秋篠宮殿下
お誕生日おめでとうございます
いつまでもお健やかにお過ごしくださいませ
記者会見全文
この一年の感想・50歳の抱負
「この1年もいろいろなことがありました。
その中で幾つか私自身の印象に残ったことを取り上げてみますと、
今年も非常に自然災害が多かったという感じがいたします。
例えば9月でしたでしょうか、台風の後、温帯低気圧に変わったところに温かい空気が入り、
非常な大雨を降らせたことがあって、広い地域で被害が出ました。
特に鬼怒川の堤防が決壊するなどして、大変大きな被害があったわけです。
こういう、特に局地的な大雨が以前よりも多くなっているように思います。
そのことは大変私も気になっています。
そして、これは昨年でしたが、広島市で土砂災害があり、この4月に私もその場所に実際に行ってきました。
映像などで見るよりも急峻(きゅうしゅん)な場所になっていて、
これは実際に行かないとやっぱり分からなかったと思うのですけれども、
日本はそういう所にも住宅が建っている場所がかなりあり、
今後の防災についてしっかりと考えていかなければいけないなということを思いました。
また、大雨でいうと、今日になるのでしょうか、八丈島でも50年に1度の大雨があったと聞いています。
雨は収まっているようですけれども、土砂崩れとかがないことを願っているところです。
また、つい先日はパリで大変痛ましい事件があり、多くの人が犠牲になりました。
そのことも含めて尊い人命が失われていることや、
その国が誇る文化的な遺産が破壊されたりしていることも、大変残念に思っております。
一方、今年もノーベル賞の受賞という大変うれしい知らせが先月ありました。
もちろん、ノーベル賞の領域に入らない分野ですばらしい業績を挙げている人も多々おられますので、
一つだけ取り上げるのはよくないのかもしれませんけれども、そ
れでもやはり、私たちにとって誠にうれしいニュースでありました。
しかも、地道な研究が評価されているということを感じました。
ただ、その一方で、今学術の世界でだんだん短期的な成果を求められるようになってきています。
例えば論文数ですとか、インパクトファクターの高いところに掲載されるかどうかなどですね。
それは非常に大事なことではあっても、それのみで学術・学問が判断されることになると、
地道に長い年月かけて行われて、良い成果が出るということがだんだんに無くなってくるのではないかなと、
気にかかるときもあります。
深いなあと思います。
災害の事一つとってみても、詳しいですし洞察力があるというか。
ノーベル賞に関しては、取らなくても頑張っている人はいるから・・・・と配慮があり、
一方で「短期的な成果」を求めすぎている部分もあるのではと危惧されている。
皇太子の場合
自分としては,もう50になったのかという感じがする一方で,
まだまだ研鑽(さん)を積まないといけないという,これからだという思いがいたしております。
これは学者で私自身も公私両面で,大きな変化を経験してきました。
公の面では,両陛下のお導きにより皇太子に至る道を歩んでまいりました。
私の面では,両陛下の温かい愛情の下で育ち,外国留学を含めて様々な経験をさせていただき,
雅子との結婚,愛子の誕生により心温まる安らぎのある家庭を持つに至っております。
「天命を知る」年齢に達するに当たって,両陛下を始めこれまでお世話になりました
多くの方々へのご恩を忘れず,更なる自己研鑽(さん)に努める気持ちを新たにしております。
それとともに,ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。
ある殿下が日々感じている事なのだろうと思います。
それ以外に、先日、日本とブラジルの外交関係樹立120周年の年に当たって、
私にとっては27年ぶりでしょうか、ブラジルを訪問いたしましたけれども、
この2週間弱の訪問も、私にとって大変印象深いものでありました。
そのときの印象につきましては、今、宮内庁のホームページに私の印象をつづったものが
掲載されていますので、ここでは省くことにいたします。
以上がこの1年の印象に残った出来事ということになります。
その次は50歳の(感想と抱負)ですか。
年齢というものは非連続的なものではなくて、連続的なものですね。
ですから、私自身、50という響きについてはちょっと年を取った感じがありますけれども、そ
れについての何か感想があるということではありません。
また、抱負についても抱負自体が突然出てくるということではなく、
今までどおり、以前にもお話ししたように、
例えば公的な仕事の面ですと頂いたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております。
私的には、以前から50の手習いで何かしてみたいなと思うことがないわけではないのですけれども、
それはまだ実行に移す予定もないものですから、ここではお話ししません。
淡々とされているなと。それは子育てをしているからというのもありますし
やっぱりここで色々語ってはいけないという配慮?
「50の手習い」久しぶりにこんな言葉を聞きました。