と併演のショーで、サザンオールスターズの誰でも知ってる曲が

宝塚風にアレンジされていて楽しいです。

 

そうそう。

ジュゴン様に湖月わたる版「王家に捧ぐ歌」他、色々お貸ししているのですが

なかなか心ひかれないみたいで(笑)

今ではオンデマンドもあるし、見ようと思えば見れるのかなーー

 

皆さま、いかがでしょうか? 


ORZ・・・・皇太子殿下・・・・なんてことを

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 ははは・・・・本人の意思はどうであれ、これが世界配信されたら

かの国はどう思うか。

なんて事は頭にない。

みんなに囲まれ、嬉しそうな日本の皇太子。

 

上にいるのはパン君。日嗣の皇子が庶民に上から見下ろされて。基調講演。

 

「水や防災の分野において、急速に進歩する科学技術の恩恵が

世界の特に貧困に苦しむ人々に隅々まで行き渡るよう国際社会の一層の連携協働を期待します」

・・・・・水俣は?あなたの奥様、誰の孫だと思ってるわけ?

問題はこの一枚。

皇太子は単に講演を終えて、お辞儀したにすぎないのです。

 

パン君はまるで王様のように見下ろして拍手し、皇太子はまるでかの国の世子のように

頭を下げている。

韓国史劇でよく見る光景・・・・にしかみえないぞっ

この写真に他意はない。

皇太子にも悪気はない。

それはわかってる。

でもこれを見た韓国人には他意があるんだよ

「偉大なる韓国人に謝罪する日王の子の図」

かの国はそういう国なんだよ。だからこそ行動には注意し、下手に関わらず

会わず、話さずの態度に出ないといけないわけ。

どうしてその理屈がわからないんだろうね。皇太子は。

そりゃあまあ、千代田の女帝陛下も王配陛下も韓国には並々ならぬ「謝罪」の気持ちを持ち

王配陛下におかれては李明博大統領の時に親書を送った程で。

(もしそのへん、詳しくお知りになりたければ呉善花さんやシンシアリーさんの本を

お読みくださいまし。事実としてあるので)

 

嘘を100回言えば真実になる。

上下関係でのみ人間関係を築くことが出来ない韓国の場合

(それはたぶん中国も同じ)

格下の日本を足蹴にして跪かせないとプライドが傷つく。

どんな理由であってもいい。とにかく頭を下げろ と思っていたら・・・・・・

やってくれちゃったよ

真実はただ、単にお辞儀をしただけでも、彼らは

「やったーー日王の子が韓国に頭を下げたぞーー」と大喜びになる。

いくら日本が否定しても「いや、頭を下げた事は事実だ」となる。

こういう図はあちらの方々は大好きな構図だもんね。

あーあ・・・これだから行くなって言ったのに、見事に国益に反した行動をとってくれちゃって。

 

唯一の希望は、東宮家に関わるとろくなことが起こらない「法則」があちらに

発動されることを祈るだけだわーー

王世子・徳仁殿下

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本当に怒り心頭になりますが、ご本人は「韓国とのゆかり」を盾に

「友好の輪」を築いたと思っているんですよね。

 

 

本人的には真剣そのものなんです。

「チッソの孫を妻にしたけど、それとこれとは別」

「栃木の被災地にはいかないけど、それとこれとは別」

小さいことを考える前に、大きい事を考えよう。グローバルな視点からみれば

水俣も栃木も小さい小さい・・・・と思っているんです。

「私は全てを許された身なのですよ」(BY源氏)風に思っているんです。

 

日本にいる時は国民と距離を置くけど、相手が外国人であれば自らにこにこ近づく。

パン君に会えました。まるで親子の盃を交わしたかのようにお揃いの服。

一体、徳仁殿下は誰のお子様なのかわからなくなりましたわ。

 

よーくみると、ネクタイの色は違うわね。申し訳ありません。あまりに雰囲気が似てて。

徳仁殿下のこの誇らしい笑顔はどこからくるのか?

日本が従軍慰安婦問題で韓国に虐められている事とか、世界遺産で韓国に負けた事とか

パン君が国連の事務総長なのに、あからさまに韓国寄りな態度をしている事とか

そういう事は全く頭にないんでしょうね。

「殿下、国益に反します」

「仲良くしてはいけないのですか」

とでもおっしゃいそう。

リラックスしたパン君はすっかり王様。

世子はいずまいを正して話を聞いてます。

日本の若手音楽家を支援してきたシャルロット・ホワイトさん(101歳)

「生活の中心にはいつも音楽があり、多くの人との交流は貴重な経験だった」

徳仁殿下

「とても印象深いですね」

・・・・・・・・・

 

何が悪いかわからないからこういう事が出来る。

徳仁殿下個人でやるならいいよ。どうぞお好きに。

でも「皇太子」に個人はないわけ。

なぜって「皇太子」は日本の「顔」なんだから。

 

「一人の人格を持った人間に、そのようなことができると思いますか」

とおっしゃったのは皇后陛下。

出来ません。陛下。徳仁殿下は象徴にはなれません。

政治家でもないのに、政治家に好んでひっついていく。

政治家でもないのに、政治的発言をする。

政治家でもないのに、政治的信条を持つ。国民に教え諭す。

これはもう、日本の象徴たる姿ではないのですよ。

 

お清めです。

 

 

比較です

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 とりあえず、皇太子殿下はメトロポリタン美術館へ。

 

ごめんっ 目のやりばが・・・・・

先日、スナッチャー様からご質問頂いた「外国の人はお辞儀をしているのか?」という事について

比較映像がありましたので掲載します。

 

ウイレム・アレクサンダー国王

後ろを振り返りもせず退場し、着席。

 


 

オバマ大統領

後ろ向いて握手


 

安倍総理大臣

正面にお辞儀して、そのまま退場。


 

誰も後ろの人にお辞儀してない。あんなに真正面から首を垂れるしぐさをしたのは

日本の皇太子のみという事ですね。

大沢樹生の実子裁判 勝訴

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 今まで、こういう事にはあまり興味がなかったんですが

ちょっと職場が暇なものでお役所言葉に慣れようと「戸籍」とか「戸籍時評」

などを読んでみたりして。

いやーー世の中には戸籍を巡って本当に様々な裁判があるんだなと感心しちゃいました。

また、1月前に新しく臨時職員になった方がなかなか「住民票」と「戸籍」の違いがわからず

しつこく教えている間に、だんだんこっちの話にまで及んで・・・・

 

大沢樹生と喜多嶋舞の子供の件も知ってはいたけどあまり深く考えた事はなかったです。

でも、今回は自分が読んでる雑誌のテーマそのものだったので、俄然興味がわき。

事件の経緯はこうです。

 1996年・6月 → 大沢樹生と喜多嶋舞結婚

 1997年・1月 → 長男誕生

 この時点でいわゆる「できちゃった結婚」だったわけです。

  「妊娠したの」「じゃあ結婚しよう」という流れだったんじゃないでしょうか。

  しかし、実は喜多嶋舞は大沢樹生と交際中に別の男性と関係を持って妊娠した。

 2005年 → 離婚。長男の親権は喜多嶋舞に。

 2007年 → 喜多嶋舞再婚。長男の親権は大沢樹生に。

 2008年 → 大沢樹生再婚。一子が生まれるも死産。

            件の長男も難聴を抱えている為「自分のDNAが入ると障害が出るのか」と悩む。

 2013年2月 → 大沢樹生大沢樹生、長男とDNA鑑定。100%親子ではないという結果に。

        12月 → 喜多嶋舞と長男は認めず。

 2015年11月19日 → 東京家庭裁判所で「親子関係不存在」が認められる。

                   長男の親権は母親側に。現在は内藤洋子と一緒に暮らしている。

 

さて。これの何がどう問題なんでしょうか。

この裁判の経緯の中で、大沢樹生が随分とバッシングされたと聞きます。

また、今回のニュースにおいても

安藤キャスターが「、

「あんたは僕の子じゃないんだよって言われる息子の気持ちになると切なすぎません?」

「厳密な法解釈と家族の形って違うじゃないですか。そんなに厳密に法的に『あなたと私は家族じゃない!』って

言わなきゃいけないんですかね?」

「いったんは長男と新しい奥様もうまくいってたわけですよね。

過去に結婚していたことも、子供がいたことも事実なわけじゃないですか。

実子がどうかは別としても。それをいまさら決着つけなくちゃいけないんですかね?」

「生みの親より育ての親って言葉もあるくらい」

と疑問をなげかける発言をしています。

 

民法772条

 妻が婚姻中に懐胎した子供は夫の子と推定する

 婚姻の成立から200日以降、または離婚の成立後300日以内に生まれた子供は

  婚姻中に懐胎したとみなして夫の子と推定する。

 これが「嫡出推定」という奴で。嫡出確定じゃなくて、あくまでも推定。

  事実がどうかなどという事はあまり関係がない。

  家庭円満のために「規定」をもうけているという制度です。

 DNA鑑定がない時代に出来た法律です。

 女性というのは、自分のお腹の中にいる子がだれの子か最もわかっている人ですね。

   でも、男性は女性から「あなたの子です」「あなたの子ではない」と言われたら、反論の

   しようがないわけです。

   もし、男性が自分勝手に「こいつは俺の子じゃない」と言い出したら、女性と子供の立場は

   どうなるーー ここは一定の縛りを設けて制度化して、「家庭と子供の安全を守ろう」そういう

   法律です。

 しかし、DNA鑑定の精度が上がっている現在、この法律は無意味とする意見もあります。

  今回のケースのように、実際に大沢樹生と長男は血が繋がっていないわけですし。

  しかし、法律に則って考えれば、長男は法律上「大沢樹生の嫡出子であると推定できる」

  あくまでも推定・・・こうやって子供が育つ環境を確保しようという話ですね。

 が 今回のケース。実は長男が生まれたのは「婚姻後200日目」だったらしいです。

  201日目なら有無もいわさず「嫡出子」で、200日目だったから「親子不存在」を認めたという話です。

 

こんな・・たった一日で決めちゃっていいの?という意見もあるけど、

学校に入る学年だって1日違えば1年違うわけですし、どこかで線引きしないといけないんだろうなと。

 

通常、子供の側から「親子関係不存在」の申請は出来ないようですね。

一旦は嫡出子と認めて、後々、子供が大きくなった時に父側が「親子不存在」の申請をする

のが一般的のようです

この件でDNA鑑定に至った大沢樹生を責める事はできないと思います。

責められるべきは妻の喜多嶋舞の方で、ずっと嘘を尽き通し、さらにはDNA鑑定に至っても

認めなかった人です。

一つには「相続権」の問題があるからではないかと思います。

もう一つは「親権」の問題。

再婚した喜多嶋舞にとって、長男はひきとれない存在だったのか。

今回の鑑定で大沢と親子でないとわかり、親権が移っても養育拒否したようですから。

 

世の中には安藤キャスターのような人もいて

「16年も親子として暮らしてきた実績があるのだから、今更親子ではないと確認する作業が

果たして必要なのか」と考え方があります。

まさにそれが民法772条がなくならない理由です。

血の繋がりが「家族」なのか

共に暮らしてきた歴史が「家族」なのか。

 

もし、この民法がなかった場合、婚姻後200日経過して出産し、直後に離婚した場合

「この子は私の子供ではない」と言い出す男性もいるわけで

あるいは離婚後に妊娠がわかって産み落とした「夫の子」に関しても、夫側が

「絶対に認めない」という事もあるわけで。

考えようによっては母子を守っているといえるでしょう。

しかしながら、この法律によって「無戸籍」の子供が沢山いるというのも事実です。

妻が婚姻中に懐胎した、でも相手は夫ではない・・・と妻も夫も確信している場合

(爆笑問題の田中のケース)

それでも300日ルールによって子供は元夫の子という事になり

それが嫌だから出生届を出さない、という母もいるのです。

 

一番は、きちんと婚姻し夫婦の子供を産むというのが正しいのでしょうが

そんなことを今時いうと「非嫡出子への差別」だとか言われるので

でもそれは間違った平等意識なんだよと私は言いたいです。

少なくとも日本では。

やっぱり授かった命には「責任」があります。

妻が真実を知りながら偽って「夫の子である」と言い続け、それを信じて

父子家庭ながら子育てをしてきた夫の気持ちを思うと、そっちの方がやるせない。

「実子でないことがわかっていながらも「実子」として認める」事と

「実子だと思っていたのに実は違っていた」では全然違います。

前者を強制することは出来ないのでは?と。

無論、「たとえ血が繋がっていなかった」としても「家族」である事は出来るので

安藤キャスターのセリフは、ちょっと考えすぎではないかと思うのです。

 

今、家族や親子の在り方が随分変わっています。

性同一性障害の為、女性から性転換した男性。

戸籍上もそれが認められ、尚且つ女性と結婚。

夫の同意を得て、妻は別な男性の精子で妊娠。その子の出生届けは認められるか否か・・・とかね。

外国籍の親から生まれた子供の場合とか

それはそれはもうあまりに複雑なケースが多すぎて

 

ま、何にせよ、個人的に怒りは喜多嶋舞に向いてます。

あんなに可愛らしくて可憐な女の子で、一人娘で大事に育てられた人が

何でそうなる?

 

 

 

 

 

「そうでない方」と言った人を批判すべき

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茨城県教育委員会の長谷川智恵子さんという方の発言に批判が相次ぎ

とうとう辞表を提出したらしい。

「妊娠初期に(障害の有無が)もっとわかるようにできないか。4か月以降になるとおろせない」

「学校では)ものすごい人数の方が従事しているし、県としても大変な予算だろうと思った。

生まれてきてからじゃ本当に大変ですね。一生がありますから、小中高の間は預けられるけれど、

その後は親、きょうだいが見ることになる」

「茨城では減らしていける方向になったらいい」

 と発言。炎上。辞表。

「県の教育行政に大きな影響を与えてしまったことを重く受け止める。

特に障害のある子供を持つ家庭に心からのおわびを申し上げる」

どんな批判が来ているかというと

 「優生主義」・・・人間が人の命を選別していものか。障害者は生まれちゃいけないの?

            出生前診断で障害がわかったら堕胎しろというのか。

という、人権派的な意見が多数寄せられ、ご本人は「そんなつもりじゃなかったのに」と思ったけど

圧力に屈して辞表を出したと。そういう事でしょうか。

 

まず、親ならだれでも健康な子供を産みたいと思っている筈。

医学の発達により、大昔は亡くなっていたような子供の命もある程度は助かるように

なりました。

その結果、おのずと「障害」を背負って生きる事になる・・・というケースが多々あります。

障害といっても多々あります。

ダウン症とか脳性麻痺とか、見た目でわかる障害。

発達障害のように、見た目ではわかりにくく、その度合いも千差万別なケース。

そして現在は後者がかなり増えているらしい。世界的に。

その理由はわかっていません 環境ホルモンじゃないかとか言われていますが。

日本でも、クラスが足りなくなっているという話があります。

姫たちが出た中学には特別支援学級が1つあり、ダウン症、聴覚障害などの子供たちが

通っていました。

なんでも最近、そのクラスの偏差値が上がっていて、人数も増えたとか。

理由はわかりますよね? 実際にはそんな状態であることを踏まえて。

 

長谷川氏は本当に、

「妊娠初期に障害がわかったら堕胎すべき」と思っていたのでしょうか。

私にはそこまでのニュアンスは感じなかったんですが。

厚生省が考えるべきことを教育委員会が言ったから問題だという意見もあります。

「減らす」という言葉が悪かったのかなと。

傲慢に見えたんでしょうね。

だからって辞職させるほどの事ですか。

何となく言葉狩りとか、反対勢力に付け込まれたような気がします。

 

それにしても・・・・

「子供を産むべき」と発言すれば「女性差別」

「(障害児を)減らしていければ」と言えば「障害者差別」

健康な子供を産めば「障害児を持つ親への差別」

妊娠すれば「不妊女性への差別」

何でもかんでも「差別」と言い募ってしまう風潮は好きではありません。

 

っていうか、人権派の方々、長谷川氏を辞職に追い込むほど言葉狩りするのに

皇太子妃のあの発言はスルーですよね。

「健康に恵まれた子供を持っているということは,

そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,

本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っております」

障害児を持つお母さんたち、わが国の皇太子妃殿下はこんな事を

しっかりとおっしゃったんですよ。

何度聞いても何回読んでも何年経っても、ぐさりと突き刺さるこの言葉。

優越感にひたる皇太子妃の姿がそこにありました。

優越感ですよ。優越感。こっちのほうがよほど罪深いでしょうに。

批判するならこっちを。

あの時、優越感に浸っていた皇太子妃は、いまだに自分の娘の「障害」を認めません。

認めないばかりか「優秀」伝説を浸透させようとしています。

 この言葉に比べたら長谷川氏の発言など甘いなと思いますけどね。

皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

11月13日・・・天皇陛下 → 通常業務

                  赴任大使に会う

                  勲章受章者と会う

          両陛下 → 青年海外協力隊発足50周年記念式典について説明を受ける

                  赴任大使夫妻とお茶

         皇后陛下 → (映画「FOUJITA」)鑑賞

11月16日・・・両陛下 → 皇太子から挨拶を受ける

        天皇陛下 → 離任大使と会う

        皇后陛下 → 国際音楽祭ヤング・プラハ in Tokyo コンサート2015鑑賞

11月17日・・・天皇陛下 → 離任大使と会う

                   通常業務

         両陛下 → 青年海外協力隊発足50周年記念式典出席

いつにも増してひどい服・・・・ケープじゃなくて鎧みたいです。

11月18日・・・両陛下 → 新任外国大使夫妻とお茶

                  勤労奉仕団に会釈

                  国際緊急援助隊に会う

11月19日・・・天皇陛下 → 認証官任命式

                  宮中午餐

        両陛下 → 外務省から進講を受ける

                勤労奉仕団に会釈

               平成27年度宮内庁永年勤続表彰者に会う

 

皇太子同妃両殿下

11月13日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

         両殿下 → 平成27年度(第30回)上級国家行政セミナー参加者に会う

11月16日・・・皇太子殿下 → 両陛下にあいさつ

                    FUJI XEROX Presents イツァーク・パールマン ヴァイオリン・リサイタル鑑賞

11月17日・・・皇太子殿下 → 賢所皇霊殿神殿参拝

 

秋篠宮家

11月13日・・・両殿下 → 平成27年度(第54回)農林水産祭「実りのフェスティバル出席

      秋篠宮殿下 → 平成27年度農事功績者表彰式について説明を受ける

11月14日・・・眞子内親王 → 日本・エルサルバドル外交関係樹立80周年記念平原誠之チャリティ・ピアノコンサート

                    鑑賞

11月16日・・・眞子内親王 → 在京エルサルバドル大使主催昼食会出席

        秋篠宮殿下 → 第54回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事 賞状伝達贈呈式」

                   について説明を受ける

11月17日・・・秋篠宮殿下 → 大日本農会「平成27年度農事功績者表彰式」式式典・祝賀パーティ

11月18日・・・秋篠宮殿下 → 平成27年度水産功績者表彰式について説明を受ける

                    第70回日本おもと名品展について説明を受ける

        眞子内親王 → 武蔵野陵・武蔵野東陵参拝

                   在京ホンジュラス大使主催昼食会出席

11月19日・・・秋篠宮殿下 → 宮中午餐陪席

 皇后陛下と皇太子殿下は鑑賞が好きですね。でも皇后陛下は「回りに迷惑がかからないよう」

   後半のみの鑑賞になるんですが、それで楽しいのかしら・・・

   まあ、4時間も5時間も劇場にいすわる息子さんよりましかもしれませんが。

 秋篠宮殿下は、色々な宮様の公務を引き継いでおいでで、結果的に

   日本の農林水産を一手に引き受けることになったみたい。

 

 

  皇太子、世界トイレの日に参加

親しげに笑う皇太子と無視するウイレム・・・・にしか見えない写真。

まあ、国王は妻の病気が気がかりなんでしょう。

「いいな。日本の皇太子は妻が病気だと(元気に跳ね回ってるけど)

口実に公務しなくていいんだものな」と思われているでしょう。

本当はオランダにすぐにでも帰りたい。でも帰れない。仕事だし。

なのに隣にいる人はにこにこ笑って、自由に公務をえり好みできる立場。

一番会いたくない人物だったかもしれません。

 眞子さま、単独で鴨場接待

堂々としたご接待ぶりにひたすら「すごいなあ」としか。

こんな24歳はそうそういないでしょう。

だから。もうちょっと明るい色の服でもよろしいのよ。

サーヤをまねなくてよろしいの。 イヤリングは素敵ですが。

 悠仁殿下の音楽会

ご入学の頃は背が低くて、ちょっとほそっこい感じでしたが、あら・・殿下、お背が伸びて。

お父様と同じように高くおなりかしらと期待。

緊張しつつしっかりと歌を歌ったり笛を吹いたりする自然な姿に思わず「頑張れ」と

ド庶民ながら思ってしまいます。

殿下、山形では見事なリズム感を披露されたんですもの

アンダーウエア2・視覚探偵

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 昨日、お友達と靖国神社&昭和館に行って参りました。

靖国神社では骨董市が開かれてて・・・そういうのが大好きな私はついついひっかかり。

お友達が止めてくれなかったらきっと、大量買いしてたかも

だってーー赤い九谷とか、ドイツ製のグラスとか、かんざしやらべっこうのブローチやら

可愛いのばっかり

そりゃ値段にあってるかどうかは・・・すぐに信じる私はやっぱり騙されやすい?

で、色々見てたら、なんと純金で菊のご紋章の朱肉入れが。さりげなく置いてあるの。

本物かどうかわからない。わからないけどあながち偽物とも言えないんじゃないかとか。

だって重いし。ど真ん中に大きく菊のご紋だし。

値段を聞く侑希がなくて

それに、やたら大きくて重い皇室の写真集が・・・・中を見たかったけどできず。

そんなこんなで神社参拝が遅れてしまいましたーー

遊就館には歴代の天皇の御下賜品などがあり。展示してあればちゃんと「ある」って

わかるよなーーと。

これだけ天皇家を大事にって・・・いうか、明治天皇の思し召しでたてられた神社

なんだから第一に大事にするのは当たり前だけど、そういう所に皇族が

内廷皇族も筆頭宮家も来ないんだなあと。

ちょっとがっくりぽんや。

 

昭和館は面白かったですねーー

映像を全部見てたら閉館時間になってしまいましたけど。

もんぺの上を着て防空頭巾被って鏡の前にたったら前世の自分がいたりして。

似合ってる自分に驚きました。

もっと長くいたかったなあ・・・・・今度は一日かけていかなくちゃ。

「ふぶきと行く 靖国&昭和館ツァー」でもやりますか?

 アンダーウエア 

二回目もすごく面白かったです。

設定や展開はちょっと甘いなと思うけど、俳優さん達の演技に救われるというか。

何度もいうけど桐谷&大地は名コンビです。

それにしても、あの大地真央から

「覚えていたいこともわすれちゃうし」とか「針に行って来ていい?」と

「もう歳なんだから」

なんてセリフが出てくるとは思わなかった

舞台を知ってる人からみると青天の霹靂よねーーなんたって「老けない大地真央」だもん。

大地真央の話し方って、絶対に激高しないの。

しないのになぜか怖い トップ時代、あんな風に話されたら下級生は黙るしか無かったろうなと。

そして彼女に守られてた黒木瞳の幸せ度がすごくわかります。

大地真央も桐谷もシーンごとに衣装が変わってて、ゴージャスでしたが、予算が多いのかしら?

真央ちゃんの衣装は個人的に参考にならないわ。

細い人しか着れないんですものね 

猿渡さんの男気に惚れた 「ヒメにこんな思いをさせて・・・」だって。

いいわーーいいわーー言われてみたいわーー男に貢がせる悪い女だわーー

次回はまた蘭寿とむさん、ご登場。

 

ヅカ繋がりでなんですけど

「遺産争族」の真飛聖姉さん、かっこいいですよね

「相棒」のスッチーも悪くはなかったけど、本来はびしーーっとした弁護士がお似合いです

 

 視覚探偵日暮旅人 

期待しないでみたら、結構面白くて。

これまた甘いなーと思う部分はあるけど、そこはそれ、日本のドラマだしね。

いちいちぶっ倒れる松阪桃李に胸キュンしちゃった人、多いのでは?

多部ちゃんとの相性もばっちりだし、濱田岳のフォローも効いているし。

ぜひ続編がみたい。

というところで、こんな所にも久世星佳さんが。

教育評論家の先生ですよーー

なんだか結構ハマリ役でしたよね。だけど、本当はもっとかっこいい人なのよ。

ヅカを知らない人の為に。

 

大地真央 → 剣幸 → 涼風真世 → 天海祐希 → 久世星佳 → 真琴つばさ → 紫吹淳 です。

 

 


靖国テロ

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 びっくりしたというかなんというか。

まさか、自分たちが行った次の日にテロが起きるなんて。

日曜日の時点では、中国人ばかりの骨董屋が並び、本殿では七五三などの

祈祷が行われていて、とにかく人が一杯。

靖国神社ってこんなに若い人達に愛されているのかーーとちょっとほっとしたところなのに。

被害者がいなくて幸い。

というか、被害者を出したかったわけじゃないのよ。

もし被害者を出したかったらトイレになんか爆発物をしかけたりしない。

ただやだ新嘗祭をつぶしたかった。靖国って怖いとか思わせたかったからじゃないのか?

穏やかで明るい神社の雰囲気が一気に凍り付いてしまうような事が起きてしまい

心が痛いです。

たまたま前日だっただけで(時間帯は同じだったからーーほんと、ずれてたら大変)

いつどうなるともしれないのが人の運命ですね。

池上さんの番組は、ちょっと不愉快になる部分があるので見ないようにはしてるけど

やっぱり、どんなふうにミスリードしているか知りたいじゃない?

だから、一応見ましたよ。

そしたら、終戦の3日後にソ連が攻めてきた占守島の話。

今はロシアの領土ですか?

穏やかで綺麗な花が咲く島に、今にも動き出しそうな赤さびた戦車が。

日本の。

ここに駐留してた日本軍は終戦まで戦闘せず、8月15日に終戦を迎え

日本に帰る事が出来ると思っていたのです。

しかし3日後、突如ソ連が攻めて来ました。

スターリンは、日本との戦闘態勢は終わっていないと勝手に解釈。

後に北海道をドイツや朝鮮半島みたいに分割したいと思っていたようですね。

戦って生き残った兵隊は北海道に護送されると聞かされ、着いたところはシベリア。

「また騙された」と。

ところが、当のロシアでは「もともと占守島はロシアのもので、日本が奪った。

だから取り返しただけ」といい、

「日本兵がシベリアへ送られた記録はない」と大真面目に言う。

レポートした宮崎美子は「私はそうは聞いていない」と言ったけど、それ以上言えず。

そこへもってきて峰竜太が

「お互いに悪かったこととかちゃんというべき」と聞き取り方によって、日本を責めるような

言い方をしてました。

日本はソ連が攻めてきたとき、女学生を島から北海道に逃がした。

アメリカから女性を守る為にもさまざまなことを行った。

そんな日本人と、「慰安婦を強制連行した」日本人が同じとは思えないのです。

思えない・・・んじゃなくて、事実は違う。

日本は今こそ、声を大にして

北方領土の取り扱いをどう決め、その結果占守島が日本のものであることを

主張しなくてはならないのでは。たとえウクライナのようになってでも。

だって、ロシアはうそつきだもの。

っていうか「戦争」とはそういうもので、武士道は世界的には通用しないのよ。

だから卑怯なテロ行為が蔓延するのでは?

 

遊就館では勿論、占守島の事や、真岡の話も全部資料が残っていました。

でもそれを見ながら、私はお友達にいいました。

「両陛下は南の方へは行きたがるけど、北の方は知らん顔だよね」って。

やたら沖縄。なんでも沖縄。

でも、ソ連の侵攻によって多くの命が奪われた北の大地もあったんですよ。

満蒙開拓団や対馬丸だけが歴史ではない。

真岡の通信所にいた人達や、引き上げ船が沈められた事実を平等に後世に

伝えるべきでは。

こういう不公平が起きるから、あまりに「平和」アピールを皇族がすべきでは

ないのではと思います

琉球の歌があればアイヌの歌だってあるんですよ。

沖縄にアメリカが攻めてきたけど、北海道にもソ連が来た。

北も南も平等に戦争してたわけで。

 

兵士たちが戦場から送った手紙は全て胸に突き刺さるものばかり。

それを目にして「ありがとうございます」と思うか、「ごめんなさい」と思うか

その違いなんですよね。

私は謝られるより「ありがとうございます。今日も精一杯幸せになります」と

いう方がいいと思う。

だってそうじゃなくては報われないじゃないの。

彼らの「天皇陛下万歳」と記した文字は義理でも強制でもなく

「心のよりどころ」だったのではないかと思います。

「靖国で会おう」という言葉の中にも「魂が帰る場所がある」と自分を

納得させるものであったと。

そして残された家族も。

昭和館で、戦争で父を亡くした子供たちが全国から靖国神社に来て

参拝するという映像がありました。

辛い体験だったと思います。

でも、「ここにくれば神様となった父がいる」それは希望です。

神社とはそういう場所ですよね。

 

 

昭和34年2月6日内閣委員会議事録11

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○菊池委員 

宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、

国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。

私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。

平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと

私は考えておるのであります。

こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、

その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、

最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、

これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。

この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、

そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、

国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。

私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、

長官も簡単にお答えを願いたい。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。

そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが

流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

(今回の結婚に関して、様々な陰謀や謀略があったという話がでてきているのですが。

一つは正田美智子嬢は25人と見合いをしていた。その一人、波多野という男性とは

婚約をしていたが、破棄して皇太子の方に乗り換えたという話です。事実ですか)


○宇佐美説明員 

非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、

お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。

 ものすごーーーく 既視感漂う話ではございませんか?

  こんなにも過程が似通っている皇太子妃が二人、鏡のような二人。

 正田美智子嬢 → 25人と見合い(その中に三島由紀夫もいた?)

               波多野という男性と婚約。しかし破棄して皇太子に乗り換えた

 小和田雅子嬢 → 大学時代から多くの男性との遍歴がある。

               一人はデビッド・カオ

               もう一人は外務省の人間で婚約していたが、破棄して皇太子に乗り換えた。

 

 

○菊池委員 

片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、

世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を

作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。

そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。

 この噂話がどこから出てきたのか。当時の雑誌をつぶさに調べてみなくてはわからないでしょうし

   あるいは、どこにも載っていない話かもしれないし。

   しかし、政治家が知っているという事は相当な話ではないかとも思い。

 宇佐美長官の「全くないものと考えます」の「考えます」が嘘っぽいかなあと。

  しかし しかしですよ。

  あの正田家の美智子さんが・・・・見合いはあったとして、波多野という人と婚約していたなんて

  ことあるでしょうか?

  波多野さんって・・・もしかして、あの学習院の波多野さんに関係ある人?

  皇室に多少なりとも関係のある家柄の人を踏み台にしたのか、それとも本気だったか

  一体、どこの波多野さんなのか。大いに知りたいところです。

  当時、皇太子殿下はそれを知っていたんでしょうか?


○菊池委員 

もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、

小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。

それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。

カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、

これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 

関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、

責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということは

とんでもない間違いであります。

ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、

御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して

何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。

しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、

学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、

この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。

従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

 すでに昭和34年の2月の時点で「カトリックの陰謀」説が出ていたというのは

  恐れ入ったという印象。

 正田美智子嬢 → 田島前宮内庁長官

               小泉信三

               田中裁判所長官

               正田英三郎氏

          みーんなカトリック教徒。(宇佐美長官は否認)

         入江侍従長ものちの浩宮の教育係である浜尾さんもカトリック。

         正田美智子嬢自身、聖心女子出身。

         当時は「洗礼」を受けていないから問題ないとされたという話。

   小和田雅子嬢 → 実妹夫婦が創価学会信者

               主治医が創価学会

               自身が大鳳会メンバーと会っていた

 皇室批判派のほとんどの方が「カトリックの陰謀」を唱えています。

  ではカトリックの陰謀ってなんでしょう?

   わかりやすくいうと

  カトリック信者が選んだ皇太子妃が将来皇后になる事で皇室が神道から離れ

   キリスト教を信じるようになる

                ↓

  神道においてもっとも偉大な神は天照大神であり、天皇はその子孫

    つまり「天皇」は日本という国体(伝統・民族性・思想・礼儀等)を守る立場

                ↓

  キリスト教においてはイエス・キリストがもっとも大いなる存在であり

   この世に神は一人しかいないことになり、「天皇」という存在の否定になる

                ↓

   「キリスト教」・・・誰もが神の前では「平等」になると「天皇」は何なのか?

    天皇の否定 → 皇室の否定 → 国体の否定 → 共産主義への傾倒

というような形になるかと。

 皇后陛下がそんなおどろおどろしい思想にかぶれて皇室入りしたとは思いません。

 そもそも「皇室」の維持を最優先にした昭和天皇は皇后らに聖書を読むように勧めたり

 バイニング夫人の教育を受け入れました。

 側近がカトリック信者ばかりになった事だってご存じであったろうし。

 それでも11宮家の臣籍降下と引き換えにご自分のお子様方と

 弟宮家は守るために受け入れたわけです。

 でもまさか完全に皇太子が取り込まれようとは昭和天皇も考えられなかったかも。

 現在の皇后陛下のカトリック信仰の何が問題かというと

  「天皇」より上位にあるものの存在を認めているのではないか

  祭祀を休むことが多くなったことで、密かに神道を否定しているのではないか

 という事ですね。神道を否定し、それがまかり通ったら天皇の存在意義がなくなりますので

 これは大きな問題であるわけです。

 

 

○菊池委員 

もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が

流布されております。

皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、

天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも

流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 

今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、

進め得られるものではございません。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 

さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、

その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。

こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、

国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、

この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 

皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。

ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。

 昭和天皇が反対した・・・という事はないでしょうけど、香淳皇后やその他の旧皇族・旧華族が

  面白くなかった事は事実でしょう。

  その怒りの矛先が美智子嬢を通してひっそりと昭和天皇に向かっていったかもしれません。

 宮内庁が館林に電報を打ったかどうか。これが事実かどうかきちんと考えるべきです。

  宇佐美長官の一言でそれが一蹴されましたが、それでよかったのか?

  っていうか、美智子嬢が「洗礼は受けていません」も宇佐美長官の一言で終わったわけで。

  なぜそれ以上追及しようとしなかったか。

 皇室会議で決まる前に「決定」と正田家の本家に連絡が入ったという事でしょう?

   という事は、皇室会議は単なる「手続き」にしか過ぎなかったという事で

  それを踏まえて「内閣委員会」の1から読み直すとまた別な感慨が生まれるかも。


○菊池委員 

別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。

われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、

そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。

ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、

費用は少いといたしましても、

国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。

それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、

東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことは

おっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。

(国会図書館が新しくなったら、東宮殿下は赤坂離宮に移られるものと思っていたら

新しく建てるという。費用は別にして国民に与える影響はよくないでしょう。

まだ御所も建ってないのに)

 言われてみればその通りです。

  いくら結婚するからって新しい宮殿を建てるのはいかがなものかと。


○宇佐美説明員 

御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 

赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。

それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 

国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。

しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、

御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られて

お願いいたしたわけであります。

あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を

聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。

御了承をいただきたいと思いますし、

もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、

住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。

(現在の東宮御所は狭いですし、赤坂離宮は住居として暮らしにくい。切羽詰まってのことです)


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 

現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、

まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、

皇室経済会議にかけておるわけでございますが、

そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは

皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。

しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 

そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。

○宇佐美説明員 

現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。

また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。

そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 

国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、

また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、

今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、

皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。

(国民の中には住居不足で困っている人達が多数おります。外交団接待などは

皇居でやればいいじゃないですか。融通きかないんですね)


○宇佐美説明員 

皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。

またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。

お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、

いろいろ問題もございましょう。

しかし私どもといたしましては、

昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。

(色々意見はあるけど予算は通っているので文句をいわれる筋合いはない)


○菊池委員 

間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。

ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。

向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。

(なんでも間組は7千万の工事を1万で受けるといってるそうじゃないですか。

なんで素直にそれをうけないの?)


○宇佐美説明員

 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、

それを建設省に全部委託してございます。

建設省が入札その他を進めておられることでございます。こ

の間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん

疑いたくはございません。

そういう意味で申すわけではございませんが、

そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、

一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。

これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。

(予算が決まってるから。好意を受けるわけにもいかないんですよ。公務員みたいな

ものですから)

 あの当時から新しく東宮御所を作るのは時期尚早ではないかとの意見があったんです。

  昭和天皇は御所の新築を見合わせていた時期ですし。

  後々、今上はさらに吹上御所も建て直すわけです。

   新築が好きなんですね。

韓国史劇風小説「天皇の母」197 (逆襲のフィクション1)

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宮妃の懐妊は一部の心ある宮内庁職員からみれば、まさに天の助けだった。

2000年の歴史の重みを感じている人達はそれなりにいたのだが、

どういうわけか、今の皇室の中でそれを口に出す事は憚られた。

しつこいくらいに被害者意識で凝り固まった皇太子妃の振る舞いに

誰もがどう対処したらいいのかわからなくなっていたのだ。

 

新年を迎えて、新年祝賀の儀に出ないと思えば、

東宮御所でのどんちゃん騒ぎには元気に出てくる。

歌会始めに出なかった日に、堂々と皇居に上がって乗馬をする。

批判される事などおかまいなし。

逆に「抗議の乗馬」を書かせたりする。

 

午前中はだらだらと寝ている妃に注意する女官はいなかった。

夫と娘がどんな朝を過ごしているかなど興味がない。

夫婦で朝食が別なら昼食も別、無論、夕食も別である。

さすがに一人でレストランに繰り出すのは寂しすぎるので、

ママ友たちや、外務省の元同僚や、あるいは高校時代のクラスメイトなど

相手は忘れているというのに、突如「中華をごちそうするわ」と声をかけるのだ。

皇太子妃と言っても言葉はタメ口だし、話す内容は子育てとファッションの事。

自分がどれだけブランド品を持っているかとか

「アメリカにいた頃はね」と自慢話をするのをじっと我慢して聞いて

いさえすれば、ご褒美はめったに食べられない高級料理。

しかも財布と相談せずに食べられるのだ。一時の幸せ。

だから、誰も断らない。

「友情」ではなく、金や物で人を操るやり方は、彼女が高校生の時から

いや、小学生の時から少しも変っていなかったのだ。

中には「それって全部税金よね」と思い、断る者もいたが、皇太子妃の「好意」を

無にすると、あとでとんでもない「仕返し」が来るので、みな身の安全の為に従うしかなかった。

う皇太子妃と付き合っていれば、あらゆる意味で「得」な事も多かったから。

 

国連大学に部屋を持ってベッドを入れたのもこの頃だった。

いわば「私室」を持ったのである。

「勉強」と称して国連大学の私室にこもり、そこで何をどうしようと、誰も入れない。

少しでも出かければマスコミは勝手に「少しお元気が出てきて幸い」と書いてくれるので。

また、六本木や青山の高級クラブの会員になったのもこの頃で

毎日のように夜でかけてはだらだらと過ごす。

そういう時は皇太子も一緒に「自由」な時間を過ごす。

どんな高級な酒も、誰も食べた事のない料理も、好きなだけ堪能できる。

二人でグラスを傾けながら、自分たちがどれ程恵まれているか、自分たちがどれ程

運がいいか、そんな話をしている時だけはマサコも上機嫌になるのだ。

「あなた、こんなにおいしいワインがこの世にある事、知らなかったでしょ。

私は外務省時代にはいくらだって飲めたんだから」

「さすが外務省だね」

「そうよ。お父様のコネを使えばこんなものくらい軽いわよ」

と言った具合だ。

 

皇室のしきたりや伝統を頭ごなしに否定する行動をとる皇太子妃。

時間を守らない。出るべき儀式には出ない。行きたくない場所にはいかない。

どんなに皇太子が妻を愛していても、ここまで生活の価値観が変わったら

一緒に生活など出来ないだろう。

皇太子は次の天皇であり、皇室の伝統を守る立場である。

「公の人」なのだから。

自然発生的に出てきた「離婚説」は皇太子が最終的に

己の役割を果たす事を選択するだろう、いや選択する筈だという思うの表れだった。

しかし、皇太子が最終的に選択したのは「妻に感化され、妻を正当化する自分」だった。

その年の誕生日会見。

「昨年12月にマサコの最近の様子ということで,医師団の見解が発表されたのは,

病名と治療方針,現在の病状及び今後の課題について国民の皆さんに理解していただくためで,

これはあくまでも医師団の専門的な判断に基づいて行われたものです。

私ももちろんこの判断を尊重しています。

マサコもお医者様の治療方針に従って,努力していますし,私もこれからも支えていくつもりです。

マサコは皇族としての自身の役割と皇室の将来を真剣に考え,これまでも努力してきましたし,

現在もそのように考えて行動しており,私もそれに支えられています。

環境の改善を勧めた医師団の見解は,こうした私たちの努力を更に実現していくために

有意義なものであると考えてのことと思っています。

私自身マサコには今までの経験をいかしたライフワーク的なものが見つかると良いと思っています。

私自身が主として,今まで水上交通史を研究しており,そのことが,

いわばライフワークになりつつあることが,いろいろなことをする上で,

支えになっているように思うからです。

また,乗馬やテニスを始めとした運動も治療の一環として行っておりますが,

それも良い効果を上げているようで,今後も続けてほしいと思っています。

お陰様で,マサコは順調に回復しておりますが,

まだ回復の途上にあることを皆さんにもご理解いただき,

静かに温かく見守っていただければと思っております」

先年出した医師団の見解について「よくわからない言い訳のよう」という批判に対して

釘を打ち、その理由を切々と説明することで正当性を主張。

さらに乗馬やテニスなどの「遊びは出来るのか」という批判に対しても

「それが治療なのだ」と封じ込める。

さらに、あまりに元気だとか回復しているとか言い募れば「公務をしろ」と

言われる危険性があり、ゆえに「まだ途上」と言い訳を用意。

「温かく見守れ」とダメ押しも忘れなかった。

 

「マサコの公務については,今少し,体調が回復し,公私にわたる様々な活動をしていく中で

考えていくことになるのではないでしょうか。

また,マサコの場合,最近も幾つかの公務を行いましたが,

これはあくまでも回復のための足慣らしの意味もありますので,

そのあたりのことを皆さんにはお分かりになっていただきたいと思います」

「公務」を「足慣らし」と言ってしまったことに彼は気づいていなかった。

それがどんなに失礼な意味があるかも。

「宮中で行われている祭祀については,私たちは大切なものと考えていますが,

マサコが携わるのは,通常の公務が行えるようになってからということになると思います」

皇族であれば「公務」より先に「祭祀」が来る筈なのであるが、これを

「足慣らしの公務 → 公務 → 祭祀」という順番にしたことで、皇室の存在意義を

あいまいにしたことも、また彼は気づいていない。

そもそも皇族が「祭祀」をせずに乗馬やテニスに興じ、気が向いたら「足慣らしの公務」もどきを

行うなどという価値観があったろうか。

なかったからこそ、誰もそれが間違っているとも正しいとも言えなかった。

今までにない価値観だったのだから。

さらに娘の幼稚園についても

「アイコが幼稚園に進むに当たっては,私も親として,どの幼稚園に行くことが

本当に本人にとって幸せなことだろうかということを一番の大きな課題として考えてきまして」

などと身の程知らずの上から目線で言った挙句に「学習がいいのでは」と結論づけた。

そうかと思えば、妹の結婚に関して

「どこらへんが幸せそうに見えたか」との質問に

「まず一つは結婚式の当日ですね。その日の二人の様子を見ていたときにそのようなことを感じましたし,

それから結婚式の後でも何回か会う機会がありましたけれども,

その際に二人で交わしているいろいろな会話ですとか,本当にそのときの二人の様子から,

これは本当に幸せなんだなということを感じました」

と、何とも人情のない答え方をしている。

妹の結婚に関しては完全に蚊帳の外であったことを暴露したのだが、本人は

やっぱり気づいていなかった。

 

皇太子は記者会見が終わってもすぐに帰ろうとはしなかった。

一旦退場し、また戻ってきたのである。

びっくりする記者たちに

「私が言いたかったのはですね・・離婚するのではとかいううわさが

たっているんですけれど、離婚はしないという事をわかってほしくて」

と言い放ったのだ。

記者たちは皇太子が何をどうしゃべっているのか、最初はわからず

ただただ戸惑った。

額に汗をかいて、頬を紅潮させ、ちらりとドアの向こうをみやり、そして

「わかるでしょ」と言わんばかりに記者たちを見つめる。

皇室記者を長くやってきた者も、こんな姿を見るのは初めてだった。

 

皇室が揺れている。

誰もがそう感じた瞬間だった。そして陰で操っているのがだれであるか

知ったのである。

 

 

綺麗ごとではすまされない問題です

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 そういえば、うちのヨンジュナがよく真似して笑わせる「ののちゃん」こと

野々村元議員が裁判をドタキャンしたんですって?

「精神的に不安定」だからという理由で。

ワイドショーでは「こんな事うやってると強制的に出頭させられるのでは」などと

言ってたけど、ののちゃんが精神を病んだ・・・と言われても少しも不思議に思いません。

だってあの人、変だったもん。

どうやって議員になったんだ?という程、行動も言葉も何もかも変だったもん。

なるべくしてなった心の病とでもいいましょうか。

仮病だなんて思いません。「ああ、やっぱり」と思うだけで

だからって責任を回避していいって話ではないんですけど。

世の中には外国に行けるけど国内は20メートルしか歩けないお妃とか

スキーは元気に皆勤だけど、仕事になるととたんに「体調の波」がやってくるお妃とか

娘の授業参観なら7時間でも起きていられるけど、あとは昼夜逆転のお妃とか

いらっしゃるので。

ののちゃんも、今度は大野先生を主治医にして診断書を書いてもらえば?

トルコとロシアがぶつかって、ヨーロッパは沢山の難民が押し寄せて

そうかと思えばテロの標的。

どこへ行っても「民族問題」が台頭する中、石破君は何をいってるの?

「人口が減る中で、移民の方々を受け入れる政策はさらに進めていくべき。

外国人が日本に来るのはだめというのはおかしい」

何を時代と逆行したことを言ってるんだか。

さすがのヨーロッパでも難民流入を止めないと・・・・という流れになってるじゃない。

そもそも移民を受け入れる理由が

「人口が減るから」って・・・・それはないんじゃないの?

異民族ばかりになったら、日本は日本でなくなっちゃうじゃない。

そうでなくても、日本は十分に移民大国だと思いますよ

お役所にいればわかります。

私が住む町では1位・・中国人、2位・・・フィリピン人の順です。

日本人が海外で暮らすような「こんなところに日本人」的な夢や使命感を

持って外国に住む人たちばかりではない。

仕方ないから住む。でも心は祖国に・・・そのような人達が多数派になったら

どうなりますか?

石破君はバルカン半島の民族問題など、勉強してるの?

移民大国はどこも今、困ってるんですよ。

人道的な視野から考えるべきか、自国の民族性を優先すべきかと。

日本だけ「文明開化」の頃みたいな思想でやっていけると本気で思ってる?

 

「言葉、習慣など、お互いに違和感を持つことがないような施策をやっていくことが必要だ。ま

た、安い賃金で働いていただくことはあってはならない」

というなら、まず日本人の賃金を上げてくれないかしら?

かつての日本人がアメリカに渡った時もそうだったし、ブラジルへ行ったときもそう。

暮らしていけないから海外に渡る。

貧しい人達は移民してきても税金を払ってくれないんですよ・・・・

日本人のように、相手の国に同化していく民族の方が珍しいでしょう。

こんな小さな国に「小さな〇〇国家」を作られたらたまったもんじゃありません。

 

どうしてもというなら「お互いに違和感を持つことがないように」徹底的に

日本の価値観に従って、身も心も日本人になって貰わないと困ります。

ごみの出し方一つ、日本流に出来ない人が多いっていう現実をわかってますか?

役所で何か国語の「ゴミの出し方」があると思う?

そうまでしても、日本のやり方についていけない外国人が多いのに。

 

だけど、そもそものルーツを大切にするのが「民族性」じゃないの?

移民される国が移民者に気を遣って生きるのはおかしいし、人口の減少と

それとは別の話。

自国民に優しくない国が外国人には優しいなんて本末転倒でしょう?

なぜ人口が減るかって?

日本という国で子孫を残しても先が見えないからだよーー

老人は下流になっていくしかない。金持ちで強気の人間だけが生き残る日本では

子供が増えるはずがない。

っていうか、もっと「子孫繁栄」の為の施策をすべきでしょうが

日本の若い男女が「恋愛」「SEX」に意義を見出せず、頭の中で想像するだけでいいわー

なんて思うって事は、「他人」に興味を持たなくなっているから。

「女性が働きやすく、子供を育てやすい」世の中でいい・・・ってだけじゃダメです。

根本的に「本能」を磨かないとね。

あれ?変な話になっちゃった・・・・・・

 

成人しても親元を離れる事が出来ない。経済的にも精神的にも。

今より多くは望まないけど、今より下になるのは耐えられない人達。

欲はなく決して怒らず、いつもゲームして笑っている・・・・若者ばかりだから

人口は増えないんだよっ

「他人」と関わる事が「ふつう」になれば、互いに興味を持てば、知り合って

探していつかカップルになるんじゃないかなあ。

 

ということで、やたらグローバルを強調する綺麗ごとばかりの石破君の

考えには賛成できかねます。

 

原節子さん死去

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 原節子さん死去 

9月に亡くなっていたことがわかりました。94歳。

「永遠の処女」と言われ、「神様のよう」とまで言われた大女優。

その引き際の鮮やかさゆえに伝説の女優となりました。

 目が大きくてパーマがかかった髪。

ちょっと日本人離れした容姿は本当に美しい。

清々しくて清潔で上品で。

古きよき女優を体現したかのような姿。

 

私は結構戦前の映画を見るのが好きだったりして。

戦前の女優といえば

田中絹代 高峰秀子

高峰三枝子 山口淑子

入江たか子

轟夕起子

多分、戦前は目がぱっちりしている人が流行だったんでしょう。

 

原さんの戦前の出演作品・・・・「若き日の歓び」あたりを見た記憶が。

綺麗だけどそれほど上手とは言えない感じ。

演技力でいえば田中絹代だけど、彼女は好みではなかったなあ。

でも、田中絹代の「妃殿下」のような上品さったらなかったし、高峰秀子の元気な感じも

高峰三枝子の息をのむ美しさも大好きです。

 

原節子といえば「東京物語」でしょうね。でも、あれって主役じゃないでしょ。

出番だってそんなに多くはないし。

戦死した息子の嫁で、老いた舅姑に優しくしてくれる・・・という役どころ。

いいとこどりの役でした。

「安城家の舞踏会」の方が綺麗だったんじゃないかな。

原節子という人はパッと見の美しさをぬけると、じんわりとした美に惚れます。

最終的に「こんなにきれいで上品な女優さんが日本にいたんだなあ」と

嬉しくなったり、逆に今を思って悲しくなったり。

古き良き日本人の象徴だったのかもしれませんね。

心からご冥福をお祈りします。

 

 

 

砂の城・こいきな奴ら

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 今回は一条ゆかりです。

彼女はとにかく作品が多い。初期から現在まで多いです。

大昔の作品は、どこかねちっこくて鬱っぽい作品が多く、

平静になると、突如はっちゃけて危なくてなんでもありの世界に。

今回は、重いのと軽いのをご紹介。

 

こいきな奴ら 1975年(りぼん)

金髪の双子、右がジュデスで左がジュディス。

上の帽子がクリームでサングラスがパイ。

 

こーんな非現実で危ない世界を描くなんて・・・と当時は思いました。

まずジュデスとジュディスは双子で男の子と女の子。

顔も髪型も全部同じなのに、しっかり男女の見分けがつきます。

二人は伯爵家の御曹司と令嬢。

ジュデスは超能力を持っていて、しかも天才。

ジュディスは武芸の達人だけど頭が弱い・・・二人はとても愛し合ってて

一緒のベッドで寝てます。

だけど、肉体的などうのこうのはないわけ。

両親が死んで一文無しになろうと、カジノであっさり城を買えるほど儲けたり

殺し屋やスリを友人に持ったり。

現実的にはこんなに金持ちはいないよなーーと思いつつ

そういう夢のような贅沢の中で暮らしつつ、事件を解決したり

互いの恋人に嫉妬したり、友達を助けたり

いちいちスカっとしますよね。

超金持ちが全てを解決していく話は、どこか「有閑倶楽部」に似ていますね。

一条ゆかり自身、お金持ちの娘だったけど小さい頃に破産して、貧乏を経験。

お姉さんの方は「金持ち時代」を知っている・・・

そんな経験がこんな設定を作ってしまうんだろうなあと。

とにかく、かっこよくて面白い。それでいて愛情いっぱい。

今時も十分に通用するお話です。

 

 砂の城 1979年 りぼん

表紙の女性はナタリー、後ろの男性はフランシスです。

とにかく重いっ!

どこか「嵐が丘」と似ているような気もしますが。

要するに、お金持ちの娘だったナタリーと、ナタリーパパに拾われた捨て子の

フランシスは次第に愛し合うようになる。

二人は結婚を約束するけど、両親亡きあと、叔母の陰謀で引き離されそうになり自殺を図る。

ナタリーだけは生き残り、フランシスは記憶を失って別な女性との間に子供を作る。

その間、延々とフランシスだけを愛しているナタリー。

やがて事実を知り、追いかけるも彼は人生を取り戻せず死亡、妻も自殺。

で、残された一人息子のマルコをナタリーが引き取って「フランシス」という名前で育てる。

その子とやがて対等に愛し合う・・・けど・・・・

ここまでくると「源氏物語」も入ってますが。

いつも亡き人を思ってはうつうつするナタリー、フランシスを愛してしまうと

今度は歳の差が気になり始める。

やがてフランシスに年相応のガールフレンドが出来ると精神に変調が・・・・

悲しくもどっぷりと地獄を見るお話です。

 

暗くても明るくてもとことんまで描く・・・それが一条ゆかりなんでしょうね。

皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

11月20日・・・天皇陛下 → 通常業務

                   赴任大使に会う

          両陛下 → 赴任大使夫妻とお茶

11月22日・・・両陛下 → 皇太子殿下から挨拶を受ける

11月23日・・・天皇陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

11月24日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                 眞子内親王から挨拶を受ける

                 眞子内親王主席随行員に会う

        天皇陛下 → 通常業務

 

皇太子同妃両殿下

11月17日ー21日・・・皇太子殿下 → アメリカ訪問

11月22日・・・皇太子殿下 → 両陛下にあいさつ

                    賢所参拝

11月23日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀・暁の儀)

11月24日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀)

11月25日・・・皇太子殿下 → 第37回母子保健奨励賞受賞者に会う

                    勤労奉仕団に会釈

       両殿下 → 離任オランダ大使夫妻に会う

              国連難民高等弁務官に会う

11月26日・・・皇太子殿下 → オマーン外務省事務総長に会う

 

秋篠宮家

11月20日・・・眞子内親王 → 第1回外交団鴨場接待

         秋篠宮殿下 → 第54回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事 賞状伝達贈呈式・

                    祝賀パーティ出席

11月23日・・・秋篠宮殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

11月24日・・・秋篠宮殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀)

                     生き物文化誌学会常任理事会出席

         眞子内親王 → 両陛下にあいさつ

        紀子妃殿下 → 兵庫県訪問

  ・ 兵庫県日赤有功会主催午餐会出席

  ・ 支部創立125周年記念兵庫県赤十字大会出席

11月25日・・・秋篠宮殿下・眞子内親王 → 平成27年度戦略的実務者招へい

                     (太平洋島嶼国政府関係者グループ招へい)被招へい者に会う

          紀子妃殿下 → 京都訪問

   ・ 平成27年京都府赤十字大会出席

   ・ 日本赤十字社京都支部主催ご昼食会

11月26日・・・秋篠宮殿下 → 大日本水産会「平成27年度水産功績者表彰式」式典

                     祝賀パーティ出席

                     研究会出席

 高齢の為、天皇陛下の新嘗祭神嘉殿の儀は「夕の儀」のみ出席。

 皇太子の言葉 「名誉総裁の任期は終わりますが、今後とも水や水問題に引き続き関心を持ち、

             取り組んでいきたいと思っています」

 

 常陸宮殿下 80歳に 

11月28日。常陸宮殿下は傘寿をお迎えになりました。

車いすの御生活とはいえ、お元気です。

 

 高円宮殿下 墓所祭 

 21日、高円宮殿下の命日に墓所祭。

皇族方しか出席しない・・・から、出雲大社に嫁いだ方はおでにならないの?

今年の変わりびな。佳子様と秋篠宮殿下。

 

 昭和天皇の未公開写真がみつかる 

 1945年12月23日に山端祥玉が皇居内で撮影。

 90枚

 1946年2月の「LIFE」誌に掲載用に撮影されたもののうち、掲載されなかったもの。

 12月1日から日本カメラ財団のサロンで公開

 

 

  見たいなあと思います。

   当時、「笑う昭和天皇」は掲載されなかったようで、「印象操作」の結果

   「LIFE」誌に写真が掲載されたらしいです。

 上記2枚を見るだけでも、昭和天皇と今上の「ふつうの親子関係」が見えますよね。

   どこが孤独で「家庭を知らない寂しさ」を感じたのか。

 一般庶民からみれば「堅苦しい」「しゃちこばった」親子関係に見えるのかもしれませんよね。

  でも「高貴」な方々の中では、これでも十分「くだけている」と思うものなのでは。

  親の前で姿勢を正したり、敬語を使えば「堅苦しい」と思うのは、本当に庶民だけ。

  皇太子は「孤独」の「こ」の字も知らなかった筈。

  でも「殿下、あなたはかわいそうなの」と教えたのは誰なんでしょうね。

 


美智子さま81年の歩み   1

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 買ってしまいました。「別冊 宝島」編集の

「美智子さま81年の歩み」

この表紙はいわゆる「朝日グラフ昭和34年新年号」のものでしょうか。

まるで芸能人のグラビアのような表紙でしたよね。

 

 

美智子さまの生き方

これを読むと、世論や印象操作をしている・・・という事の不気味さを感じます。

半世紀以上「悲劇の皇太子妃」の役割を演じ、それを疑いもしなかった国民。

ちょっと滑稽な感じがします。

そして、今もまたその操作は続いている。総仕上げ状態です。

これをそのまま信じる人達もいるだろうし、書籍となって文章となって残っている以上

実際は「違う」と声を大にして言ってもきかないというか。

それほど「ペンの力」とりわけ印刷されたものの力は大きいです。

「偉大なる美智子皇后の事績」に関して、どのような報道のされ方をしているか

細かくレポートしていきたいと思います。

 

 美智子さまの事績

 美智子さまの事績は、夫君である天皇陛下やお子さまへの愛情

  また国民の安寧や平和を願う慈愛の心から行われてきたものであり

  「開かれた皇室」「国民に寄り添う皇后」として新しい皇室像と評価される

 一方で、その歩みは決して安楽なものではなかった。

  伝統と前例を第一に考える宮中内部からの抵抗や、マスコミや世間からの

  バッシングの標的となり、極度のストレスから流産や失語症などを経験されている。

 (美智子さまは)幾多の困難の中にあっても、常に謙虚な姿勢で自らを

  省みて、家族や国民のために自らの信念を成し遂げてきた「生き方」そのものに

  あるのではないだろうか

 最初から「バッシング」の言葉が出てきます。具体的な内容はありません。

 「謙虚」な生き方に多くの国民は騙されてきたという事でしょうか。

 いくら「皇族」でも、ここまで「上げ報道」が必要なんでしょうか。

   これじゃまるで北朝鮮のようだと思いませんか?

   やりすぎです。

   「夫君である天皇陛下」・・・・・女帝の皇配殿下ですか・・・・・・

 

 

  美智子さまの名言

 わたくし、いい加減な気持ちであちらに行くのはやめようと思うの。

  全然知らない所へ一人で飛び込んでいって、ベストを尽くそうと思っているのよ。

 (昭和33年。婚約発表後、友人に)

 民間初の皇太子妃としての皇室入りに象徴されるように、美智子さまが皇室史上で

  最も特筆すべきことは「行動する皇后」である点。

 「行動する皇室」

 思わず「いい加減な気持ち」だったんかいっ と。

 行動する皇后といえば、昭憲皇太后や貞明皇后の方が元祖ではないかと思いますが。

  「乳母制度の廃止」「家族一緒に暮らす」事が改革と言われても。

 子供をそだてるのは人間の心が中心になるので

  なによりもまず本人の幸せを望みたい。

  一番大切なのは、両親が子供の個性や発達の型を見極めて

  深い愛情と忍耐でこどもの心を大事にそだてることだと思います。

 意味不明の言葉にしか聞こえません。

  「本人の幸せ」というのは戦後の大きな価値観になっているので否定はしませんが

  将来、天皇となる子供の場合は「本人より国家の安泰を願う者」として育てるのが

  筋だったかと。

 この言葉を皇太子妃にはおっしゃる事がなかったという事でしょうか。

   あるいはご自身が「子供の個性や発達の型」を見極めなかったという事ですか?

 出産後

 「この子は将来天皇にもなる方です。日本国民、神からお預かりした宝です。

 自分の子ではいけないのです」

 とはいえ「本人の幸せを一番に望んで」いたわけで。

それとも「お預かりした宝」だから甘やかしたとも言えますか?

     ↑

  「この子」

 

 誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら

 それでも絶望しないで生きている。

 そうした姿をお互いに認め合いながらなつかしみ合い、励まし合って

  いくことが出来ればと、そのように考えて人とお会いしています

    (昭和55年の誕生日)

 固い決意のもと皇室入りされた美智子さまを悩ませたのが

  旧皇族や旧華族らによる、いじめともとれる対応だった。

 しかし美智子さまの謙虚な姿勢とお気遣いにより徐々に宮中の美智子さまへの

  風当たりは変わり、職員の中には隠れ美智子さまファンも増えていった。

 美智子さまへのいじめがなくなるまでには結婚後20年もの長い年月がかかったという。

 じゃあ、具体的にどんな事が「いじめともとれる対応」だったんでしょうか?

  例の「手袋事件」のような事が頻発したという事?

  あれは要するに「知らないのに知ったかぶりしてドレスなんか着ちゃダメ」ってことだったのでは?

  宝塚でもああいうドレスの場合、手袋は肩までしますのに。

 過去の写真を見る限り、とても「謙虚な姿勢」には見えないけど。むしろ

  皇太子妃の地位に甘んじて「私流プロトコル」を作り上げていったしたたかさを感じます。

 何でわざわざ「隠れ」ファンが・・・隠れなくてもいいじゃないの。

 (家庭を知らずに)25年もけなげにお歩きになっていらした東宮さまのために

  乏しい力の全部をあげてあたたかいホームを作ろうと決心いたしました。

   (昭和33年 朝日新聞記者へあてた手紙)

 皇太子「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」

  皇太子さまは皇室の伝統によって生後、母から引き離され乳母によって

  育てられ「家庭」を知らない。

 美智子さま「今までの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも

  こんな寂しい言葉はなかったと思います」

 皇室の伝統の中で「乳母制度」というのは確かにあった事です。

  大正天皇などは昭憲皇太后の実の子ではないことを知り、随分傷ついて

  トラウマになった事もあったようですし、また、「家庭の温かさ」を知らない人で

  あったことも事実です。

  だけど、それが当たり前に過ごしていれば「寂しい」という感情はないのではないかと。

  大正天皇はオープンな性格で、子供たちを随分お可愛がりになったようですし

  要は「一緒にいる時間」をどれだけ濃密に過ごせるかではないかと。

 今上の場合、戦争中で父母である両陛下が非常に多忙を極めた事も、「寂しさ」に

  拍車をかけたのだとは思います。

   しかしながら、お姉さまたちもいたし、「働く両親」に育てられたら「寂しい」という

  ステレオタイプの家庭像を埋め込んだ正田美智子さんの価値観を疑います。

 「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」

   (平成6年 失声症の回復後に)

 なんだって「ピュリファイ」なんて言葉を使われたか疑問です。

 皇后陛下は結婚前から、何度もばたっと倒れる事があったようです。

  それはヒステリー症状と言われていますが、そうなんでしょうか。

  お妃教育の途中でも「皇后さまは私が民間出身であること以外に

  何がご不満なのか」と言って倒れ、大騒ぎしたと入江日記には書いてありますよね。

 非常にプライドの高さを感じます。

 「美しくて頭が良くてお金持ちの私が皇太子妃になる事の何がいけないのか」と

 そう思っていらっしゃるような。

  けれど、それは否定しません。だって正田美智子さんはまだ24歳だったんですものね。

 上記のセリフに裏に感じるのは

  「私は悪くない。私に悪意を抱いた人たちを許します」というキリスト教的な

  上から目線の慈愛であって、自らを省みているという姿勢ではないと思います。

 

 

 

 

秋篠宮殿下50歳に 1

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 秋篠宮殿下

お誕生日おめでとうございます  

いつまでもお健やかにお過ごしくださいませ  

 

 記者会見全文 

 この一年の感想・50歳の抱負

「この1年もいろいろなことがありました。

その中で幾つか私自身の印象に残ったことを取り上げてみますと、

今年も非常に自然災害が多かったという感じがいたします。

例えば9月でしたでしょうか、台風の後、温帯低気圧に変わったところに温かい空気が入り、

非常な大雨を降らせたことがあって、広い地域で被害が出ました。

特に鬼怒川の堤防が決壊するなどして、大変大きな被害があったわけです。

こういう、特に局地的な大雨が以前よりも多くなっているように思います。

そのことは大変私も気になっています。

そして、これは昨年でしたが、広島市で土砂災害があり、この4月に私もその場所に実際に行ってきました。

映像などで見るよりも急峻(きゅうしゅん)な場所になっていて、

これは実際に行かないとやっぱり分からなかったと思うのですけれども、

日本はそういう所にも住宅が建っている場所がかなりあり、

今後の防災についてしっかりと考えていかなければいけないなということを思いました。

また、大雨でいうと、今日になるのでしょうか、八丈島でも50年に1度の大雨があったと聞いています。

雨は収まっているようですけれども、土砂崩れとかがないことを願っているところです。

 また、つい先日はパリで大変痛ましい事件があり、多くの人が犠牲になりました。

そのことも含めて尊い人命が失われていることや、

その国が誇る文化的な遺産が破壊されたりしていることも、大変残念に思っております。

 一方、今年もノーベル賞の受賞という大変うれしい知らせが先月ありました。

もちろん、ノーベル賞の領域に入らない分野ですばらしい業績を挙げている人も多々おられますので、

一つだけ取り上げるのはよくないのかもしれませんけれども、そ

れでもやはり、私たちにとって誠にうれしいニュースでありました。

しかも、地道な研究が評価されているということを感じました。

ただ、その一方で、今学術の世界でだんだん短期的な成果を求められるようになってきています。

例えば論文数ですとか、インパクトファクターの高いところに掲載されるかどうかなどですね。

それは非常に大事なことではあっても、それのみで学術・学問が判断されることになると、

地道に長い年月かけて行われて、良い成果が出るということがだんだんに無くなってくるのではないかなと、

気にかかるときもあります。

 深いなあと思います。

  災害の事一つとってみても、詳しいですし洞察力があるというか。

  ノーベル賞に関しては、取らなくても頑張っている人はいるから・・・・と配慮があり、

  一方で「短期的な成果」を求めすぎている部分もあるのではと危惧されている。

 皇太子の場合

 自分としては,もう50になったのかという感じがする一方で,

  まだまだ研鑽(さん)を積まないといけないという,これからだという思いがいたしております。

  これは学者で私自身も公私両面で,大きな変化を経験してきました。

  公の面では,両陛下のお導きにより皇太子に至る道を歩んでまいりました。

  私の面では,両陛下の温かい愛情の下で育ち,外国留学を含めて様々な経験をさせていただき,

  雅子との結婚,愛子の誕生により心温まる安らぎのある家庭を持つに至っております。

  「天命を知る」年齢に達するに当たって,両陛下を始めこれまでお世話になりました

  多くの方々へのご恩を忘れず,更なる自己研鑽(さん)に努める気持ちを新たにしております。

  それとともに,ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。

  ある殿下が日々感じている事なのだろうと思います。

 

 それ以外に、先日、日本とブラジルの外交関係樹立120周年の年に当たって、

私にとっては27年ぶりでしょうか、ブラジルを訪問いたしましたけれども、

この2週間弱の訪問も、私にとって大変印象深いものでありました。

そのときの印象につきましては、今、宮内庁のホームページに私の印象をつづったものが

掲載されていますので、ここでは省くことにいたします。

以上がこの1年の印象に残った出来事ということになります。

 その次は50歳の(感想と抱負)ですか。

年齢というものは非連続的なものではなくて、連続的なものですね。

ですから、私自身、50という響きについてはちょっと年を取った感じがありますけれども、そ

れについての何か感想があるということではありません。

また、抱負についても抱負自体が突然出てくるということではなく、

今までどおり、以前にもお話ししたように、

例えば公的な仕事の面ですと頂いたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております。

私的には、以前から50の手習いで何かしてみたいなと思うことがないわけではないのですけれども、

それはまだ実行に移す予定もないものですから、ここではお話ししません。

 淡々とされているなと。それは子育てをしているからというのもありますし

   やっぱりここで色々語ってはいけないという配慮?

 「50の手習い」久しぶりにこんな言葉を聞きました。

秋篠宮殿下 50歳に 2

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 戦後70年について

「今年は戦後70年ということで、いろいろな展示があったり、

それから新聞などでも様々な戦争に関する記事が掲載されたりいたしました。

私も、今お話があったように玉音放送の原盤を聞く機会があり、

また、御文庫附属庫も見学をいたしました。

ただ、私としては、確かに70年というのはそのことをふり返る一つのきっかけになるとは思いますけれども、

そうでなくても、常に、戦争があったということを記憶に残しておくことが必要だと思います。

私自身は戦後20年たって生まれました。

ですから、物心付いた頃に、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。

戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、

書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか、

と考えております。

 また、子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは、

非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、

この70年という年を一つの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、

ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども、

今年(行きました)幾つかの戦争に関連する展示、

それから催し等を通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております。

 ここでも、たとえ70年だからと言って特別にどうのこうのというのではなく

  常にこの事に関しては考えていくことが重要とおっしゃっています。

  日本はなんでも「〇〇周年」で盛り上がると、それで終わりみたいな空気がありますが

  秋篠宮家にとって「太平洋戦争」は永遠の研究テーマであるという事ですね。

 「娘」というのが佳子様なのか眞子さまなのかわかりませんが、20代のお嬢様と

  戦争の話が出来るという事が素晴らしいと思います。

 

 お子様方について

秋篠宮

「まず長女についてですが、長女は昨年から今年の9月までイギリスで大学院の生活を送りました。

そして、その課程を修了して戻ってきたわけですけれども、

いわゆる専攻は博物館学で、取り上げたテーマが自然史とアートの両方にまたがる分野でした。

それを論文にまとめたのですが、そういう自然史とアート両方の要素を含んだテーマというのが

私自身にとっても興味深いところがありますので、そのことについて話をしたりすることがあります。

どうでしょうか(と、妃殿下にお答えを促される)。

紀子妃殿下

「長女は、昨年の秋から今年の9月の末まで英国の大学院に修学していましたが、

1年余りの修士課程の短い期間の中で博物館学の講義を受け、博物館実習に参加するなどし、

また、修士論文もまとめ、充実した日々を過ごしたようです。

また、私たちが10月下旬から11月上旬にかけてブラジルを訪問した際、

私たちの代わりに宮中行事や地方の式典に出席しました。

一つ一つを丁寧に深く考えて務めていると感じました。

一方で、留守の間、自分の弟の世話をよくしてくれ大変助かりました。

 秋篠宮さま

 次に次女についてですけれども、次女は今年の春から大学1年生をしているところになります。

結構忙しい日々を送っているようで、大学からの課題などもかなりあるみたいで、

それに夜遅くまで一所懸命取り組む日々を過ごしております。

少なくとも父親が学生だったときよりは、かなりまじめな学生生活を送っているようです。

 紀子さま

 そうでございますか。(と、殿下のお答えの「少なくとも父親が学生だったときより」の部分に、笑顔で応じられる)

次女は昨年の12月の誕生日に成年を迎え、幾つかの公的活動に携わる一方で、

今年の4月から大学生としての新たな生活が始まりました。

学業に励みつつ、公的な活動では、初めて式典であいさつし、

また一人で地方の行事に出席し、手話であいさつするなど、

慣れないことや緊張することもあったと思いますが、頂いた務めを大事に果たそうとする

けなげさが伝わってきました。

 これは私の感想ですが

秋篠宮殿下 → 眞子さま・・・・同じ研究者として話が合う身近な存在

        → 佳子様・・・単純に今時の「娘」として可愛い

紀子妃殿下 → 眞子様・・・頼りになる長女。たててあげる存在

        → 佳子様・・・自分の背中を追いかけてくれる可愛い娘

というような印象があります。

 

 秋篠宮さま

 次に長男のことですけれども、昆虫好きは相変わらず続いています。

ただ少し昨年までと違うのかなと思うのは、虫そのものもそうなのですが、

それが生息している環境に興味を持つようになってきています。

例えば、どういう環境のところで、自分の関心がある種類が生息しているのかとか、

そういう環境を、自宅の庭で再現できないかとかですね、これはビオトープ的なことだと思うのですが、

そういうことを考えるようになったりしています。

長男は自分の水槽を持っていまして、これは虫ではありませんけれども、

そこに川とか池で捕った魚を入れているのですが、

それが棲(す)んでいる雰囲気、水の中の様子を再現しようといろいろと試みているようです。

そういうところは少し去年から変化してきたかなと思います。

 紀子さま

 1年をふり返りますと、長男は以前からの興味が更に広がり、

また新たな興味も加わってきました。

田んぼの生き物などにも興味を持つようになり、そのほかでは、

今まで興味を持っていました昆虫の採集や飼育をするだけではなく、

今、宮さまが話されましたように、生き物が暮らす環境にも関心を向けています。

例えば、トンボやホタルなどが棲みやすい場所、好む環境を作りたいと、

自分の家の庭や御用地内を歩いて植生などを確かめ、また小川のところでは、

水の流れを止めないように枯れ葉や小さな枝を取り除いています。

ほかに興味を持っているものの一つに文字があります。

旅行先などで地図を見るのが好きで、書かれている漢字の地名や、

調べ学習で使う漢字辞書に載っている旧漢字を覚えることもあります。

また、世界の文字の絵本を見ながら、まねて書いたりもします。

このように長男は、知らない文字が分かるようになり、書けるようになることが面白いようです。

また、学校のことについてですが、3年生になりましてからも様々な活動に参加しています。

今年の春は遠足があり、また、公園探検や学校での宿泊もありました。

そこでは子どもたちがグループに分かれて、自分たちで計画を立て、係を決め、

協力して行動していますが、その後に、達成できたことや計画通りいかなかったことなど

活動の内容を振り返り、次の活動へつなげていく大切さを、

友達と一緒に学んだようです。なかなかすぐにできるようになるのは難しいことですが、

友達と一緒に長男は、早めに行動するよう心がけることに取り組んだようです。

これは学校でのお話ですが、家庭でも見られることがありまして、

それは朝学校に出かける時間を、余裕を持って守ろうとする様子が見られ、

こういう意識を持つことによって、日頃の生活の中でできるようになることの大切さをつくづくと感じました。

明日は小学校の音楽会が開かれる予定で、3年生のミュージカル劇を始め、

各学年が練習に励んでいるようで、子どもたちの発表を楽しみにしています。

 一言でいうと、悠仁殿下は学者様ですね。理系の。型にはまらない印象です。

  帝王学だなあと感じます。

 でも「長男」という呼び方をあえてしているのには理由があるんでしょうか。

 

 佳子さまの注目のされ方についてはどのように受け止めていらっしゃいますか。

 秋篠宮さま

 メディア等で写真や記事等が頻繁に掲載されていることは承知しています。

実際にどれくらい注目をされているのかということは、私は知りませんけれども、

どのように受け止めているかといえば、メディア等に掲載される機会が多いということを

そのまま私としては受け止めております。

 紀子さま

 私もそのように思っております。

次女を含めて子どもたちの公的な活動の報道が、その分野の大事な事柄に対して

理解を深めていただく機会になればと思っております。

 そう答えるしかないですよね(笑)

  これが皇太子なら相好を崩して「嬉しい」とか何とか言われそうですが。

秋篠宮殿下50歳に  3

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 両陛下について

秋篠宮殿下

「ストレスについて、普段、例えば御所等で一緒に話をしている時に、

話題になったことはほとんどありません。で

すから、私として推測できるのは、例えばこの何年かで天皇陛下が2回大きな手術をされています。

前立腺がんと心臓の冠動脈のバイパス手術ですね。

特に後者については、その後の回復がそれほど早くなかったということもあると思いますが、

恐らくそれらの陛下のご病気というのが、ストレスの要因の一つにあるのではないかと思います。

もちろん非常に重い立場で日々過ごされていますので、

その他のストレスに関わることも幾つもあるとは思いますけれども、

それを今私が忖度(そんたく)をしてお話しするのは控えることにいたします。

ただ、普段非常に制約の多い中で生活をされているわけですけれども、

不思議なほど自由、そして、豊かな心というか精神の領域を

持っておられるのではないか、

と私には見受けられます。

これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる、もしくはその中で

自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか、

そういう機会が増えていったらいいのではないかと思います。

 

紀子さま

「皇后さまが心臓の検査を受けられることを伺い、私たちも大分心配いたしましたが、

検査の結果、様子がお分かりになり皇后さまもかえって安心されたようで、

私たちも安堵(あんど)いたしました。

両陛下には、どうぞお身体(からだ)を大切に遊ばされますよう、

お健やかな日々をお過ごしになりますよう、心から願っております。

 あたりさわりのない答えに終始していますが。

 「不思議なほど自由、そして、豊かな心というか精神の領域を持っておられるのではないか、

と私には見受けられます。

これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる、もしくはその中で

自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか」

のセリフには含みがあると思います。

「不思議なほど自由」うーん・・・・要するに自分勝手って事でしょうか。

私達国民はこの言葉から皇后陛下がますます「女帝」におなりあそばしたのかと

思うばかりで。

まあ、心臓の具合が悪かった皇后陛下についての質問ですので、当然ですが

天皇陛下に関しては何もおっしゃらないんだなあと。質問も出ないってことですね。

 「その他のストレス」ってつまり・・・アレですかねえ。

 

 秋篠宮殿下

 もう一つは(と、記者に質問を確認される)。

 記者 敬老の日にちなんだ施設訪問に行かれたご感想について。

 秋篠宮さま

 「敬老の日」の施設訪問、これは「こどもの日」の施設訪問と共に、

両陛下が非常に大切にされてきた活動だと私は考えております。

今年は私たちが「敬老の日」にちなんだ施設の訪問をしました。

来年も敬老の日にちなんだ施設になるのか、それともこどもの日にちなんだ施設に行くことになるのか、

これはまた皇太子殿下とも話合いをしながら決めていきたいと思います。

私たち自身この秋に施設を訪問して感じたのは、

例えば地方で何かの行事が行われるときに、その地域の特別養護老人ホームなどに

行く機会は今までもかなり多かったです。

ところが、私たちが住んでいるこの東京都内でそのような施設を訪れたことは、

あまりなかったように思うのですね。

そこでふと各地のそういう施設、特別養護老人ホーム等に行ってはいたけれども、

すぐ自分の身近な所のことがちょっとおろそかになっていたのかな、と思いました

(と、妃殿下の方を向かれ、お答えを促される)。

 え?もしかして「こどもの日」を担当するかも?両方?皇太子と相談?

  ますます荷が重い・・・・いや、国民にとってはその方が嬉しいけど。

 身近な都内の施設を訪れる機会は確かに少なかったですよね。

 紀子さま

 両陛下が長く大切に遊ばされてきました施設訪問を、

私たちも心をこめて引き継いでまいりたいと考えております。

 皇族の発言についてどう考えるか

 皇族の発言について言えば、一つは政治的なことの発言をしない。

これは、私は基本にあることだと思っています。

今質問にありましたイルカの追い込み漁について、

私は本年の日本動物園水族館協会の総会の折に言及したわけです。

これは、あくまでも日本動物園水族館協会は世界の動物園水族館協会に加盟している一つの組織であり、

日本動物園水族館協会に加盟している動物園、水族館が行っていく、

もしくは果たしていく使命の一つである種の保存活動を世界動物園水族館協会の一員として

果たしていくことが私は大事であると考えたわけです。

したがって、イルカの追い込み漁それ自体について、私は何か言ったつもりはなく、

あくまでも、文化の問題と組織の問題を分けて考えるべきではないかと、

そう思って話をしました。

また、皇族の情報発信といった場合、構成しているそれぞれの人たちによって考え方が

異なると私は思います。

私自身、ブログもツイッターもしていません。

私は、自分のことを自分から発信していくというタイプの人間でもありませんし、

恐らく今後も自分から例えばSNSを利用して、何か情報発信をするということは、しないだろうと思います。

ただ、情報発信というのは、やはり大事なことでもありますし、

それからもう一つは、皇族の情報発信と皇室全体としての情報発信とはまた別のことですので、

どういう形が一番好ましいのかということについて、これからよく考えていく必要があると思います。

 意味深長としかいいようがありません。ちょっと歯切れが悪いような気がしますが。

 ◆関連質問◆

 玉音放送を聞き、お文庫を見学した感想

「玉音盤、私も聞かせていただきました。

今までよく映像で流れてきた玉音放送とは時間、長さなども少し異なるわけです。

今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。

そして、玉音盤と共に御文庫附属庫の方も映像が公開されたということは、

やはり、昭和の歴史の一端を知る一つの機会であると思います。

私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは、

感じたという表現は適切かどうか分かりませんけれども、

その時の昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、

もしくは終戦を決める時にどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いをはせていました。

 戦没者慰霊について

 「両陛下は、相当以前から戦没者への慰霊を、強く常に念頭に置かれていました。

今回戦後70年の機会にパラオの慰霊をされたわけです。

ずっと遡ると沖縄、一番最初は多分海洋博のときですから1975年、

私はまだ小学生の子どもでしたけれども、沖縄戦のことと共に、

戦没者を慰霊することについての話を折々に伺いました。

そういう中で私も私の兄妹(きょうだい)も育ちましたので、

そのことの大事さ、これからも慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れていますし、

そういう機会に、私自身も実際に慰霊祭とかですることがありますけれども、

慰霊する行為と共に戦争で亡くなった人たちのことに思いをはせる、

そのことの大切さを感じています。よろしいでしょうか。

 眞子さまの外国訪問について

 秋篠宮殿下

 彼女にとって初めての海外の公式訪問になるわけですけれども、

私の最初の海外公式訪問がブラジルだったのです。

当時22歳ぐらいで、もうちょっと若かったですね。

海外の公式訪問を通して、私自身も様々なことを学ぶことができました。

私自身はエルサルバドルもホンジュラスも行ったことがないので、

どういう感じなのかは分かりませんけれども、

やはり公式訪問を通して得ることは非常に大きいと思いますので、

様々な経験をしてきてくれたらいいな、と思います。

あなたは(と、妃殿下にお答えを促される)。

 紀子さま

 はい。12月の外国訪問は宮さまがお話しされましたように、

長女にとりまして初めての公式訪問となります。

今まで国内で、都内そして地方の公的行事に出席する経験をしていますが、

今回は初めて日本を離れて遠く海外でのお務めをさせていただきます。

私たちはこの前ブラジルから帰国しましたが、

その留守中にも関係者から話を聞き、自分でも本を読んでいたようです。

そのような準備をしながら、訪問の日を迎えることになると思いますが、

体調を整えて、訪問先でも元気に務めることができるようにと願っております。

 

全体的にかなり抑制された会見であったと思います。

そういう事情があったのかなと。

みなさまはどう思いますか?

水木しげるさん死去

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年末が近くなると、こういうニュースが多くなって・・・・

 

 30日。水木しげる氏が多臓器不全で死去

 享年93歳。

「ゲゲゲの鬼太郎」はアニメで見た記憶しかないのですが。

リメイク版はともかく、大元のアニメは本当に怖かったです。

戦争を経験されて、人の背後にあるものに興味を持たれたのでしょうか。

 

「ゲゲゲの女房」を見る限り、下積みが長く苦労された作家だったと。

でも奥様の献身的な支えがあって今の今まで生きてこられたんですよね。

娘さん達も非常に頼りになるようですし。

幸せな晩年を送られたと思っています。

 

ついこの間、佳子様が「水木しげる記念館」に行かれましたよね。

よいはなむけになったのではないでしょうか。

心からご冥福をお祈りいたします。

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